福島に住んでたらこんなこともある

借りている駐車場の大家さんから先週、めずらしく電話があった。片隅に埋めてあった除染土を掘り起こすので、隣の車を私の車にギリギリ寄せて停めさせてほしい、ということだった。それは構わないのだが、へー、除染土埋まってたんだ。

このあたり、福島駅の周辺も原発事故直後は一時的にけっこう放射線量が高かったと聞く。が、大家さんによればそれも一様ではなく、線路の向こう側の公共施設のあたりは高く、こちら側の地区は比較的低かったのだそうである。それでもやはり、この辺のビルはみな外壁を高圧洗浄し、駐車場や一軒家の庭は表土を剥ぐという「除染」をしたそうだ。

それで出た除染土(環境省的には「除去土壌等」という)を家々の裏庭の隅にビニールで覆って保管してあったことは、私も福島市に引っ越した4年前はよく目にしたので知っていた。が、そういうスペースがない場合は、こうやって敷地の地下に埋蔵保管してたのね。地上保管されてたやつは、そういえばいつの間にかなくなってるような気がするが、地下の掘り起こしは今ごろなんだ。

県内各地でこういう除染が行われ、それで出た除染土は、第一原発の近くに作っている「中間貯蔵施設」というところへ2015年度から搬入が始まった。会津地方などもっとも遠いところから運び出し始めて、これまでに福島市内の除染土も4割方は搬出が終わっているようだ(環境省サイト:福島市の搬出状況)。といっても、今回私の借りてる駐車場から運び出された除染土は、直接中間貯蔵施設に行くわけではない。まずは福島市内の仮置き場に持っていく。市に確認したところ、そこから令和3年度末(=2022年3月末、つまり2年後)までに搬出される予定なんだそうだ。仮置き場というのは地区ごとに作る前提らしいが、この地区に関してはつい最近まで仮置き場の場所が決まらなかったというのが、おそらく掘り起こしが遅くなった原因(の一つ)なのだろう。

で、今日がその大家さんが言っていた掘り起こしの日だった。作業自体はすぐ終わったようで、昼ごろ確定申告しに税務署へ行くため車を出す際は、何も問題はなかった。車で10分の税務署。1年ぶりだ。その隣はまた別の除染土仮置き場になっていて、黒いフレコンパックの山が否応なく目に入る。ここはまだ搬出されてないんだな。福島市街の真ん中、信夫山の麓、反対どなりは公園だ。最初見たときは異様な光景だと思った。数年たてば見慣れてはくるが、やはりコレが残っているうちは完全に「平常時」に戻ったとは言えないような気がする。

仕事で浪江町方面へ行くときは国道114号という山越え道を通るのだが、ここは中間貯蔵施設への搬入が本格化した一昨年くらいからいつも、「除去土壌等運搬車両」の目印を付けたダンプがたくさん走っている。車線のない道をすれ違うのに最初は多少怖かったが、私の知る限り乱暴な運転の人はいないし、可能な限り道も譲ってくれる。何よりこの運転手さんたちがいなければ除染土搬出はできないのだから、個人的にはむしろ礼を言いたい気持ちである。が、やはりこれは一種「異常な」道路状況なんじゃないかと思う。

福島県はいまだに「復興」という言葉をよく使う。でも、何がどうなったら「復興した」と言えるのか?あまりその辺の突っ込んだ議論は聞かない。まずは県内の除染土フレコンパックの山がぜんぶ中間貯蔵施設に運び込まれて、生活道を除染土運搬ダンプが通らなくなって・・・そこで少なくとも浜通り地方以外の福島県の「復興プロセス」はひとつの区切りを迎えるとは思うが、それで終わりというわけでもない。

その浜通りでは来月、いよいよJR常磐線が全線再開通する。双葉町でも来月初めて一部の避難指示が解除される。一歩ずつ進む。でも、帰還困難区域はまだまだ残る。旧避難区域の居住人口はまだまだ戻らない。自治体はまだまだ通常の課税に戻れない。原発事故の後始末はまだまだ終わらない。

今日うちの前で、掘り出したボロボロの土嚢を淡々と軽トラックに積み込む作業員を見ていて、あらためて難儀だなあと思った。もちろん、私はそれを理由にこの地を去る気はまったくないので、life in fukushimaはこれからも淡々と続きます。

