地元の個人店応援してます

取材以外は家にこもって仕事が基本のフリーライター稼業。そのうえ福島にも再びマンボー適用で、夜の会食はおろか、昼間の一人ランチや一人お茶すらなんとなく気が引ける雰囲気である。なので、ふだんの外出は散歩がてらの日用品や食料品の買い物だけだ。

それでもたまには気分転換で外食したくなるのは人のサガ。こんな状況でがんばっている飲食店、特に大手チェーンではなく個人でやってる小さな店を応援したくて、週に一度くらいはそういうところを探してさっくり訪問したりする。

先日は、前から気になっていた近所の店に入ってみた。路面ではなく狭い階段を上っていくというだけで若干ハードルがあがるが、ネットで見たプレートランチの写真がおいしそうで、意を決してトライ。結果は大正解だった。

▲てっぺんにはかわいいサモサ

この辺ではあまりお目にかかれないエスニックな手作り総菜がたっぷり。スリランカ風ありトンガ風ありアフリカ(のどこだか忘れた)風あり、それをミールスっぽく混ぜ混ぜしていただく。

オーナーさんに聞くと、この店は5年前にバーレストランとして開業したそう。たしかにカウンターにはいろんなお酒のボトルが並んでいる(その光景自体がなぜかひどく懐かしい)。本来ランチ営業はオマケだったというが、考えたら5年のうち2年がコロナである。もともと小さな店なのにさらに席数を減らし、またもやマンボーで時短&アルコール提供自粛。他人事ながら涙が出そうになってしまう。てか、こんな手のかかったおいしいランチ(実はその場でベジ仕様にも対応してもらった)、これにコーヒーもつけて千円ぽっきりじゃ安すぎるでしょ!

もし他のお客さんがいなかったなら、おそらく私は「東京なら倍はとりますよ、私にとってはそのくらいの価値があります」とか言って札を2枚置いていったと思う。コロナが落ち着いたら、この居心地よさそうなカウンターで早く一杯やりたいものだ。

▲こちらは福島駅ビル内のスーパーで売ってる「はらこ飯」。これで680円という抜群のコスパで隠れ人気商品だったが、いつの間にか980円になってた。改定価格の方がたぶん、正しい。

他にも、コロナ以降に近所で若いオーナーが開業した個人店をいくつか知っている。先月紹介した花屋さんもそうだし、大手チェーンから独立したマッサージ屋さん、コンセプトのしっかりしたスープカフェにお茶カフェ。一方、昭和の時代からやってそうな喫茶店や時計店、セレクトショップなんかも頑張っている。私一人の消費などたかが知れてはいるが、同じモノ・サービスを買うならなるべくそういうところを利用したいものだ。

などと思いながら数日前、いちおう福島駅周辺で一番の繁華街であるはずの通りを歩いてみたら、ほんの十数メートルの間に「テナント募集中」の張り紙を3軒見つけた。原因はコロナだけではないんだろうが…… とりあえず早くコロナ終わってくださいmm

本格的ってなんだろ

福島県中通りに住んで丸8年、今日は初めてバスマティライスのビリヤニを食すことができた。

東京から福島県に引っ越して最初のうちは、「本格的な」インドとかタイとかベトナムとかのレストランが恋しかったが、そういうものは東京に帰ったときに食べればいいと割り切って、この頃はそういう飲食店をわざわざ探してまでは行かないようになっていた。

インド料理屋はもちろん郡山や福島には複数あって、私もいくつか入ったことがある。どこもカレーはそれなりに美味しいのだが、ライスといって出てくるのが、さすが米どころ福島、もちもちのコシヒカリ系なのである。いつぞやはサービスのスープですといってみそ汁が出てきたこともあって、これならむしろ焼き魚を出してもらった方が嬉しいかなと思ったりした。

そして、私が知る限りではメニューにビリヤニがあるところはめずらしい。あっても輸入バスマティライスを使ってるところはまずない。と思っていたら、今日ふと見つけたインドレストランにこの看板を発見。迷わず入店した。頼めばベジタリアン対応もしてくれてさらに嬉しさアップ。おかげさまで久しぶりにこの食感を楽しむことができた。

