DXって何よ

なんでもかんでもオンライン、ペーパーレス、キャッシュレスが「正しい」という世の中である。が、私のバイト先のひとつは今もって毎月現金を給料袋に入れて渡してくれるし、取引先のひとつからは今もってハンコを押した請求書原本を要求される。

△桶沼の紅葉

別にそういう選択肢が残されていてもいいではないか、と思う。私自身も、ナントカペイというスマホのアプリは使う気がしない。スイカやナナコで払える店が格段に増えた今、私のキャッシュレスはこの2枚で十分だと思っている(定期的に現金でチャージするから正確には小銭レスだが…笑)。これら簡単なプリペイドすら80代の親は使うのを躊躇うのであるから、消費者の「現金で払う権利」だって同様に尊重してもらいたものだ。

先日いつもの日帰り温泉に行ったら、窓口の中年女性が新入りらしく、かなりモタついていた。お客がカードで清算しようとしているのだが、うまくいかない。昔のようなガッチャンレジではなく、いわゆるスマレジというやつだろう、カードリーダーを出す以前にタブレット画面の操作がわからず固まっている。客の方が諦めて現金払いに変更していた。ほっとしたのも束の間、次のお客はスマホ画面を見せて何かのクーポンを使いたいらしい。これもお手上げである。「申し訳ありません」と言い残して何度も奥へ上司を呼びにいく姿を見て、順番待ちしていた私は心中で「ちっ」と舌打ちしてしまってから反省した。この女性に苛立ち・侮りの感情を持つべからず。なぜなら、それはいつか来る日の自分の姿かもしれないから。いや、確実にそうだろう。

△浄土平の草紅葉

フリーライターという仕事上、パソコンとネット環境は商売道具である。クライアントによって指定のコミュニケーションツールが違うから、そのたびにアプリを入れて慣れなければならないし、PCを新調すればもちろん全部自分でセットアップしなければならない。という程度の意味で、今のところ私は自分が極度のIT音痴だとは思っていないが、技術の世界は日進月歩である。

この先、どこでどういう仕事をすることになるか分からないが、願わくば65歳で年金をもらい始めても働けるうちは働きたい。ただ、悲しいことに歳をとるほど新しいものに慣れるのに時間がかかるようになるのだ。年老いていく親に「そんなことが何でできないんだ?」と声を荒げても、後で自分が悲しいだけなのはよく分かっている。子どもがいない私は、他人から面と向かってそんなことを言われる心配は少ないが、代わりに彼らはみな心の中で「ちっ」と舌打ちすることだろう。

こういう同年代あるあるの話題を同年代の友人とリアルでしゃべりあう機会もめっきり減った。その欠乏状態が、最近なんとなくボディブローのように効いてきた気がする。

△ノンアルビールのお伴。シンガポールラクサという文字には滅法弱い

オンラインでも会議はできる。オンラインでも取材はできる。オンラインでも飲み会はできる。こないだは初めてオンラインでヨガクラスも受講した。東京時代に通っていたスタジオで、以前から知っているインストラクターのクラスだ。懐かしかった。福島にいながら参加できるなんて、ある意味コロナに感謝だ。カメラ位置もインストの声の大きさもスピードも、きっと試行錯誤を重ねたことと思う。画面越しでも十分楽しめた。

のだけれども、やっぱりどこかおかしな感覚が残った。人間はやっぱり、リアルで群れていないといけない生き物なんじゃないかと思う。こう感じるのも単なる歳のせいなのか。

初秋の一日

今回はただの福島生活日記です(もともと生活日記ですがー)。

久しぶりに丸一日まったく仕事しない日曜日。久しぶりに遠出して久しぶりに県外の温泉に行こうかなーと思ったが、案の定寝坊し、ブランチを食べたらもう昼前であった。しかたないので久しぶりに隣町の岳温泉へ。今年オーナーが変わってリニューアルオープンしたという旅館にお風呂をもらいにいった。

福島市民としては市内にある三大温泉(飯坂、土湯、高湯)が自慢ではあるが、二本松市の岳温泉も負けず劣らずオススメである。福島県に来て最初の2年間の住まいは二本松市だったから、当時は休日のたびに日帰り温泉利用でお世話になっていた。東京から遊びに来た友人と一緒に岳温泉で一泊したことも数知れず。宿泊と日帰りを合わせればおそらく私は全館の風呂を制覇している。今回のお宿もリニューアル後だけあって館内は何もかも新しくてきれい。昼時だったせいか内風呂も露天も独り占めで贅沢した。