(写真:除染土を掘り起こして埋め戻した後の駐車場と、全然関係ないけど昨日立ち寄った日帰り温泉施設に飾られていた吊るし雛)

初めて十和田と山形へ行ってきた

ひと月ほど前の話になるが、「大人の休日倶楽部パス」というものを初めて利用してみた。4日間、JR東日本のフリー区間が何度でも乗り降り自由。もちろん新幹線も乗れるし、指定席も6回までOK。それで15,270円であるから、普通の「大人の休日倶楽部ミドル」の5%割引で福島ー東京を1回往復する(16,280円)より安い。だから、これを利用して実家に帰るだけでもお得なのだが、人間とは欲の生き物である。4日間乗り放題と言われると、東京往復だけじゃ勿体ない。どうしても4日間毎日新幹線で遠出しないと損した気がするのだから、我ながら浅ましい。

実際さすがに4日間毎日は無理だったが、2日間を使って、初日は八戸からの十和田往復バスツアーに参加、2日目は山形市内をぶらぶら歩きに行ってみた。どちらも人生初だ。十和田も山形もふつうは雪国のはずだが、暖冬の今年は本当に雪がなく(少なく)、歩きやすくていいような拍子抜けするような、おかしな感覚ではあった。

以下、めずらしくフォトレポートでお届けします。

▲十和田の町中はこんな感じ。1月半ばでこれ?雪マジ少ない。

▲こちらは十和田現代美術館。大変良かった。展示もほとんどが静止画撮影OKなのが太っ腹。

▲奥入瀬の入口も雪はこれしかなかった。例年の半分以下だそうな。
▲馬門岩の氷瀑。雪は少ないけど気温は低く、ちゃんと凍っていた。
▲十和田湖はどこまでも静かであった。このあと星野リゾート奥入瀬渓流ホテルで温泉ひとっぷろ。

▲翌日の山形市。文翔館(山形県郷土館)はけっこう見ごたえあり。なのに無料でこちらも太っ腹。

▲山形市街ほぼすべての植込みに施されていた雪囲いは、この時点(1月中旬)ではまったく不要であった。
逆に、普通の年ならこれほど必須なのねということが知れて勉強に。
▲山形日帰りの目当ては「ひっぱりうどん」。香味庵まるはちさんではちゃんと旅行者向けの「山形づくし」があった。イモ煮、こんにゃく、漬物寿司がセット。大満足。

こういう「お得な切符」が使える年齢になったら積極的に地方へ出かけ、できる範囲でお金を使うことは、ある意味でミドル世代・シニア世代の義務のような気もする。もっとも、往復はJRで現地バスツアーは大手代理店手配、泊まる宿も全国展開の大手ホテル、というのでは地元は大して潤わないわけだが、それでも「人が訪れる」ことで現地にも何某かの効果はあろう。鉄道会社とてホテルチェーンとて、各地域が元気でなければいずれ彼ら自身がビジネスを失う。それが分かっているからこその「お得な」ディールなのだから、使う方もそういう理解で使いたいものだ。

ということで、福島でもお待ちしております!^^

福島で二度目の風邪ひいて考えさせられた

かなり久しぶりで風邪をひいた。たしか前回は6年前の2月、東京から二本松市に引っ越したばかりのころ。東京でも福島中通りでも何十年に一度という大雪が降ったときだったと思う。慣れない雪かきのせいで(?)発熱し、勤め始めたばかりの役場を欠勤した記憶がある。

数日前、このちょっと熱っぽい感じ懐かしいなーなどと余裕をかましながらオ◯ロンの株主優待でゲットしたデジタル体温計を引っ張り出し、左の脇下で測ると36.6度。あら?と思って右脇で測り直したら37.4度。ワタシやっぱり昔の水銀式がいいわ(笑)

念のため近くの内科に行ってインフルの検査をしてもらう。陰性。良かった。でもやっぱり聞かずにはいられない。「先生、あの、例のコロナウィルスに感染してるかどうかは……」

「検査薬ができるのは早くて数ヵ月後だと言われています。できたとしても福島に来るまでにはもっと時間がかかるでしょうね。東京とか人の多いところが優先されますから。あるいは全部中国に送られちゃうかもしれない。だから、福島に届くとして2年後ぐらいでしょうかね」

なるほど、こんなところにも「地域格差」があるのか。検査薬がそうなら治療薬も同じなのかね。まあこの先生が言うことが100%正しいとは限らないが、そういう側面も確かにあるのだろう。むしろアッケラカンとそんなことを言う先生に感心した。

