noteで新しく綴り始めました

このlife in fukushimaブログをまとめて本を出版したのを機に、個人的な思いを綴る新しいプラットフォームとしてnoteのページを開設しました。https://note.com/ryobunkobo/

こちらのlife in fukushimaで書いてきたような、日々の出来事やそれを受けて考えたこと、というよりは、過去の記憶や思い出を中心に綴っています。アカウントネームはズバリkanrekishoujo(還暦少女――敬愛するスタ☆レビの「還暦少年」のパクリでございます)。当面は「昭和」をキーワードにしたノスタルジックな独り言が中心なので、同世代の方々は「懐かしいなあ」、それより若い世代の方々は「ふーん」と思って眺めてみていただければ幸いです。

もちろん、ときどきは最近の話も書きます。ちなみに、最新の投稿では今回上梓した本のことも少し書いています(「紙の本は昭和ですかね」)。よかったら引き続きnoteのほうでフォローをよろしくお願いいたします。

「五十路で単身地方移住してみた~九年間のふくしま暮らし日記」が刊行されました

こちらのLife in Fukushimaブログ、およびその前身のブログ等をあわせ、私が福島に来てから9年間書き綴ってきたことをまとめた本が、東京図書出版から刊行されました。(発売日6月28日)

短期間の「復興支援」の名目で東京などから東日本大震災の被災地に入り、任務終了と同時に帰るはずがそのまま居ついてしまった・・・というケースは少なくありません。私もそういう「気づいたら移住者」の一人です。2014年1月にブログを立ち上げたのはもっぱら「被災地の現状を東京の友人たちへ伝えなければ」という動機によるもので、後で本にまとめるなど思ってもいませんでした。そして当然のことながら、その後の9年の間に自然と書く内容やテーマは変化していきました。今回出版するにあたり、あらためて最初から全記事を読み返して抜粋・編集しましたが、結果として一人の「気づいたら移住者」の誕生経緯、その気持ちの変遷が時系列でわかる本になったように思います。

このブログに残してある過去記事の一部も収録されていますが、若干の書き下ろしも含めて大部分は本の中でしか読めない内容となっていますので、ご興味があればぜひお手にとっていただければ幸いです。 

amazonなどネット書店では予約受付開始しています。

アマゾン: https://www.amazon.co.jp/dp/486641653X/

楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/17544223/

このブログが本になります

いつもご覧いただいているみなさま、今日はじめて訪れてくださったみなさま、どうもありがとうございます。

Life in Fukushimaのタイトルでブログを書き始めて7年半。その前身のブログも含めると約9年間。福島に来てから思ったこと、経験したことを綴ってきましたが、このたび、その内容を再編集して(ちょっとだけ書き下ろしも加えて)一冊の本にまとめることにしました。いまの予定では、紫陽花が咲き始める頃には本屋さんに並ぶ(正確には本屋さんで注文できる状態になっている)と思います。

それにあわせて過去記事は大幅に整理しました。また、出版を機にこのLife in Fukushimaブログはお役御免とし、新たなページに新たな心境で新たな文章を書いていきたいと考えています。時期がきましたらご案内しますので、今しばらくお待ちください。

これまでご愛読ありがとうございました。書くことくらいしか能のない五十路のおばさんライターを(てかもうすぐ六十路!)これからもどうぞご贔屓に・・・

GWの温泉旅館で働いてみた

今年のゴールデンウィーク。世の中は10連休という人も多かったようだが、フリーランスという”自由の身”になったら連休というものの有難みは半減した。クライアントはみな休み。唯一のレギュラーアルバイト先である英語塾も休み。レジャーといってもどこも高くて混んでいる。例年のように実家に帰省?いや、10日間では長すぎる。働かなければ収入のない身なのであるから、いっそ連休期間限定のアルバイトをしようと考えた。

本業は基本的に書き仕事。取材時以外はじっとパソコンに向かう時間が長いため、アルバイトはデスクワーク以外がしたい。それもたくさん身体を動かす仕事ならエクササイズと一石二鳥!

