Uターンもいろいろ

今日の日経の社説は「息の長い地方分散に取り組もう」。私自身、東京から地方への移住組だし、仕事上も地方創生政策の交付金のおこぼれに与っているので、こういう目線は結構なことだと思う。だが、なんだか大事な点が抜けているように感じた。

今年の正月、実家から福島への帰りはグランクラスでプチ贅沢(もうすぐ軽食提供は終了するそうで私にとっては最初で最後)。

社説によれば、コロナで東京都からの転出が増えたといっても、転出先は周辺3県がほとんど。東京圏の一極集中是正がほど遠いのは、以前のように地方からたくさん上京してきているからというより、東京から人が出て行かないからなのだ。社人研の人口移動調査では、東京圏生まれの人は9割がその後も東京圏に住む。東京圏に住む人は7割が東京圏出身で、若い世代ほど比率が高い。特に両親とも東京圏出身だと地方に住む比率は1%になるそうだ。

私の父は神奈川県川崎市生まれ。母は東京日本橋生まれだから、その娘がこうして福島に移住しているというのは、その1%の希少な部類に入るということだ。では残りの99%が東京圏を出て行かないのは、よく言われるように「地方には仕事がない(と思われている)から」だけなのか?それこそテレワークの推進で、東京の高給を維持したままどこでも働けるとなったら、もっと圏外へ流出してもいいはずだ。でもそうなっていないのは、人は結局、親・親族の問題から離れられないという理由が大きいからではないか?子どもの数が少なく、独身者も多い東京圏はなおさらだと思う。

一度は東京を離れた1%組にしたところで、田舎の親が高齢になり都会に出ていた子どもがUターンするのと同様、都会の親が高齢になって「都会へUターン」だって十分あり得る。実際、昨年父を亡くし、高齢の母が一人暮らしとなってみると、いくら甲斐性のある弟が近くにいるとはいえ、近い将来、お気楽独身の自分が帰って世話をすべきなのかと悩む。もともとフリーライター稼業は在宅仕事。ミーティングは基本オンライン、最近は取材もオンラインがさらに増え、本当にどこでも仕事ができるようになった。東京でなくてもいいが、福島でなくてもいいのだ。

もちろん、母の方を福島に呼び寄せる可能性も考えなくはない。福島市内ならそれなりに大きな病院も介護施設もある。ただ、既に一度生死の間をさまよう大病をし、それでなくても皮膚科だ整形だと病院にかかり、認知症の気味もある母の場合、まったく新しい環境でこれまでの病歴を知らない医者にかかるのは、おそらく現実的ではないだろう。そして、いずれ私自身が高齢になって支援が必要になったとき、親族のいる東京圏に戻ることが最も現実的な選択肢になるはずだ(実際そうするかどうかわからないけど)。医療はオンライン診療が解禁されても、身体介助はオンラインでは受けられないのである。

昨年1月初めの両親。この1年の間にいろいろなことが変わった。

こういう点に、日経の社説はまったく触れていない。地方活性化のためには、地方出身者が地方へUターンするだけでなく、「東京圏出身者に地方に目を向けてもらうことが重要」という主張はきっと正しい。が、東京圏出身者にだって「帰らねばならない(あるいは離れられない)東京圏という故郷」があるのだ。

日経の提案は、各地方の大都市(大阪、名古屋、広島、福岡、仙台など)を「東京圏への人口流出に歯止めをかける橋頭保と位置づけて重点支援する」というもので、これは私もその通りだと思う。広井良典さんのいう「多極集中」だ。ただ、そこへ東京圏から人を呼び込もうとしたら、その鍵は日経の言うような「企業の集積」や「大学の研究開発力の底上げ」だけなんだろうか。高齢者や病気持ちでも何の不安もなく暮らせるという医療・介護先進地になることが、結局一番なんじゃなかろうか。そういう場所がいま日本中どこを探しても無いことが、みんな不安なのだから。

