農業とともに人類の不幸は始まりき

今月初めから、キュウリ農家さんでバイトを始めた。これまでにも自家消費用の小さなキュウリ畑で収穫体験させてもらったことはあるが、ここは専業なので規模が違う。数十メートルのキュウリのトンネルが何本も並び、さらにそういう畑が何か所にもあるのだ。1日の出荷量が500キロを超えるときもある。

DSC_1933本業がパソコン仕事なので身体を動かす副業をしたかったのと、農業というものへの興味(ビジネスとしてではなく食べ物をつくる過程への興味)から、チラシに載っていた季節限定バイトに応募した次第だが、「身体を動かす」といってもジムでマシンをやるのとは訳が違う。予想以上の重労働である。

いまのところ、選別と箱詰め、集荷場への出荷(荷の上げ下ろし)、天気がよければキュウリ畑で芯止め、蔓止めという作業が主な仕事だ。ずっとかがんでやる仕事とずっと背伸びをしてやる仕事があって、バランスがとれて良いんだか一か所に負荷がかかりすぎて良くないんだか、よくわからない。

身体が慣れていないせいもあって、最初の2、3日は腰も膝も首も悲鳴をあげ、とんでもない仕事に応募してしまったと一瞬後悔した。パートの女性たちの中では、おそらく私がいちばん若造だと思われるが、みな「暑いね~」とか言いながら何でもない顔をしてやっている。しかも毎朝自分の畑をやった後に、この農園でバイトをしているという人もいるからすごい。

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初夏にサクランボ果樹園の手伝いをしたときもそうだったが、キュウリみたいな身近な野菜でも、その生産現場を体験すると、はぁこういうことになっているのか、と学びの連続である。たとえベランダ菜園でもキュウリを育てたことのある人なら、下葉をとったり蔓をネットに固定したり、芯を止めたりという作業は多少はお馴染みなのだろうが、私にはその経験もない。こんなに手間をかけないと売り物のキュウリはできないのか… この作業はどんなにロボットやAIが進化しても絶対リプレイスできないだろうな… などと、54メートルのキュウリトンネルの中で感慨にふける。

露地もののキュウリはいまが全盛だ。一日数センチ伸びるというキュウリは、朝晩に収穫をしないと大きくなりすぎてしまう。お盆だからと成長を休んでくれる訳もなし。したがって、キュウリ農家さんは休みがないのだ。出荷期間中は週7日、基本的に早朝から夕方まで働きどおしなのである。そんな激務のせいかどうか、この農園が属しているキュウリ専業の出荷組合も、徐々に組合員農家が減ってきているのだという。

こうして私が腰や首に湿布薬を塗りながら出荷したキュウリは、東京の大田市場に送られ、主に首都圏のみなさんの食卓に上る(はず)。

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いまから約1万年前に農業というものが始まってから、ヒトの不幸は始まった――。それは、ベストセラーになった「サピエンス全史」を読んで目から鱗の学びだった。その感想を興奮気味に話したら、相手の人が「BIG HISTORY~宇宙開闢から380億年の『人間』史」という立派な本を贈呈してくれたのだが、それを読んでますます「狩猟採集から農耕への転換=人類の不幸の始まり」を確信した。

その本曰く(農業が出現した最初期の状況について)、「考古学はまた、狩猟採集民にとって必ずしも農業のほうが魅力ある生活様式とは映っていなかった点も示している。(中略)そもそもみなが農耕民になることを望んでいたわけではなかったようである。これはおそらく農業という生活様式が、狩猟採集よりも肉体的に相当にきつく、健康に良くなく、精神的に疲れることも多かったせいだろう」

農耕民として人々が完全に定住し(それ以前でも一部定住していたらしいが)、人口が増え、水利や土地をめぐって権力というものが生まれ、コミュニティが複雑化した。支配層が生まれ、都市が生まれ、そこには自分の食べ物を自分では作らない職業の人々が集まっていた。

「都市(ウルク、長安、・・・ローマなど)が威光と権力の中心だったとすれば、その資源のほとんどを供給するのが町や村だった。小作農は、ときには大地主のもとで農場労働者として働きながら、町や都市で消費される大量の農産物を生産した。あらゆる農耕文明で、大多数の一般市民から支配層へと富が流れていく様子が観察できる」

日本でも「重い年貢に苦しむ農民の姿」は時代劇などでお馴染みだけれども、驚くことに早くも紀元前2千年紀末のエジプト新王国時代の「書記のための練習帳」には、「これだから小作農に身を落としてはならない」と書いてあるんだそうだ。

もちろん現代日本の農業は農地所有が基本だし、「都市への農作物の供給」も徴税ではなく商取引という形で行われている。それでも、こういう史実を知ると、今の世の「農業離れ」もむべなるかなと思ってしまう。

でも、いまさらみんなして狩猟採集には戻れないのであるから、だれかがこの爆発的に増えた人口を、その大部分を占める都市住民を、食べさせなければならない。都市住民はせめて、自分の口に入れるものを誰がどうやって作っているのか、一度見て知っておくべきだと心から思う。

と、3年半前に福島に来るまでほとんど土を触ったこともなかった私が言うのもおこがましいが、単純に土にまみれるのも楽しいものである。「エクササイズ」にはならないが「運動」には違いない。地方暮らしならではのこの農家バイトが終わるころには、私も長靴・頬かむり・腕カバー姿が堂に入っているかしらん。

農業とともに人類の不幸は始まりき(2)

農業とともに人類の不幸は始まりき(3)


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