などという甘い考えのもと、世の中が休んでいるとき最も忙しい場所、つまり観光地の宿泊施設で接客業(の裏方)というものに初挑戦したのである。

▲岩手のソメイヨシノはゴールデンウィークが満開。

お世話になったのは、岩手県のとある温泉旅館。一言でいえば、予想通り大変な仕事だったがやってよかった。何事も、実際に経験してみるまで分からないことはたくさんある。

一口に宿泊施設といっても規模や業態は様々だから、今回の私の経験が業界全体に当てはまるとは思わない。が、おそらく中小規模の温泉旅館というのはどこも似たようなものではないだろうか。世の中が10連休なら、彼らは10連続勤務である。その後に交代で10連休がとれるわけもない。しかも連日早朝から深夜まで(昼の中休みはあるにせよ)の長時間労働。その合間に10分程度で3食のまかないご飯をかきこむ生活だ。

仕事は配膳、清掃、洗い場、布団敷きなど。まさに私の望んだ「身体を使う」作業ではあったが、エクササイズを兼ねて、などというのは現場を知らない人間の思い上がりだと知る。念のため、と思って持っていった医療用コルセットが大活躍だった。私は短期の派遣バイトなのできっちり1日8時間しか働かなかったが、それでも最初の数日は終わるとぐったり。持ってきたパソコンをやっと開ける気になったのすら、5日目である。

▲バイト7日目、やっと少し余裕が出て中休みの間に行ってみた遊歩道

フリーランスになってから、いろいろな短期バイトをやってみた。収入の足しにという理由も多少はあるが、いちばんの動機は今まで経験したことのない仕事の世界を知りたいということだ。

2年前はキュウリ農家で週3日半4ヶ月のバイト (その時の話はこちら)、昨年夏は桃の選果場で延べ1週間ほどバイト(その時の話はこちら)。4月の桃の摘花やサクランボ授粉バイトは今年で3回目。そしてこの度の温泉旅館。その度に、それまで交わったことのないような人たちに出会った。5年前に福島に来て公務員になったとき、その時点で、あのまま東京で外資勤めをしていたら一生出会うことのなかっただろう人たちと知り合うことができたが、一次産業や接客業の現場は私にとって更なる「別世界」だ。世界は広い。

そして、こうした「身体を使う仕事」でいつも感じることだが、なぜこれら肉体的労働の対価は、いわゆる「頭脳労働」とされるデスクワークより相対的に低いのだろう。通常は「生み出す付加価値の違い」などと説明されるのだろうが、では彼らの生み出すおいしいキュウリや桃、そしておもてなしのサービスには、それだけの価値がないということなのか。どうしてもそうは思えない。

そもそも、こうした「肉体労働」に必要なのは体力だけで頭脳はいらないかといえば、そんなことはない。今回、旅館の食事で使われる膨大な種類の器の収納場所を覚えるだけでも大変だったが、なによりも、何を言い出すか分からない客のニーズに合わせて当意即妙の対応が求められる接客技術など、少なくとも私にとっては上級中の上級スキルのように思われる(幸い、私が直接応対する機会があったお客さんはみな常識的で優しい人ばかりだったが)。

みなが当たり前に期待する「日本のおもてなし」 は、 こうして3連休すら滅多にとれない現場の人たちの献身(ある意味犠牲)で成り立っているのだ。 日本のサービス業の労働生産性は低いというが、当然である。それが問題だという人は、いちど大型連休に旅館でバイトしてみたらよい。

▲自宅朝食の定番。食べたいときに食べたいものが食べられる贅沢。

農業やサービス業(コンビニも介護も含めて)の現場がいまや恒常的に人手不足なのは、周知の事実だ。「正当な対価」の考え方は人それぞれだろうが、なによりも足りないのはこれらの職業に対するリスペクトではないか。私は胸に手を当てて心からそう思う。リスペクトが欠けたまま、日本人がやらないなら外国人にやってもらおうというのでは、早晩おかしくなるだろう。

