日帰りで樹氷を見に行けますよ

タイトルを「life in fukushima」にしてしまったので、このブログにはなんとなく福島県に関することしか書いてはいけないような気がしていたのだが、改めて考えれば別に県内の話題に限る必要はないんでないの?

と気づいたのが割と最近のこと。なので、たまには「福島に住んでると(県外だけど)こういうところにも気軽に行けるよ」的なお話も披露させていただこうと思う。

この連休中に行ってみたのは、おとなり宮城県の蔵王だ。福島市街の自宅から車で2時間あまりで行かれる。去年の夏には有名な「お釜」を見に行って、帰りは蔵王温泉を堪能する日帰りドライブをした。福島の山も温泉も良いが、宮城だって素晴らしい温泉があるのだよねぇ。それ以来、蔵王は私にとって身近ですてきな観光地になっている。

もっとも、ウィンタースポーツ一切しない、寒いのキライ雪キライな私にとって、いくら温泉が素敵でも冬の蔵王に用はないはずだった。だが、ふと手にしたチラシに「絶景の蔵王樹氷号」というバスツアーの案内が。そうだ、寒いからと家にこもっていたらいかん、いっそ寒さと雪を積極的に楽しもうではないか、と参加する気になったのである。

仙台駅から観光ガイドさん付の大型バスに乗り、途中1時間弱のランチ休憩を挟んで3時間で蔵王温泉街に着く。そこからロープウェイを乗り継いで、標高1661mの地蔵山頂駅に降り立つと・・・

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真っ白でほとんど何も見えない(笑)。パンフに載っているような、青空の下にくっきり浮かび上がったスノーモンスター(樹氷)たちの姿は残念ながら見られなかったが、それでもスキーやスノボに全く縁のない私にとってこの白銀の世界はまさに非日常。あたりは真っ白でも幸い吹雪いてはおらず、近づけばモンスターたちの豪快な姿も写真に納めることができた。

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ucuk3564「どうせ寒いところにいるなら、いっそ寒さと雪を積極的に楽しもうではないか」という発想のもとに参加した雪国ツアーは、実は福島に来てこれが初めてではない。3シーズン前は福島県の最奥地、只見の雪まつりのバスツアーに参加したことがある。そのときの正直な感想は、あまりに寒すぎて「一度は見ておくべき風景だけど一度でいいかな」であった。(住んでいる方、ごめんなさい)

そして今回の樹氷の感想は・・・うーん、やっぱり一度でいいかな(笑)

連休中だったこともあってかスキー場は人がいっぱい。話には聞いていたが本当に外国人であふれていた。ロープウェイも東京の通勤電車を彷彿とさせるギュウ詰めで、閉所恐怖症気味の私は軽くパニックになりそうだった。もしもっと空いていて、そしてもっと晴れているときだったら、また来たいと思うかもしれないけれど・・・

帰り、これまた人でいっぱいの仙台駅ビルをブラプラしていると、蒲鉾屋さんのイートインコーナーを発見。つい一杯(3杯)飲んでしまう。福島の日本酒もいいけど、宮城にもおいしいお酒があるのだよねぇ。ほろ酔いで新幹線に乗れば、眠る間もなく20分で福島に到着。人が少なくてホッとする(笑)。

img_e6611仙台市の人口は108万。震災後に増えたと聞いたが、改めて統計を見てみるとその前からずっと右肩上がりなのであった。かたや福島市の人口は去年ついに28万を切った。東北で不動産投資するならやっぱり仙台だよなと思いつつ、その仙台にほど近く、東京からもそう遠くなく、かつ混雑していない我が福島市こそ穴場なのでは?と独りごちているのだが。

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福島生活6年目にして

あー、終わった。すべてがイレギュラーになる「年末年始」という特別期間が終わると、毎年心からほっとする。

大晦日と元旦は、福島に来てから初めて 実家に帰らず一人で過ごした。ボッチの年越しを気恥ずかしく思うような年齢はとっくに過ぎている。十何年ぶりかで紅白歌合戦を見て、誰にも気兼ねせずテレビと一緒に歌って踊れたのもボッチならではだ(笑)。それにしても最近やたらと何でも「平成最後」という枕詞が付くが、去年の紅白は平成というより昭和を締めくくるにふさわしい内容ではなかったか。

年明け。今年は小売業界も元旦だけは休みにするところが増えたと聞いたが、福島駅前周辺ではイトーヨーカドーのみならず、福島県観光物産館も元日から元気に営業していた。従業員の方々は大変だなーと思いながら、ラウンジにていつもの日本酒飲み比べ。だれとも話さない静かな一日は翌日からしばらくお預けだから、 ちょっと贅沢に焼ウニをつまみながら一人まったりと過ごす。

そして正月2日から1週間の帰省中は、例年のごとく実家の掃除と久しぶりに会う友人たちとの楽しい会食に明け暮れた。東京の外食シーンは本当に贅沢だ。福島ではなかなか食べられないオーセンティックなアジア料理が食べたくて、北インド、カンボジア、四川、モロッコと堪能し、その合間には福島にはない横文字のカフェで長いカタカナ名のドリンクをいただく。どれも確かにおいしかったが、財布はものすごいスピードで薄くなっていくのだった。