運転手のいないおひとりさまは湯上りにビールというわけにはいかず、代わりにお茶とスイーツである。目指すカフェは車で数分だが、このところ深刻化している運動不足を少しでも解消すべく、車を停めた無料駐車場から歩くことにする。岳温泉観光協会はウォーキングプログラムを充実させていて、カフェまでの道も数あるウォーキングコースの一部のはず。だけど、まぁまず歩いている人はいない。そして、人が歩かない歩道というのはこうなる。↓ 

この辺の歩きづらさは別として、道はアップダウンもほとんどなく周りは草原が広がり、陽気がよければたいへん気持ち良い。車なら気づかずに通り過ぎてしまうような、小さな発見もたくさんある。蜘蛛の巣にかかり今にも餌食になろうとしている蝶をしげしげ眺めてこれが自然界の掟なのだよね、とか。視覚だけではない。焚火の煙のにおい、牛舎から牛の鳴き声。五感総動員である。【後日追記:どうもこれを書いた直後に岳温泉のウォーキングプログラムは内容変更になったようで、最初文中からリンクしていたウォーキングマップはもはや存在せず、この道もコースから外れたらしい。】

といってもわずか25分でカフェに到着してしまう。テラス席で「秋限定」のアップルなんとかパフェに食らいついているうちに肌寒くなってきた。帰りの道を歩き始めたら雲の間から陽が差してきたが、この時期の陽はつるべ落としとはよく言ったものだ。まだ3時というのにもう「傾きかけ」の趣である。ちょうどひと月前、関東から遊びに来てくれた友人とドライブした頃は、まだ長い午後の暑さに辟易していたというのに。

と、前方でモーター音すると思ったら、先ほどの歩道で草刈りをしている男性がいた。日曜の午後こんな時間に作業とは、地元の有志だろうか。有難いことである。ちなみに、コロナで地方移住を考えている方。自然いっぱいの田舎暮らしを志向するならモーター式草刈り機のマスターは必須である。

帰宅してこれを書いているうち、瞬く間に真っ暗になってしまった。急いで洗濯物を取り込みにベランダに出ると、福島駅近くの我が家周辺でも鈴虫の大合唱である。

季節がまた一回り。・・・私はもう振り落とされそうだ。どうしよう。

2020

今は2020年9月。今更ながら、どうも現実感がない。

8月終わりの浄土平

1964年生まれの私を含め20世紀中に大人になっていた世代にとっては、「21世紀の始まり」というのはそれなりにインパクトのあるイベントだったと思う。西暦2000年コンピュータ問題なんていうのもあった。それまで下2桁で済ませていたのが00になって1900年と間違えて誤作動しちゃうかも、という話だったかと記憶する。当時たいへんな苦労をした技術者も多かったことだろう。ナントカ歴のカレンダーがどうの的な終末論もあって、みんな多かれ少なかれ「来るぞ、来るぞ」と身構えていた。

それが一夜明けて2000年になってしまえば(たしか私はパリで年越ししたのだった)、なんのことはない、その先にも前と同じ日常が続いていた。2001、2005、2010と時間は均等に刻まれ続け、私にとっては1985年も1995年も2005年も2015年も、みな等しく「数字」であった。もちろんその間に、同時テロとか東日本大震災とか、「もうそれ以前には戻れない」クラスの出来事は発生した。でも、自分の身辺の「現実の感じ方」に変化が生じることはなかった。

ところが。

「2020」になったら、なんかおかしくなったのだ。自分が近未来小説の中にいるような感じがする。ここはもう現実ではない、なんだかのっぴきならないところに来てしまった感覚。でも自分ではどうすることも出来ない無力感と焦燥感。このままこれまでと同じ調子で2035年とか2050年とかいう年が来るとは、どうにも思われない。

オーウェルの1984年とか2001年宇宙の旅とか、過去に描かれた近未来の年号を、既に私たちはいくつも通り過ぎている。調べたらブレードランナーの舞台もなんと2019年だった。でも去年までそんな感慨はなかった。これは単に自分の年齢のせいだろうか?あるいはステイホームと新しい生活様式のせいで頭の回路の一部がおかしくなったのか?いずれにしてもあまり心地よくはない。

秋の始まり。

そんなときには、いやいや今年は令和2年だと考える。

ずっと外資勤めで仕事はすべて西暦だった。福島に来て公務員になったら全てが和暦で、年数の計算に苦労した。全部西暦にすれば簡単なのに、と思っていた。

だけども、この改元というリセット効果はけっこう侮れないかもしれない。ドタバタの青春は昭和に、バリバリの仕事は平成に、置いてきた。令和には何を置いていくことになるのだろう。そう考えれば2020の恐怖も多少は和らぐ、ような気もするのだが……

