国保税の通知を見て卒倒しそうになった件について

30年ちかいサラリーマン生活の間、「平日の休み」というのはゼイタクなものであった。これまででいちばんのゼイタクは約3年前、前職を辞めて復興庁の任期付き職員として全町避難中の自治体に派遣されるまでの、2か月間の有休消化である。その間に新天地で物件を探し、引越しし、車を買い、土地に慣れるため周囲を探検し、合間には京都にも旅行した。それでも最後は時間を持て余してしまったので、新しい勤め先となる役場に2週間ほど早く「ボランティア出勤」させてもらったのだった。

リタイヤ移住でなく転職移住であっても、こうして間にバッファ期間が長くとれたことで、身体的にも心理的にもかなり楽だったと思う。有休をたくさんくれた前の職場には大感謝である。考えてみれば給料をもらいながら休暇がとれるなんて、まったくサラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ(by 植木等)。無論、過労自殺を引き起こすようなブラック企業は問題外だれども。

DSC_0664さて、9月末、そのサラリーマンを半分卒業して週3日のパートになった。自由になる時間が増えたのと引き換えに、有休はもちろん、勤め先に半分払ってもらっていた年金や健康保険など、フルタイム宮仕えの特典をすべて手放すことになった。

もちろん承知の上である。承知の上ではあったが、実際に福島市から徴収の通知がくると、なんとも心が乱れてしまう自分がいた。住民税も年金保険料もはじめから額はわかっていたが、天引きされるのと自分で銀行からおろして払込票を書くのとでは、なぜこうも負担感が違うのであろうか(笑)

そして健康保険税に至っては、まったく青天の霹靂であった。もちろん、労使折半がなくなることも、加入していた公務員共済は料率が低かったことも知っていた。だから大よそ2.5倍目安で想定していたのだが、届いた通知にびっくり仰天。1回の支払い額がいきなり6?!?!

少し冷静になったら、6か月分を4回に分けて払うので1か月分に直すともう少し減ることに気づいたが、それでも想定を大きく上回る4倍弱である。なにかおかしいんじゃないか?と思い、納付書に同封されている書類の、ふだんは読まない小さい字をたくさん読むと、そうか、国保の場合は(当月のお給料ではなく)前年度の所得が基本になってるのね…

考えてみれば他にベースになるものがないから当たり前なのだろうが、サラリーマン一筋の私にとって、恥ずかしながらまったく新しい情報だった。そして私の前年度の所得は、たまたま東京のマンションを売却したため一時的にかなり膨らんでいたのである。サラリーマン卒業と引き換えに手に入れたゼイタクである「平日昼間の自由時間」を利用して、念のため市役所に電話で確認したが、やっぱりそういうことであった。

うーむ。あと半年、年度末まで卒業を待てば30万も負担が少なかったのか…。ま、その気になって調べればネット上にいくらでも情報はあるのに、調べずに今ごろビックリしてもしゃーないわな、これは。

しかし、だからといってこのタイミングでパートになったことを後悔しているかというと、まったくしてないのであーる。Life in Fukushima第二章「プチ・リタイヤ編」は、これからが本番だもんね。^o^/ 

(写真は福島市内を流れる荒川の河畔。川沿いの遊歩道をよく散歩するが、先日たまたま、普段は歩かない方まで行ったらこのサインを見つけた。近くを通る新幹線の乗客に向けたものかと思うが、車窓から気づいたことはないなぁ…)

「ちょうどいい季節」はどこへ…

こないだ扇風機をしまったばかりなのに、もう便座ヒーターを入れようかという気温になってきた。浜のほうから福島市に来ている人たちに言わせると、内陸の中通り地方は「ちょうどいい」季節がとても短いんだという。私は浜通りに住んだことがないからわからないが、たしかにここ1週間の温度差にはびっくりだ。

東京都心にいると、季節の変化を感じる要素は単純に気温だけだったりするが、福島くらいのイナカでは、目も耳も舌も、それこそ五感総動員である。

冬のあいだ真っ白だった田んぼが、雪が解けて黒い土になり、耕されて苗が植えられ、緑がだんだん濃くなって、穂をつけ始めると次第に黄色みが増していき、最後は文字通り黄金色になる。今の時期は稲刈りも後半戦で、刈られたあとはまた茶色い土の色になる。こちらに来て最初の年、同じ田んぼの風景を1年通して観察したのは生まれて初めてで、農業の時間軸ってこういうものかと思ったものだ。

と同時に気づいたのは、田植えは5月、収穫は10月、つまりこの広い土地が1年の半分は遊んでるということだ。冬の間、この土地をなんとか利用できないものか?まあ、二期作・二毛作ができる土地ならとっくにやっているだろうから、「もったいない」と思うのは東京人の余計なお世話なのかもしれない。「土地は希少なもの」という価値観は、いまや大都市の一部に限られるのだろう。

