今日から始まったこと3つ

今日から始まったこと(その1):桃の花摘みバイト。友人の実家の果樹園でバイトさせてもらって早3年目。くだもの王国である福島市に引っ越して3年経ったということだ。草花も樹木も、花を咲かせるのは1年に1度だけ。今の私にとっては桜より桃のほうが季節の巡りを感じさせてくれる花である。

剪定で落とした枝を2,3本もらってきて活けた。きれいだなと思うのは私が短期のお気楽バイトだからであり、これが桃農家なら「家に帰ってまで見たくない」のかもしれない(笑)。

WUVJ3126 (2)今日から始まったこと(その2):福島第一原発の3号機で使用済み核燃料プールから燃料取り出し。19時の全国ニュースで一応やってたけど、今度は世の中あんまり騒がないみたいだ。5年前の4号機の燃料取り出しのときは、危険すぎる!絶対失敗する!みたいなのが国内外からいっぱい発信されていたのにねぇ。なぜ覚えているかというと、私がちょうど浪江町役場(の二本松事務所)に応援に入る予定の最初の1年間が、4号機の取り出しの1年間と重なってたから。なのに、無事終了したときには大した報道もなかったと思う。

そういえば、(除染で出た廃棄物を搬入する)中間貯蔵施設の用地買収がなかなか進まないというニュースも、3年くらい前までさかんに報道されていたと記憶する。2300人いる地権者のうちまだ数パーセント?どうすんのこれ?と煽られるような気がしたものだが、いつの間にか買収の契約済みは7割を超えている。ちゃんと「その後」も報道してほしいよねと思うが、私を含めた視聴者・読者の関心を反映しているだけと言われればそれまでだ。

今日から始まったこと(その3):これはオマケだけど、春夏用ワークスペース。秋冬はエアコンのある南向きリビングの一角で仕事しているが、暖房の要らない時期は北側の部屋に置いた本来のワークデスクに戻る。5日前には満開の桜にうっすら雪が積もった福島市内だが、明日からは最高気温が20度超えらしい。

季節は巡る。そして生き物は出来事を忘れ、歳をとる……

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まだまだ修行足りません

福島市、こないだまで春のような暖かさだったのに今日は冷たいみぞれ。

一歩も外に出ないで過ごしそうになるが、それではいかんとタウン情報誌で見たスフレパンケーキの店へ赴く。

こじんまりしたお店のドアを開けて入った途端、「いらっしゃいませ」の代わりに「時間かかりますがよろしいですか」。その女性からは明らかに「いま私ひとりで忙しいんです」オーラが出ていた。断られるのではないかとヒヤヒヤしながら、看板メニューのパンケーキを注文。30分後に出てきたパンケーキは普通においしかったが、なんだかあまり居心地が良くなかった。店を出るときも「ありがとうございました」の言葉はなし。二度と行かないであろう。

中身はちゃんとしていても、第一印象というものに左右されるんだよね。半世紀以上も生きていれば、こういう経験は何度もしている。そのたびに他山の石にしようと自分に言い聞かせるにもかかわらず、先日は「全く学んでないだろオマエ」という失敗をしてしまった。

アルバイト収入を少しだけ増やそうと、某採用試験を受けに行ったときのこと。メールでは10時半に来いと書いてあったのでちゃんと10分前に到着。他にも3人ほどが会場入り口で待っていた。しかし10時半を過ぎても採用側の人がだれも来ない。私が代表して電話してみると試験は11時からだという。

4人で少しむっとしながら言われたとおり部屋に入り、「申し訳ありません、すぐにまいります」という言葉を信じてさらに待つこと10分。やっと現れた担当者は、開口一番で謝罪の言葉もなく普通に自己紹介を始めた。

このとき私は額に大きく「バカヤロウ」と書いてその人を睨みつけてしまったのだった。その後にもちろん謝罪の言葉はあり、電話をした私に対してもお礼の一言はあったのだが、もう遅いとばかりに腕を組んだまま睨めつけ続けたワタシ。全く自制が効いていなかった。今から考えれば、およそこれから採用してもらおうという初対面の人間の態度ではないわけで、結果は当然不採用・・・onz

まだまだ修行が足りない五十路の福島生活は続きます。(食べ物の写真は、その採用試験の帰りに食べたパッタイ)

初めての宇都宮ギョーザと初めてのタンマガーイ瞑想

おそらく人生で初めて、宇都宮駅で降りて(といっても駅ビル内だが)餃子を食べた。焼き餃子のほかに水餃子、揚げ餃子、さらにパン粉をつけたフライ餃子というのもあった。わが福島市にも円盤餃子という名物があるが、円盤状に並べたプレゼンテーションを可能にするためには「焼き」しかない。さすが餃子のまちを標榜する宇都宮。バリエーションにも工夫があるようだ。久しぶりの肉食で翌日の腹下しを若干恐れつつも、ご当地モノは頂かねばならぬ。水餃子と焼き餃子を食したら、ふつうに美味かった。

