あっという間に2月じゃないか。
お試し移住のつもりで福島県に来て、正式に仕事を始めたのが2014年の2月1日だったから、丸3年が過ぎたわけだ。(下の写真は3年前の津波被災地で撮影したもの。今ではガレキ類はすっかり片付いている)
最初の年の秋ごろ、親友のWさんが自分の家族とご両親まで連れて遊びにきてくれたのだが、そのときそのお父さんに「3年は暮らしてみなさいよ」と言われたのを覚えている。当時は1年ちょっとで東京に帰るつもりだったから、「いやぁ、どうですかねえ」などと適当な返事をしたのだが、気がつけばお父さんの助言どおりになっている。
思えば遠くへ来たもんだ。物理的な距離じゃなくて、仕事、暮らし、そういうもの。
先月の終わりに、あのイチエフを視察する機会があった。といっても、イチエフという言葉は福島県外でどれだけ一般的なんだろう。福島第一原発のことだと、みなすぐわかるんだろうか?そんな感覚まで鈍くなってしまった。
ま、いいや。
事前に「福島第一原発廃炉図鑑」という本を読んでいったこともあり、実際にイチエフを見てみた感想は、予想以上でも以下でもなかった。感心したのは構内に入る際のチェックの厳しさだ。もちろん通りすがりで見学はできない。事前登録した氏名と身分証明書を突き合わせ、暗証番号を押してゲートを通過し、さらに空港のような金属検知器も通過する。
イチエフの中では「ご安全に」というのが挨拶だと本に書いてあったが、私たちも敷地内をめぐる視察バスに乗り込む際に、そういって送り出された。「ご安全に」に返す言葉は「ありがとう」だろうか?用法としては「ごきげんよう」と同じ気がするから、返礼も「ご安全に」でいいのか?
まあそれもどうでもよろしい。
車窓から見学する限り、今はもうタイベックススーツとか全面マスクとかは必要ない。線量計とともに支給されるのは、手袋と靴カバーだけだ。50分ほどの見学を終えて、被ばく線量はガンマ線0.01mSvで、歯のレントゲン1回と同じ。
現在のイチエフには1日平均4~5組の視察がくるという。当然、専門の対応チームが組織されていた。視察中構内の写真撮影は禁止だが、アテンドしてくれる東電のスタッフがちゃんと要所要所で撮影し、後でワンセット送ってくれる(下の1号機2号機の写真はその中の2枚)。視察の受け入れは東電にしてもかなりのリソースを必要とするんだろうが、彼らにとって今それを惜しむことは許されない。
それでもイチエフ廃炉のニュースが福島県外で流れることは、もう頻繁にはないのだろう。原発事故被災地の人たちからすれば、けしからん、風化しているという話なのだが、客観的に見れば米軍基地のニュースが沖縄県外でほとんど報道されないのと同じことだ。
いちおう「復興支援」という名目で、私が被災自治体の手伝いを始めて3年たった。日々の役場仕事というミクロで見れば、それなりに役に立ったことはあるんだろう(と思いたい)。が、被災者の心の復興というマクロの状況は、3年前とどれだけ変わってるだろうか。
友人のお父さんが「3年やってみろ」といったのは、「石の上にも3年」という意味だったのかどうか。