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さて、稲刈り中の田んぼを横目に見ながら、ほぼ3週間ぶりで産直に野菜を買い出しに行ったら、すっかり品揃えが変わっていた。スーパーでは大根もキュウリも一年中買えるが、産直で買っていると、コメだけでなく野菜の旬も知識でなく実感としてわかるようになる(自分で作ればなおさらだろうね)。このところ天候不順とかでスーパーの野菜はやたら値段が高いが、地元の農家さんは大丈夫らしい。いつものコスパで安心、好きなだけ買えた。

私はなんちゃってベジタリアンであるので、家にふんだんに野菜がないとまともな料理ができない。ただでさえこのところ行事続きで外食が多かった。さて、久しぶりに何を作ろうかな?おひとりさまは自分が食べたいとき食べたいものだけ作ればよい。この気楽さ、もう手放せない(笑)。

つい先日までは糠漬けがおいしかったが、これだけ気温が下がってくると身体が欲するのはやはり温かいもの。先月末、職場の任期満了祝いでプレゼントしてもらった蒸し器(by my リクエスト)が、これから活躍する季節になる。新米を炊いて、鍋もいいね。

しかし今夜も冷えてきた。たしかに、もう少し「ちょうどいい」季節が長くてもよかったんだけど…

第二章はじまりました

Life in Fukushima. このタイトルでブログを書き始めてから1年が経った。早いもんだ。

12111956_10207775313770028_7109728344491508631_n (1)福島県に住み始めてからは2年9か月になるが、最初の1年9か月はいわば「お試し移住」期間で、東京にも「帰る家」があった。思うところあってそこを引き払い、荷物をぜんぶ福島に持ってきたのが1年前。その半年後にはマンションも買ってしまった。

買ったというと、「じゃあ福島に永住するんですね」みたいに言われるのだが、私の場合、家を買う=永住するという感覚はまったくない。家とて基本的には他の資産と同じ、事情が変われば貸したり売ったりすればいいものと考えている。しかし、それでもこんなタイトルのブログを書いているということは、福島の生活が気に入ってしばらく住もうと思っているからには違いない。

気に入っている理由はもちろん、山や温泉が近いとか野菜が新鮮で安いとか、まあ定番である。が、それに加えて、原発事故被災という特殊な事情があるこの場所では、わりとわかりやすい形で多少は人の役に立つ仕事がさせてもらえる、という実感があるからだと思う。

この29か月支援してきた自治体での任期が、先月終了した。今月からもパートタイムでお手伝いは続けることになったが、空いた時間で活動範囲をもう少し広げられそうだ。

いま復興・地方創生界隈では、若者をターゲットにソーシャルベンチャー、ローカルベンチャー、なりわいづくり等々、いわゆる脱サラ(古いか)を促すキーワードが渦巻いている。しかし、私のように50の声を聞いてから地方移住を考える場合、20代のような勢いだけで実現するのは厳しい。イナカに雇用がないなら自分で生業を作ればいいのだ!と言われても、世の中そういう才覚と度胸のある人ばかりではなかろう。

実際、もし私に十分な才覚と度胸があったなら、任期終了というこのタイミングで「起業」という選択肢もあるのだろうが、あいにくそういう星の下には生まれなかったのだから仕方ない。当面はパートタイムとフリーランスで、そういう星の下に生まれてがんばっている人々のお手伝いを続けようと思う(もっともフリーだって「事業主」ではあるのだが)それだって大企業のコマとして働いているより、直接的に人の役に立ってる感はなんぼか大きいのだ。

…ということで今月から、半分サラリーマン・半分フリーランス・ちょびっと大家さん、のLife in Fukushima第二章が始まりました。もしかしてこんな話もだれかの参考になるかもしれない、という希望のもと、このブログも不定期更新を続けます。

リピートあそばせ、ふくしま

3連休は東京から友人2人が遊びに来てくれた。1泊目は土湯温泉、2泊目は我が家にホームステイ。あいにくの雨模様だったが、女3人集まればどんな天気でもノー問題である。

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どこに連れて行こうかと迷った結果、やはり磐梯吾妻スカイラインのドライブ~浄土平~五色沼という定番コースに落ち着く。そこにカフェめぐり・温泉めぐり・産直めぐりをプラスして、ツアープランナーとして我ながら充実の3日間になった。

福島県の場合、こういう観光資源はどうしても中通り(ざっくり新幹線の沿線)から西側、会津方面に集中している。逆の東側、あぶくま山地から浜通り方面は、どうもイマイチなのだ。アクセスが悪いというのもあるが、せっかくの休みにわざわざ来てくれた客をぜひ連れて行きたい、と思う場所が見当たらない。アクアマリンとかハワイアンズとかの大型施設があり、温泉もあるいわき市は別として、そこから北の海沿いは、観光資源的には元々たいへん地味なのである。89d427ca375bd8abea276f318a37d5ff