光る蛇

眼下を光る蛇が通る。後から後から。
右から左へ。左から右へ。
ときに並んで。ときにすれ違い。
黙々と軌道の上を這いゆく、蛇たち。
光るお腹に人間と空気を乗せて。

川崎の実家に帰る前日に東京駅近くのホテルに泊まった。部屋はシティビューと書いてあったが、むしろトレインビューというのが相応しかろう。山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線、そしていちばん手前が東海道新幹線。いつもお世話になる東北新幹線が20〜30分に1本(注:福島駅に停まる便)なのに対し、こちらはひっきりなし。本当に山手線と大して変わらない。

年の瀬の夕飯時、通勤電車にはそれなりに人は乗っていたが、普段の年ならもっとぎゅう詰めのはずだ。長距離列車に至っては回送かと見間違えるほど空いていた。それから向かいのビルの2階、あそこは確かライブバーじゃなかったか?テーブルにキャンドルのような明かりが灯っているのは見えるが、おそらくほとんど人はいないのだろう。

不要不急の帰省は控えるようにと言われても、父が亡くなってはじめての正月だ。半分ボケた母親を何日も一人にしておくわけにはいかない。普段世話をしてくれている弟に代わり、正月くらいは姉が帰らねばバチが当たる。翌日から遺品整理と大掃除の数日間が始まるのを前に、この一晩だけは自分にご褒美である。

もともと相対的に感染リスクの低いおひとりさまだが、今回は食事も全部ルームサービス。ジムもスパも人数制限だそうで他の客とはほぼ接しない。この業界も大変だと思うが、それでも東京にはまだまだホテルができる。八重洲口の目の前には、ブルガリホテルが入るという巨大ビルが建築中だ。

今年の年末年始は、一人で閉じこもり気味の母を、気分転換も兼ねて逆に福島の温泉へ「疎開」させようかとも考えたのだが、福島市もなかなか感染が拡大している。そもそも頭も脚も弱った母はとても一人で新幹線には乗れない。そう考えると、無理に福島の温泉へ連れて行かずとも、次回帰省したとき一緒に都心のホテルでプチ贅沢もいいのかも、とも思う。リモートだの二地域居住だの地方移住だのが進むと、意外に都心のホテルはこの手のニーズがあるのではないかしらん。

しかし、な。スパの立派なバスタオルで身体を拭き、使用済みタオル入れに放り込むときの罪悪感。お部屋にも一度しか使っていない立派なバスタオルがあったのに。ふわふわタオル地のルームスリッパは、念のため聞いたら案の定使い捨てだそうだ。なんと。これは持って帰ってリユースせねば。バーに行けば、外したマスクを入れるためのこれまた立派なビニールパウチをもらう。置いて帰ればもちろんゴミになるのだろう。・・・などとけち臭いことを言っているようでは、このクラスのホテルに泊まる「資格」はないのかもね。w

実家に帰れば屋根裏をネズミが走り回ってやかましい。干支が終わる前の最後のお祭りか。丑年になったら駆除してやる。あと24時間。締めくくる、などという気には到底なれないけれど。

今年も本ブログにお付き合いいただきありがとうございました。来年が良い年になりますように。

変わる

福島駅前にあった県北唯一の老舗デパート、中合(なかごう)が8月末に閉店して3か月余り。大した買い物もしてなかったくせに言うのもなんだが、百貨店というものは無くなってみると意外に不便である。例えばちょっとしたお使い物。手土産のお菓子ならどこでも買えるが、少し気の利いたハンカチやタオルセットなどは意外に見つけるのに苦労する。この度は、父の遺影に供える線香とろうそく(アロマ用のじゃないやつ)を買いたかったのだが、あらためて仏具専門店を探さねばならなかった。【追記:スーパーでも売ってた…】