惜しむらくはビールが飲めなかったことである。 車を運転していたわけではない。その日の夕方から2泊3日でタイ国のお寺さんが主催する瞑想合宿に参加することになってたのだ。

宇都宮からローカル線に乗り換えて30分、そこから車で10分ほど。ゴルフ場に囲まれた昔の温泉ホテルがいまは「タイ瞑想の湯」という施設になっている。一見ちょっと怪しげな名前だが、タンマガーイ寺院という世界30カ国以上に別院を持つ立派なお寺の運営で、オレンジの僧衣をまとったタイの出家僧たちが瞑想指導してくれる。

といっても、ここは私が自分で見つけたのではない。友人Kさんに誘われて初めて、日本にこんなものができているんだと知った次第。

マインドフルネスとかメディテーションというのは世界的に一種ブームになっているらしいが、日本人が瞑想といったらまずは座禅のイメージだろう。あるいはヨガマットの上で脚を組み、目を閉じて座っているモデルさんの写真もお馴染みかもしれない。私も両方とも体験してみたことはあるが、たいてい眠くなるか脚がしびれて集中できないかのどちらかだ。それへの対処方法の説明もなんだかピンと来なくて、自分から瞑想合宿などに参加しようと思ったことはなかった。

今回、誘われるまま予備知識もなく参加した合宿だったが、結論からいうと、このくらいゆるい感じならいいかも!である(笑)。もちろん南伝仏教の僧侶の戒律は厳しい。けれどもこのタンマガーイ瞑想法の指導そのものは、どんな座り方でもいいし、途中で動いてもいいし、初心者は眠くなったら眠ってもいいという。 むずかしい呼吸法もないし、やたらビジュアルなイメトレのようなことも言わない。 「じっと動かないことが瞑想ではない」「眠ってしまっても、覚めたらまた始めればいい」というのが、なんだか目から鱗であった。

ひたすら心身を緊張から解放し、飛び回る心を徐々に身体の中心に鎮めていく。最後は自分と他の全てのものの幸せと悟りを願う、いわゆる慈悲の瞑想である。これを指導するお坊さまたちがみな柔和でとっつきやすい感じ(といっても女性は触れてはいけないが)なのも、また心地よい。

ついでにいうと、南伝仏教は(日本の大乗仏教諸派よりも)インドの初期仏教に近いはずなのになぜ仏像を礼拝するのか、私は自分で調べもせずただ疑問に感じていたのだが、これもこの機に聞いてみたところ、「神のような存在としてブッダを拝んでいるのではなくて、私たちはブッダが発見した真理を学ぶのだから、先輩として、先生として敬意を表しているのだ」という答えをもらって誠にしっくりきた。

心配した夕飯抜き(寺では正午以降は食べない)も意外につらくなく、かえって朝は身体がすぐ動くということも発見。そして、たった1日半だがスマホの電源を切ってプチ・デジタルデトックスできたのがよかった(したがって写真もない。芝桜の写真は、2日目の午後にみんなで散歩した芝桜公園でスタッフさんが撮ってくれたもの)。わずか2泊3日で何が変わったというわけではないが、なかなか興味深い体験ができ、誘ってくれたKさんには感謝である。

同寺院の東京の瞑想センターでは毎日のように瞑想指導があるそうだ。こういうのが福島にもあったらなあと思う。この8年間、いろんなことがあって人々の感情が大きく揺れ動き、心の中に悲しみだけでなく多くの無念・悔しさ・怒りが澱のように沈んでいる。それを解きほぐして洗い流すには、ストイックな禅の瞑想やヨガ体操系の瞑想もいいのだろうが、こういうだれでもできる穏やかな調心のアプローチこそ有効なように感じる。

そんなことは自分がこの瞑想で悟りを開いてから言え、なのかもしれないけど。

今年の記録

車に乗れば、昼間は冷風・夜は温風。そろそろダウンのコートをクリーニングに持っていこうか。今年は冬タイヤをいつ履き替えようか。3月11日というのは、(福島では)毎年そんな時期である。

今年も昨日まで1週間くらい、テレビをつければ思い出したように「あれから8年」特番ばかり。いや、思い出すのはいいことだ。思い出してどうするかがポイントなのだけどね。私を含めて大半の人は思い出すだけで何もしないし、翌日の今日はもう思い出したことも忘れているだろう。

▲暖冬の今年は2月末に吾妻小富士の雪ウサギが出現。でもまたすぐ隠れた。

こちらに来て6回目の3.11は、家で一日仕事していた。特別なことは何もしていない。1回目から4回目までは浪江町役場の職員としてやることがあったが、5回目からはフリーの身。3.11の迎え方も感じ方も、やっぱり変化している。自分の過去5回のSNS投稿やブログ投稿を読み直してみると、なんと自分は鈍感になり怠惰になったことかと思う。