今、あえて言えば「福島第一原発」というスポットがある。周辺は5年半以上も避難指示が継続中という「非日常空間」だ。が、ここを観光資源とみなせるようになるまでには、まだだいぶ時間がかかるだろう。

もちろん友人は、私がそういう被災自治体の手伝いをしていることは知っている。彼らが原発事故のその後に興味があったり、被災地の様子を見たい、と言えば、避難区域を含めて喜んで案内するつもりであったが、そういうリクエストがないのに連れていく場所ではなかろう。

でも、我が家の本棚にあるフクシマ関係の本に興味を持って借りていったKさんが、次に来てくれるときには、避難指示が解除されたての町や村をめぐる旅もアリかもしれない。もう一人、全国を旅慣れているMさんも中通りの自然の豊かさに感動していたので、次回は気候も産物も違う浜通りを体験したいと思ってくれるかもしれない。

そういう意味でも、福島県全体の観光はリピーター狙いが正しいのだろう。観光地とは別の、土地の豊かさというのは、一度訪れるとじわじわと感じるものだ。実際、原発事故前まで福島は、移住希望地ランキングで長野県とトップを争っていたそうである。それどころか、事故後も2014年までは4位をキープしていたんだね(ふるさと回帰支援センターのまとめ)。踏みとどまった理由としては、会津方面の人気が根強いため、とある。

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それが2015年はいきなり16位にダウン。この年、特に2030代の移住相談件数が飛躍的に伸びたんだそうで、その結果がこれだとすれば、やはり原発事故の影響なのか、あるいは若い世代が会津に興味を示さないのか

それならいっそ40代以上に的を絞ってはどうだろう?今回の女3人旅も平均年齢は50歳。きっとリピートしてくれると思うのだが。

一割のぼやき

このブログは「東京→福島移住日記」なので、基本的には福島での生活のこと、「おひとりさまの楽しい地方暮らし」ネタを書いてるつもりである。実際、いまの生活の9割方はストレスフリーで文字通り楽しいことばかりなのだが、残り1割はそうもいかない。

それはやはり年老いていく親のこと。

お盆も東京の実家に帰っていた。父が先月から入院中。母も昨年の大病から回復しきっておらず、一人で外出もできない。ふだんは公的サービスも使いながら弟がいろいろ面倒を見てくれているが、たまの休みには一人で好き勝手している姉が交代してやらないと罰が当たる。

なわけで、いつもは週末の1泊2日のところ、今回は45日で孝行に努めた。

目的は親孝行でも、東京に帰ったら必ずやるのは、友達に会うことだ。やはり50年近く東京で暮らしてきた間に築いた友人関係は、福島でこの2年余りの間に新しく作った関係よりも、まだ何倍も深くて大きい。

この東京の友人たちは、だいたい同年代である。類は友を呼ぶというのか同類相哀れむ??というのか、仲良しの中には気軽に誘えるおひとりさまが多いが、家族持ちでも子育てが終わって一緒に夜遊びができるようになってきたのが、ここ10年くらいだろうか。でも最近は、誰と会っても話題は圧倒的に親の病気と介護である。

今回は、前々職で一緒だった友人Oさんと半年ぶりに会った。自身の親御さんの入院に加え、だんなさんのご実家が4月の熊本地震で被災されたという。義理のご両親もそれなりにご高齢だから、避難生活は大変だ。東京からそうそう頻繁に行かれる距離ではないが、支援のため数回往復したという。聞けば、航空料金にはいまどき「介護帰省割引」というのがあるが、大して安くならないらしい。おまけにペットまで病気になって手術をしたそうで、「もうたいへん」と言っていた。おカネの問題も含めて、本当に、いろんな意味で大変だよね。

Oさんのように「親が地方、子供が東京」でも、私のように「親が東京、子供が地方」でも、基本的に問題は同じだ。「遠距離介護」でググれば、お役立ち情報がたくさん出てくることも最近知った。ま、東京ー福島は遠距離のうちに入らないかもしれないが。

「遠距離介護日記」ではなく「地方移住日記」という立場で言えば、私の場合、まだ親が元気なうちに地方移住を敢行しておいて良かったとは思う。私が福島を選んだのは第一には仕事があったからだが、こうして親に倒れられてみると、新幹線を使えば日帰りも可能な距離でよかったとつくづく感じる。実際、飛行機でしか行けないところへ移住した友人Mさんは、親御さんが倒れて、結局ご実家の沿線の関東圏に戻ってきた。

このさき私も、自分の都合と親の状態を折り合わせながら、どこに住むことになるかわからない。おそらく二か所居住みたいなことになるんだろう。考えてみれば、遠かろうが近かろうが住む場所を変えたら「移住」である。どんな移住でも楽しめるような、心の持ち方をしたいものである。

それにしても、東京→地方移住を推進するなら、飛行機や新幹線、高速道路の介護帰省割引の充実は必須のような気がするが…