ごちそうさま

ナス、トマト、キュウリ、インゲン、オクラ、枝豆、トウモロコシ、シソにミョウガ。そして桃。盛夏である。

私が福島に来て最初の役場勤め時代は、とにかく食べ物を頂くことが多かった。出張土産の菓子はもちろん、兼業農家の同僚や釣り好きのご主人を持つ同僚、お菓子作りが趣味の同僚などから、季節の野菜、とれたてのイクラ、プロ顔負けの手作りスイーツ等々。

フリーになったらそういう有り難い職場の頂きものは激減したが、それでも女子会だのなんだので集まると、食べきれないからもらって〜という農産物のおすそ分けは結構頂いた。

そして、コロナで人と会わなくなったら当然おすそ分けもほぼ皆無に。それでも今月は果樹園の手伝いに行った友人からハネ物の桃を1箱頂き、もうしばらく食べないでいいわーというくらい堪能したが、その他の野菜果物はせっせと買い出しに行かねばならない。

新鮮な旬のものが安く買える産直は大好きだが、難点といえばおひとりさまには量が多すぎることである。中でもシソやミョウガなどの薬味系は、ドサっと1袋買ってしまってからハテどうしたものかと悩む。ミョウガなんてスーパーなら3個の値段で20個くらい買えるのだから、使い切れずに捨ててもいいや、とはどうしても思えないタチなので、むしろ薬味から献立(全て酒のアテ)を考える日々が続く。

そこへ先日、SNSの友人の投稿で、叩いた梅干しとミョウガを和えてアボカドに載せるというカンタンレシピを発見。以来、大量のミョウガが見る間に消費されるようになった。(そういえば昔、ミョウガを食べすぎると馬鹿になると聞いた記憶があるが、私の頭くらいでは気にする必要もなし。)

ちなみにシソは、カボチャとナスの揚げ浸しに大量に載っけて爆食いがマイブームである。

75年前の今ごろ、終戦直後の東京。小学生だった母はひもじい日々を覚えている。お腹を空かせて学校から帰ると、カボチャをぐずぐずに煮たものがオヤツだった。調味料がないから味付けもない。薬味どころではない。夕飯はパサパサのサツマイモ一つ。農業の経験のない祖父が小さな畑を借り、見よう見まねで作ったイモだったが、いくら腹ペコでもまずいものはまずい。泣きながら食べたそうだ。

その祖父はまた、家族のために満員電車で食料の買い出しにいった。痩せた身体に満杯のリュックが重く、転ぶと仰向けにひっくり返った亀のように立てなかったが、誰も助けてくれないのが悔しかったという。そんな祖父があるとき、わずかな白身の肉を買ってきた。「今日はごちそうだぞ、これはヘルカという肉だぞ」。みんな喜んで食べた後にカエル肉だと知って仰天したそうだ。

もっとも母の記憶もかなり怪しいから、こういう昔話の細部がどこまで正確か分からない。が、戦後の食糧難、特に生産手段を持たない都会の住民にとってコメや野菜などの基礎的食料の入手が困難を極めたことは確かだろう。それらを売る側の農家が「偉そうにしていて悔しい思いをした」という祖父の台詞は母の脳裏に焼き付いているようだ。

たった75年で世の中こうも変わるとは……ね。今日もおいしいミョウガと梅干しとアボカドとカボチャとナスとシソを頂きながら、しみじみこれを書いている。

メメント・モリ

コロナ騒ぎの中でSNSをツラツラ読んでいると、ウィルスと細菌が同じものだと思っている人がけっこういるような気がする。かくいう私も、この二つがまったく別の種類のものだと知ったのはそれほど昔ではない。10年くらい前に分子生物学者・福岡伸一さんの「生物と無生物の間」というベストセラーを読んで、細胞を持つ細菌は正真正銘の生き物だが、細胞を持たないウィルスは生物でも無生物でもないと知り、へぇーと思った。

ウィルスは全く代謝をしないという意味において、生物とは言えない。細胞がないから自ら分裂して増えることはできないが、感染した相手の細胞を使って自己を複製し増殖できる、という意味で完全に無生物とも言えない、のだそうだ。

▲本文とは無関係ですが、夏野菜といえば茄子。茄子と油ってどうしてこう相性がいいんでしょうねー

 

生命あるいは生物の定義はひとつではないのだろうが、私はこの際あらためて、5歳の子供に「生きものって何?」と聞かれたら何と答えるか、自分なりに考えてみた。

すぐ降りてきた答えは「いつかは死ぬもの」だった。別に哲学的に高尚なことを言おうとしているのではなくて、死んでることの反対が生きてること、という単純な思考だが、これを裏返せば、生きてないものは死なない、ということである。ウィルスが生物でないなら、ウィルスが「死ぬ」ということはないはずだ。じゃあ(ワクチンなどで)ウィルスに感染しないようにすることはできても、ウィルスそのものは決して滅亡しないのか?