というか、すべてがもう「日常」になったんだ。モニタリングポストも。家々の庭に置いてある除染廃棄物も。「今日の各地の放射線量」も。古びていく応急仮設住宅も。取材で浜通りにいくとき通る帰還困難区域のバリケードも。ほぼ更地になった沿岸部も。「風評払しょく」を訴える役人の話も。3号機の使用済み核燃料取り出し遅れ云々のニュースも。旧避難区域の人気のない通りとイベントで賑わう仮設商店街のコントラストも。そしてその中で営業再開した事業者たちの苦悩と笑顔も。

ぜんぶ、私にとっては「普段のこと」になった。

▲今日のサギは珍しくジッとしていない。白鳥はずいぶん早く北へ帰った。

先日のNスぺ。復興特需が終わりつつある宮城・岩手では、手厚い経済支援によってせっかく営業再開した事業者たちの多くが(補助金の返済期限を迎えて)再び苦境に陥っているという話だった。たまたま私も取材させてもらったことのある旅館の女将さんが出ていて、胸が痛んだ。と同時に、おそらく似たようなことが数年遅れて福島にもやってくるんだろうと想像せざるを得なかった。

「復興の目玉」として相当な額の公的資金を投入して作られた施設が、ほとんど稼働していないとか1年で休業という話は、すでに福島県内でも聞く。莫大な費用をかけて除染・インフラ復旧をしても「住民帰還率は〇✖パーセントに止まる」で片付けられてしまう。「やっぱり福島に注ぎ込んだあの金は無駄だった」などと言われない、言わせないためにはこれからが正念場だ。そのために自分ができることってあるのか?それは何なのだろう。

そんなことを思案し始めたのも、昨日今日ではない。ここ数年はいつも脳裏にある。ちゃんと書けるような答えが出ないまま、今年の3.11も過ぎていった。

2018322日 いつまでアニバーサリーなんだろう

2017311日 書いておきたかったこと

左の鼻腔で春を感じる

連休に帰京したのだが、昨日から関東南部では何かの花粉が舞い始めたようである。作朝起きて、実家の雨戸を開けたら途端に左の鼻腔が反応し始めた。もうそんな時期か。

このたび実家でゲットした卓上加湿器

思えば30年以上前、大学生のころの花粉症はひどかった。春先は2か月くらいティッシュボックスを持ち歩いていた記憶がある。鼻水だけでなく目も喉も痒くて大変な思いをしたが、注射も薬もきらいなので、ひたすら過ぎ去るのを待つしかなかった。

それがラッキーなことに、歳とともに自然と症状が軽減。今ではこの国民病からほぼ解放されたつもりでいるが、それでも毎年2月の今ごろ、はげしく鼻水が出る一時期がある。なぜに左の鼻だけ?というのが不思議でならないが、ともかく学生時代と違って目や喉は痒くならず。なにより、 2、3日ガマンしていれば抗体の過剰反応が収まってくれるのは有難い。

とはいえ初日の症状はそれなりに酷くて、昨日は美容院でカットしてもらっている間、くしゃみを催すたびにハサミを止めてもらう必要があった。その後、いつものタイ料理屋で友人のOさんと食事をしたのだが、どうも辛いモノとアルコールでなおさら刺激されたようで。左の鼻から滝のように滴り落ちる液体をナプキンでせき止めつつ飲んで食べてしゃべるのは本人もなかなか大変だったが、見ているOさんもかなり鬱陶しかったに違いない。ごめんなさいねぇmm

これはそのタイではなく、前日に食べた八重洲の南インド。
メニューにあれば必ず注文するレモンライス!

そして、最終のやまびこに乗るため少し早めにレストランを出てヒンヤリした外気を吸い込んだら、「あ、春だ」と思った。これだけ鼻が詰まっていても、春の匂いというのは感じるものなのだ。

この花粉、福島ではまだ飛んでないかな?と思うと、福島駅で降りてもマンションに帰っても鼻水は止まらなかった。あらためて今年の「スギ花粉前線」(1月17日発表)なるものを見ると、東京都心は2月15日の予報となっている。福島市のあたりは2月下旬から3月初の予報だからまだのようだが、でもきっと自分の身体のほうが正確だと思う。

花が咲いて花粉が舞うというのは、春が来たということだ。 暦の上ではもう立春を過ぎてるんだものね。昨晩、福島駅のプラットフォームでも「春の匂い」がしたのは、 やっぱり気のせいではなかったんだね。^^/

 

こうして私の左鼻は今年もちゃんと春の訪れを告げてくれましたとさ(笑)