不特定多数の人が使うトイレの掃除とはこういうものか、なんてこともやってみて初めてわかった。駅にしても公共施設にしても、毎日こういう作業を黙々とやっている人がいる。 次にトイレ掃除の人を見かけたら「お世話さま」と言おう。 旅館に泊まったら、お布団敷いてくれる人には「ありがとう」と言おう。 いままでみたいに機械的にではなく、ちゃんと心を込めて言おう。

四半世紀以上、一人前に「仕事」というものをしてきたつもりで、初めてそんな当たり前のことをはっきり認識できた黄金週間でした。m(__)m

初めての宇都宮ギョーザと初めてのタンマガーイ瞑想

人生で初めて宇都宮駅で降り、駅ビル内の餃子店に入った。メニューには焼き餃子のほかに水餃子、揚げ餃子、さらにパン粉をつけたフライ餃子というのもあった。わが福島市にも円盤餃子という名物があるが、円盤状に並べたプレゼンテーションを可能にするためには「焼き」しかない。さすが餃子のまちを標榜する宇都宮。バリエーションにも工夫があるようだ。久しぶりの肉食で翌日の腹下しを若干恐れつつも、ご当地モノは頂かねばならぬ。水餃子と焼き餃子を食したら、ふつうに美味かった。

惜しむらくはビールが飲めなかったことである。運転する予定があったわけではない。その日の夕方から2泊3日でタイ国のお寺さんが主催する瞑想合宿に参加することになってたからだ。

宇都宮からローカル線に乗り換えて30分、そこから車で10分ほど。ゴルフ場に囲まれた昔の温泉ホテルがいまは「タイ瞑想の湯」という施設になっている。一見ちょっと怪しげな名前だが、タンマガーイ寺院という世界30カ国以上に別院を持つ立派なお寺の運営で、オレンジの僧衣をまとったタイの出家僧たちが瞑想指導してくれる。

といっても、ここは私が自分で見つけたのではない。友人Kさんに誘われて初めて、日本にこんなものができているんだと知った次第。

マインドフルネスとかメディテーションというのは世界的に一種ブームになっているらしいが、日本人が瞑想といったらまずは座禅のイメージだろう。あるいはヨガマットの上で脚を組み、目を閉じて座っているモデルさんの写真もお馴染みかもしれない。私も両方とも体験してみたことはあるが、たいてい眠くなるか脚がしびれて集中できないかのどちらかだ。それへの対処方法の説明もなんだかピンと来なくて、自分から瞑想合宿などに参加しようと思ったことはなかった。

ついでにいうと、南伝仏教は(日本の大乗仏教諸派よりも)インドの初期仏教に近いはずなのになぜ仏像を礼拝するのか、私は自分で調べもせずただ疑問に感じていたのだが、これもこの機に聞いてみたところ、「神のような存在としてブッダを拝んでいるのではなくて、私たちはブッダが発見した真理を学ぶのだから、先輩として、先生として敬意を表しているのだ」という答えをもらって誠にしっくりきた。

心配した夕飯抜き(寺では正午以降は食べない)も意外につらくなく、かえって朝は身体がすぐ動くということも発見。そして、たった1日半だがスマホの電源を切ってプチ・デジタルデトックスできたのがよかった(したがって写真もない。芝桜の写真は、2日目の午後にみんなで散歩した芝桜公園でスタッフさんが撮ってくれたもの)。わずか2泊3日で何が変わったというわけではないが、なかなか興味深い体験ができ、誘ってくれたKさんには感謝である。

同寺院の東京の瞑想センターでは毎日のように瞑想指導があるそうだ。こういうのが福島にもあったらなあと思う。この8年間、いろんなことがあって人々の感情が大きく揺れ動き、心の中に悲しみだけでなく多くの無念・悔しさ・怒りが澱のように沈んでいる。それを解きほぐして洗い流すには、ストイックな禅の瞑想やヨガ体操系の瞑想もいいのだろうが、こういうだれでもできる穏やかな調心のアプローチこそ有効なように感じる。

そんなことは自分がこの瞑想で悟りを開いてから言え、なのかもしれないけど。