と素朴な疑問を抱いたものの、怠け者なのでその後ちゃんと調べることもしていなかった。ところへ今般、福岡さんの別のベストセラー「動的平衡」という本を読んだら、ウィルスは核酸(DNAまたはRNA)がタンパク質のコートを纏ったもので、(放射線などを当てて)DNAを破壊すればウィルスは「死ぬ」と書いてあった。

なるほど。では、ドアノブをせっせとアルコール消毒すればウィルスは拭き取れるかもしれないが、そのDNAは破壊されないからウィルスは拭いたキッチンペーパーに移動するだけなのよね?ゴミ箱の中でもずっとそのまま、ごみ回収車の中でもそのまま、焼却炉の高温でやっとDNAが壊れて「死ぬ」のかしら?残念ながらその辺はコロナ前に書かれた福岡さんの本には書いていないので(そんなことよりもっと面白いことがたくさん書いてある)、詳しい人がいたらぜひ生物学音痴にもわかるように教えてほしい。

さて、今回こんなことを書くのはウィルスと細菌の違いについて世を啓蒙したいからではない。先ほどの「いつかは死ぬもの」から連想して近ごろ考えることを共有してみたかったからだ。

人間いつかは死ぬ、というのは誰でも知っている自然なことだ。なのに、我々は「死」というのものを遠ざけようとしすぎてないか?退治すべき悪者扱いしすぎてないか?どうも戦う相手を間違えている気がするのである。もちろん暴力や事故による死は根絶を目指すべきだろう。そして、早すぎる病死もなるべく減らしたい。実際そうやって人類の平均寿命はものすごく伸びてきた。問題は、早すぎるか早すぎないかの線引きがどの辺りか?である。

個人的には、還暦すぎたら生物学的にはもう「早すぎる」とは言えないと思っている。ただ、現代では還暦を過ぎても親が元気だったり、子供がまだ学生だったりして、そういう意味で死ぬには「早すぎる」状況がほとんどだろう。私も両親が存命のうちは何としても死ねない。が、二人ともいなくなったらもういつお迎えが来てもいいと感じている。実際、私の世代が適当なところで早く退場してあげることは、次の世代にしてあげられる最善のことだと思うのだ。

いやいや、自分はいま健康で死ぬ気がしないからそんな偉そうなことが言えるのだ、という気もしないではない。2年ほど前、年の離れた妹のようだった三十そこそこのSちゃんがあっけなく死んでしまったときは、実際、「死」を恨んだ。だが5年前、当時78歳の母が大病して生死の間をさまよったときは、「どんな姿でもいいから生きていてほしい」とは思わなかった。いま87歳になる父がまた入院しているが、本人にもう生きる気力がないのであれば、無理に「がんばれ」と言う気にはなれないし、自分が父の立場だったら言ってほしくないと思う。

福岡氏のいう「動的平衡」とは、生命はまさに「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」だということだ。全身の細胞は常に壊されては新しく作り替えられている(それ以上数は増えないという心筋細胞や脳細胞も、それを作っているタンパク質分子は入れ替わっている)。だから細胞レベルでは数年前の私と今日の私はまったく「別人」である。が、そういう流れの中で秩序の平衡を保っているものこそが生命だと。そうやってエントロピーの法則に先回りして、常に古いものを捨て新しいものに置き換えることを繰り返す柔軟な構造こそ、生命だと。(ただし、やがて最後はエントロピーの法則が勝ち、秩序は乱れ、生物は死ぬ。)

私が膝をうったのは、これは個体だけでなく種全体にもいえるという部分だった。福岡氏曰く、

「エントロピーの法則がこの世界を支配する限り、一つの生命体が永遠に生き続けることはできません。その意味で、生命現象から見れば、個体の死は最大の利他行為です。ある個体がいなくなるということは、住む場所や食べるものが別の個体にバトンタッチされ、新たな生命がはぐくまれることを意味する。」(動的平衡ダイアローグより)

そう、個体の死は利他行為なのだ。私の感覚は正しかった!

・・・と思ったわけだが、10年後には私の身体は脳も含めて今とは別のものだから、死んでも生きてやるぞ!とか全然違うことを思っているかもしれないネ(笑)。