おかげさまでこの度は、37.5度以上になったら飲むようにともらった頓服薬は一度も飲まずに回復した。が、考えさせられた。いよいよ重篤な病気になったとき、いろんなものが進んでいる東京でいろんな最新治療を受けられたほうがいいのか、むしろ何も検査も治療しないで静かに看取ってくれるところを選んだほうがいいのか。

皆さんはどちら?(^^)

(写真は回復直後の爆飲爆食のようす)

こういう世の中についていく

近所につい先日まで正月飾りが残っている家があって、片付け忘れてるなと思ったが、あらためて「松の内」の期間を調べてみると、1月7日ではなく15日までという地域もあるんだそうだ。おもに関西方面らしいが、考えてみればどこに住んでいようと、いつまでお正月を祝いたいか個々人が決めてもなんら差し支えないわけである。

クリスマスツリーだって、手間かけてきれいに飾ったらもっと長く楽しんでもいいはずだし、ひな飾りだってもっと長く眺めていたければそうすればいいのに、節句を過ぎて片付けないと嫁に行き遅れる、などと刷り込まれるのはどういう文化かw(ちなみに我が家ではちゃんと片付けていたが、娘はこうして行きそびれて今に至る)

ところで、この正月は実家で感慨深いものに出会った。ここ数年、弟の家族が持ってくる人生ゲームをやるのが恒例になってるのだが、その人生ゲームが毎年進化する。去年までは、進化するといっても基本コンセプトは同じで、途中で結婚して子供が生まれたり、家を買ったり、職業を変えたりしながら、ゴールした時点での手持ちの資産額で勝負が決まった。ところが今年の「令和版」は根本から違っていた。

もう、お金というものは人生に介在しないのである。勝ち負けは獲得したフォロワーの数で決まるのだ。盤上をコマが進むのは同じだが、どこに停まっても結婚したり子どもが生まれたり事故にあったり、そういう生身の人間のリアルな体験の類は一切しない。すべてはバーチャル空間でフォロワーが何人増えたとか減ったとか、そういう話なのである。

最初はへー面白いなと思ったが、2ラウンド目が終わるころには、去年までの、おもちゃのドル札だの株券だのを数えて盛りあがっていた「旧式」人生ゲームと比べて、なんというか……つまらないなと感じた。もっともそれは昭和三十年代生まれの感想であって、まだ小学生と中学生の甥っ子たちに言わせれば「令和版のほうが面白い」んだそうである。ふーん。今はこういう世の中なのか。

もうひとつ、実家ではまだ宅配してもらっている新聞を広げて目についた、大晦日の全面広告。(写真が見づらい場合はこちらでどうぞ⇒ https://www.kourakuen.co.jp/news/235

私はもともとコンビニの24時間営業やスーパーの元日営業など不要と考える派なので、その通りだと頷きながら読んだ。幸楽苑スゴイぞ!(ちなみに福島県の会社です)……と、最後の一文。31日14時~1月1日全日、全店休業? 休むのたった1日半なの? それでもこんな全面広告出すほどのインパクトがあるのね? ふーん。今はこういう世の中なのか。

全国的に松の内があけて本格的に2020年が始まった。どんな1年になるのやら。今年こそ、身体だけでなく心を鍛えて「こういう世の中」についていくんだぞ、ワタシ!

ふるさと

正月。老親を家に置き、一人になって駅まで散歩する。この道を歩くのは何百回目か。

国道を渡ればすぐ商業地区だ。いつものとおり、暴力団の事務所や風俗店が並ぶ近道を行く。廃業して久しい角の小さなスナック。陽の当たらない路地の極狭の家々。

駅に近づけば元日から営業している飲食店、パチンコ屋。その裏手に積まれたゴミ袋の山。

消えてゆく店。新しい店。特設売り場。イベント会場。街にたむろする大勢の人々。賑々しく、平和だ。私もしばしその中に混ざって、当てもなくウロウロする。

山も川も海もない。うさぎも小鮒もいない。伝統芸能も郷土料理も、母の味すらない。でも私はここで生まれ育った。血のつながった家族がいるのはここだけだ。ここが私の帰る場所。ここが私の「ふるさと」。

--とりあえず。

郷愁という言葉の意味を、私はいまだに想像することしかできないのだった。

今年も一年、心穏やかに過ごせますように。