▲古き良きアンコールワット@代々木▲

実家の母はもう料理らしい料理をする体力がないので、家での夕飯はもっぱら出来合いの総菜である。帰省している娘が作らないのかと言われればその通りだが、普段使わない台所で普段使わない道具と具材と調味料で料理するというのは、結構シンドイのである。そもそも両親の食べたいものと私の食べたいものはほぼ一致しないので、それぞれが食べたいおかずを買って帰るのが合理的なのだ。それでも福島土産の日本酒だけは多少は一緒に楽しめたから、良しとしたい。

というわけで、今年も飽食まみれの「年末年始」特別週間を無事終えて、福島に戻って来たら、年末に降った雪が日陰にはまだ残っていた。なんだか1週間が夢みたいだ。再び静かな日常に戻る。

最初にやったのは、lifeinfukushima.comというドメインネームを買い、ついに仕事用のメルアドを作ったことだ。こんなネームを使い始めたら、私はもう福島から引っ越せないではないか!という心の声はノマド志向の私の半身から。もう半身は、「今度こそ逃げないで腰を落ちつけよ」「凡人にとっては継続だけが力なり」と言っている。(「継続だけが力なり」は年末に人から聞いて得心した言葉)

というわけで、この福島生活ブログもlifeinfukushima.comとURLを若干変更し、この先しばらく続くのであります。今年もどうぞよろしくお付き合いくださいませ。m(__)m

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大河ドラマで1年を振り返るなんて歳とった証拠なんでしょうけど

昔から時代劇が好きとか大河ドラマファンとかでは全くないのだが、今年の「西郷どん」はほとんど毎回見ていた。おかげで維新前後の歴史に興味が湧いて本は何冊か読んだし、もちろん林真理子の原作も読んだから、西郷隆盛がどういう最期を迎えるのかは知っていた。それでも、1年間毎週見ていたキャラクターが死んでしまうのはやっぱり悲しいものである。

考えたら、大河ドラマをちゃんと見るようになったのは福島県に来てからだ(唯一の例外は1978年の「黄金の日々」で、あれだけはいくつかシーンを覚えている)。2014年1月に東京から二本松市に引っ越して、その年やっていたのは「軍師官兵衛」だった。まだこちらに友人も知り合いもおらず、家の周りは田んぼだったし、週末はさぞ暇だったんだろう。いつの間にか日曜20時はテレビの前に座る習慣になっていた。

▲当時のアパートの隣の田んぼ▲

うって変わって翌2015年は、4月から母が長期入院して毎週末東京に帰っていたからテレビどころではなかった。大河ドラマは「花燃ゆ」だったそうだが、そのタイトルすら全く記憶にない。

次の2016年は、2月に福島駅近にマンションを買い、4月に引っ越した。客間ができて友人の来福も多少は増えたからか、この年の「真田丸」はチラチラしか見ていない。昔アイドルだった草刈正雄がなんだか面白いキャラクターになったんだなーと、感慨深かったのを覚えているくらいだ。

2017年は、ご縁があって復興の手伝いをしていた浪江町が一部避難指示解除となり、そのタイミングで私も宮仕えを完全卒業するという、ある意味記念すべき年だった。書き物の仕事だけでは有り余る時間を使って、やったことない仕事に挑戦すべく農業デビューと先生デビューを達成。そんなで、「おんな城主直虎」をちゃんと見始めたのは農家バイトが一段落した10月末くらいからだったと思う。

▲福島駅前のイルミネーション▲

そして今年2018年、ほぼ毎週日曜に「西郷どん」が見られたのは、プータロー生活in福島がそれなりに落ち着いてきたという証なんだろうか。振り返れば、1年間同じ番組を見続けるという経験は「太陽にほえろ」以来かもしれない。でもあれは一話完結だったからな。ストーリーを追うドラマでこんなに長いのは初めてだ、きっと。

で、なんですかね、この喪失感(笑)。ドラマだから当然演出もあるわけだけど、最後に西郷さんが敵の弾に撃たれるところなんて、それこそ「太陽にほえろ」の殉職シーンを彷彿としてしまったのは私だけでしょうか?w

もっとも、演出はあるにしても、近代国家ニッポンが生まれるためにたくさんの血が流れたことは事実だ。日本人はつい140年前まで、日本人同士で殺し合っていたんである。

その夜、布団に入って寝る前の読書は「ホモ・デウス」。前作の「サピエンス全史」ほどスムースに読めなかったので、2ラウンド目である。7万年前の認知革命以来の歴史から考えるサピエンスの未来はあまりにマクロすぎて、西郷隆盛の50年に満たない人生の追体験を終えたばかりの頭には、ギャップが激しい。が、つい20世紀まで「平和」とは戦争していない状態のことを指していたのだという指摘には、思わずまた西郷どんの、いや鈴木亮平の顔がよみがえってくる。