▲中合デパート@4年前の師走▲

バイト先でそんな話をしていたら、福島市ネイティブの同僚から「昔は中合の他にもデパートいくつかあったんですよ」と教えられた。昔っていつごろか?と思い調べてみると、長崎屋が1999年まで、さくら野が2005年まで営業していたらしい。駅近くに3つもデパートがあったら結構にぎわっていただろう。それが次々倒れていき、最後の中合も今年ついに力尽きた。屋上のロゴ看板も建物外観の意匠も、古き良き昭和の趣のまま、令和までなんとかがんばってきたのにね。

デパートの苦境は新型コロナ云々以前から言われてきたことだ。広く浅く何でも売っている、という業態はもはや時代に合わないということなのだろう。最上階のお好み食堂だって、寿司からカレーからラーメンからスパゲティからお子様ランチまでなんでもあること自体が魅力だったのに、いつの間にか逆に専門化していないことがダサい(この表現も昭和だな)時代になった。

▲在りし日の中合の食堂▲

人間もどうやらそういうことになって久しい。ひとつの会社でいろんな部署を広く浅く経験してジェネラリスト(というかその会社のスペシャリスト)になるよりも、どんな組織でも通用するような自分の専門性を磨いて「ジョブ型」で勝負するのが現代風のようだ。

私自身はたまたま、ジョブディスクリプションがあってそれに対して年棒いくら、という雇用契約形態で長年仕事をしたが、告白すれば、決して自ら計画的にその道を選択したわけではない。大卒時、バブル全盛の売り手市場だったにもかかわらず人並みの就活を放棄し、「安定した」日本企業に新卒で就職せず、のんきにバイトしたり夜間学校に行ったり語学留学などしてしていた私が、結果的に潜り込めたのは外資系企業しかなかった。そして、そこではそういう専門職の道しかなかったのである。

その世界を出て、地方自治体という別世界に入ったのが7年前。広報専門の期間限定応援職員だったから、私自身の意識はそれまでのジョブ型と大して変わらなかったが、正職員の人々はまるで違う。数年でローテーションしていく彼らは、たまたま広報の担当になったからといって広報のプロではないし、そうなることも期待されていない。住民課はもちろん、税務、健康保険、介護福祉、住宅、水道、農政、商工労働、総務、そして選挙のときは選挙事務。行政というものの根幹にかかわる仕事は幅広く、それらをひととおり経験して初めて、一人前の行政パーソンとなり、その町・村のことならなんでも知っているスペシャリストになるわけだ。

私にはそれが「あるべき姿」だと思われた。特に役場と住民との距離が近い小さな基礎自治体では、それこそ住民が求める役場職員だと思うからだ。

だから(って比較に少々無理があるのは承知だが)、一見「なんでも屋」の百貨店にだって、ちゃんと存在理由とニーズはあるんじゃないかしらん・・・【追記:もちろんジョブ型メンバーシップ型は優劣の問題ではなく、それぞれ適する仕事があるということだ。なのに、世の中一律「ジョブ型にしないともう時代遅れ!」的な論調が見られて違和感いっぱい】

このところ福島駅前では再開発が進んでいる。中合跡地にも複合施設ができるそうだ。一足先に完成した小ぶりの商業施設に入っているカフェでお茶をしながら、その向いに完成間近の福島県立医科大学のビル校舎を眺める。街並みは常に変わっていく。新陳代謝は悪いことじゃない。必要な機能さえ残れば。

刷り込み

先月初めの話だが、生まれて初めて鮫川村というところへ行った。さて、それは福島県のどこでしょう?(地図は県庁のホームページから拝借)

日本で三番目に大きい福島県には59の市町村があるが、ご覧のとおり各自治体のサイズはかなりバラついている。昭和41年に14市町村が合併してできた最大の「いわき市」なんか単体でひとつの「地方」を形成している一方、県中・県南の境あたりには小さな自治体が密集している。(ついでに言うと、この地図では白河市の市名だけ「県南」の文字に隠れてしまい気の毒である。)

世の自治体合併の潮流に乗ることを拒否ってきたこれら小さな町村は、同じ福島県民からしても「どこそれ?」な場合が多い(すいません)。今回私は某団体の取材を頼まれ、もらった資料に所在地が福島市と書いてあったので安心していたら、話を聞くべき相手は鮫川村にいるとわかり、あわててgoogle map様のお世話になった次第。

で、みなさん鮫川村の場所は発見できましたか?