さて、私の福島6年目となる来年の大河ドラマはどう振り返ることになるんだろうか。なんにしても、平和に感謝して新年を迎えたい。

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初雪を待ちながら

全国的に冬の到来が遅いという話だが、ここ福島市街も今年の初雪はまだだ。平年は11月26日だそうだから、ずいぶん遅い。今朝も、昨夜の天気予報に反して太陽がまぶしく暖かかった。吾妻連峰はかなり白くなっていたが、山頂まではっきり見える。

なんだ、これなら洗濯機を回そうかしら、と思いながらとりあえずいつものなんちゃってヨガをやり、だらだらブランチを食べていると、あっという間に陽が陰ってきた。ふと見ると、もう吾妻山は見えない。雪雲がみるみる麓に降りてきている。私が春に花摘みのバイトをさせてもらう果樹園のあたりはもう降ってるだろうか。

山と反対側、海方面の空はまだ明るい。やっぱり浜通りは雪が少なく比較的温暖なのだ。東京と同様、冬タイヤというものを履かずに過ごす人たちも多いと聞くと羨ましいなーと思わなくもないが、浜には温泉が少ないからやっぱり中通りがいいやという結論に達するのである。

先日図書館で、稲垣えみ子さんの「寂しい生活」という本を発見した。その徹底した超節電・超省エネ生活が有名で、ときどきテレビにも出るような方らしい。が、17:00-23:00のNHKしか見ない私は、そこに出てない人を存じ上げない。初めて知るほぼ同い年の独身女性作家さんの生活大変革ストーリーは大変興味深く、ときおり大きく頷きながら面白く読ませてもらった。

私も東京で丸8年、エアコンのついてないマンションに住んだことがあるので、エアコンなしの生活は無問題だ。福島に来てからも夏のエアコンはほぼ使っていない。が、さすがに雪の降る氷点下の東北の冬は、稲垣さんのような湯たんぽと火鉢だけの生活は難しいだろうなあ・・・でも火鉢ってちょっとインテリアとしても素敵かも・・・

などと考えている間に、短い冬の日はすとんと暮れていく。この辺もいよいよ今夜が初雪だろう。

町並みというもの

久しぶりに気仙沼に出張した。4回目だ。ここは宮城県の最北端にあって、岩手県にめり込むような格好になっている。今の仕事がなかったら、おそらく一生岩手県と勘違いしていたかもしれない。

仕事のおかげで気仙沼市と石巻市にはこうして数回ずつ訪れる機会に恵まれ、この夏はさらにその北部の岩手県釜石市にも初めて行く機会をもらった。そのたびに現地のおいしいものを食べ、役得を堪能している。

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▲2年前のクリスマスに初めて訪れたときの気仙沼▲

さて、この釜石と気仙沼と石巻、人口が多い順に並べるとどうなるかご存知ですかな?

気仙沼が岩手県の一部だと思っていた頃の自分であれば、おそらく釜石が一番大きいと答えたような気がする。新日鉄の城下町のイメージがあるからか。実際、関東の友達二人にこの質問をしてみたら、二人とも釜石と答えた。

答えは、釜石の人口3万人台、気仙沼6万人台、石巻14万人台で、石巻がダントツに大きい。ちなみに、我が福島市の人口は29万人で石巻の倍。その前に住んでいた福島県二本松市は5万人台で、気仙沼といい勝負だ。

東京にいた頃は考えたこともなかったが、地方に住み、観光地でない地方を仕事で訪ねるようになって、このぐらいの人口規模なら街の感じは大体こういう感じ、という自分なりのイメージができつつある。スーパーの数とか、病院の大きさとか、コンビニの間隔とか。もちろん地理的その他の条件によっても違うのだけれど、なんとなく公式はある気がする。

そして、何の統計的裏付けもない私の勝手な公式によると、専業化した飲食店が出現するのはおおよそ人口15万からだ(ほんとかよ)。それ以下の場合、ラーメン店を除けば大抵なんでもアリのお好み食堂風業態がほとんど。そうでなければ生き残れないのだろう。

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▲福島市街に最近オープンしたインドネシア料理専門店。どうか繁盛してください▲

特にカタカナ名のレストランにはその傾向が顕著である。今回の気仙沼で夕飯を食べた店も、パスタありピザありカレーライスあり、さらに海鮮丼やラーメンまであった。考えてみればすごい厨房だなと思う。(追記:一方、道の駅の冷蔵ケースで何気なく売られていたのはイクラたっぷりのはらこ飯、500円也。なんと贅沢)

その気仙沼はまだまだ絶賛工事中だった。いまだに道路の位置も頻繁に変わるそうだ。2年前は数か所あった仮設商店街はすべてなくなり、代わりにおしゃれな商業施設がオープンしていた。一帯5メートルのかさ上げ後に新築されたホテルの窓からは、朝7時からダンプが作業を始めるのが見えた。その周りもオープンしたての市営住宅、真新しいドラッグストアとコンビニ。こうして町並みはどこも同じようなものに均一化していくのだろう。

それに一抹の寂しさなど覚えるのは、部外者の身勝手以外の何物でもないけれど。

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