答えは、いわきと接する自治体のうちのいちばん南である。我が福島市からは途中まで高速を飛ばして120分。いちおう比較しておくと、新幹線で東京-福島間は最短90分である。

初めて訪れた鮫川村は、阿武隈の山間にある、いわゆる鄙びた山村だった。阿武隈山地は、上の図でいうとピンクの中通り地方と黄色の浜通り地方の境の一帯に南北に延びる。平均標高が500メートル程度だそうで、山地ではなく高地と呼ばれることもある。日本百名山もなく有名な温泉もなく取り立てて景勝地もなく、はっきり言って地味。日本全国どこにでもある「いわゆる鄙びた山村」の風景が広がっている。かたや吾妻連峰に浄土平、磐梯山に猪苗代湖に五色沼、さらに数多の極上温泉が点在する磐梯朝日国立公園が、観光名所として「非日常の自然」とすれば、阿武隈は人々の暮らし、農林業が営まれる場としての「日常の自然」である。

それもまた、いい。車を走らせていて気分は高揚しないが、なんとなく表情筋が緩む感じ。実際、この一見どこにでもある山村の風景がいい、という理由で阿武隈地域にIターンUターンした人たちを私は複数知っている。

しかし、不思議だ。こういうのが日本人にとって「心の原風景」などと言われれば、京浜工業地帯の真ん中で生まれ育った私でも「なるほど、そうだ」と感じてしまう。一体どこでどう刷り込まれたのか・・・

しばしお休み

なんだかこの1か月ほど、いろんなことがあった。

生きてる間は身体に気をつけよう1

7月初めから入院していた父が、10月半ば、ついに亡くなった。子より親が先に亡くなるのは順当だから、別に驚くことでもない。悲しくないと言えば嘘になるが、いつかは来る日であった。

直接の死因は肺炎。いまどき肺炎といえば新型コロナを思い浮かべるが、原因はほかにもいろいろある。父の場合は数年前から徐々に嚥下のための筋肉が弱り、誤嚥を続けて肺炎が悪化したということらしい。

振り返って、あの時ああすればこうすれば、という思いはある。コロナさえなければもう少し見舞いにも行けたのに、とも思う。でも今さら言ってもしょうがない。父自身、もうリハビリをがんばって生きる気力はなくしていたので、早く楽になって良かったと思う。

誤解を恐れずに言えば、人には死んで楽になる権利だってあるはずだ。3ヶ月ぶりに家に帰った父の死顔は明らかに、生きることから解放されて安らかであった。

生きてる間は身体に気をつけよう2

父の死と前後して、フリーになって初めて取引先とトラブルになった。30年超の社会人生活で仕事上のトラブルが皆無だったわけはない。が、これほど理不尽な思いをしたことは人生初だった。これも私の不徳の致すところと考え、二度と同じことが起こらないように精進するしかない。でも今は、精進するためのエネルギーが湧いてこないのが正直なところだ。

そしてコロナの第3波。父の葬儀で川崎に帰っただけで、福島市内の馴染みの店へ行く前に自主隔離しないといけない。心が折れる。

ということで、12月はゆるゆる休みますmm

(半分は営業用ポートフォリオを兼ねたこのブログで、取引先とのトラブルがあったなどと書くのは愚の骨頂かもしれないが、私自身は決して恥ずかしい仕事をしていないつもりであるので、こういうことも含めてオープンに書いていこうかと。)