ところが、店のオーナーさん(日本人女性)に聞くと、バスマティライスはビリヤニだけで、カレーとともに供するライスは福島のおコメを使ってるそうである。インド人のシェフさん曰く、日本のおコメのほうがカレーと一緒に食べておいしい、んだとか(笑)。うーん、たしかにねぇ、隠し味に醤油なんか使ったあっさり系の「日本のカレーライス」にはコシヒカリだろと思うが、油もスパイスもたっぷりのインド惣菜には、やっぱりパラパラの長粒米が合う気がするんだけどなー。まあ、これも何が「本格的」かという思い込みが半分以上なんだろうね。なにより、経済的にも倫理的にも輸入米より地元産米を使った方が理に適うしね。

それにしてもランチとはいえ、これで800円は福島プライス。写真を見て完食できないと思い、量を減らしてくれと言ったら調節が難しいらしく、多すぎれば残してと言われたが、なんのことはない、心配など無用でぺろりと平らげた。ごちそうさまでした!

オリンピックとお盆が終わって、今週末は川崎に帰省を予定していたのだが、首都圏の感染者数まさかの爆増でさすがに躊躇したところ、母の方から今は来なくていいというので、それならばと福島市内でおとなしくしている。代わりに桃を送れとメールが来た。例年通り7月末には既に1箱送ったのだが、あまりにおいしいから追加で、というご注文だ。

桃には何十種類もあり収穫時期が少しずつ違う、というのは福島に来てから学んだことである。7月に送ったのは「あかつき」で、今から送るのは「幸茜」という種類になるが、桃と言えば生か缶詰かの二択の環境で長年暮らしてきた母に、品種による味の違いが分かるとは思われない(もちろん私にも分からない)。状態がいい「福島の桃」ならなんでもおいしく食べてくれるはずだ。

普段あまり果物を食べなかった父も、一昨年までは桃を送ると喜んで食べていた。昨年の今ごろは3度目の入院中で、口から食べられずに(誤嚥性肺炎のため)点滴だけで生きていたが、見舞いに行くと言ったら桃が食べたいと言う。ダメなのを承知で、小さく刻んだ桃を持ち込み、看護師がいない隙に一切れ口に入れた。そのときの「ああ、うまい」という父の声は生涯忘れない。が、飲み込んではいけないのですぐに吐き出させた。その2か月後、再び食べ物を口にすることなく亡くなった。

今年送った桃は母が仏壇に供える。私も朝食用の桃を買うたび、遺影に供える。あともう少し、桃の時期が続く。

思い出のバターチキン

突然ですが、バターチキンカレー。

ずいぶん市民権を得たものだ。東京あたりのインド料理店業界は、いまや北と南に完全分化するところまで来ていると思うが、そこまで全然追いついてない福島でも、ローカルの人気カレー屋さんが看板メニューで「バターチキン」を提供していたりする。そもそもスーパーにバターチキンのレトルト売ってる時代だもんね。

△本文と無関係ですいません

しかし私は、かれこれ四半世紀前に出会った、とあるバターチキンの味が今もって忘れられない。それは当時ランチでよく行った職場近くのアジャンタでもモティでもなく、今となっては名前すら思い出せない、中目黒商店街の小さな店だった。

私はその頃、川崎の自宅を出て中目黒で一人暮らしを始めたばかり。駅周辺にはまだ高層商業ビルなどなく、駅を出てすぐ長い商店街が始まっていた。当時から小洒落た店もあるにはあったが、全体に、いたって庶民的な雰囲気の漂う通りであった。

その小さな店は、たしか風呂屋の並び、電器屋の向いあたりにあった。開いてるのか休みなのかよく分からない店構え。夜は飲み屋だったのかもしれないが、私はたぶん「テイクアウトのカレー」という文字に惹かれて入ったのだと思う。カレーと言ってもインドの風情は皆無で、カウンターの内には日本人男性が一人。

いくつかのメニューからバターチキンを注文した。あまり愛想のないマスター曰く、「ちょっとお時間かかりますがいいですか」。

私は待った。おそらく30分以上待った。他の客もみな辛抱強く待っていた。

そしてついに来た。待ちくたびれてテイクアウト容器からその場で食べた記憶がある。その味の衝撃は、25年後の今も覚えている。それまで知っていたオレンジ色の油ぎったバターチキンとは、見た目からして違うものだった。

もしかするとあれは正統派のレシピではなく、マスターオリジナルだったのかもしれない。でもそれはどうでも良い。以降も私は各地のインド料理屋で百回くらいは食事しているはずだが、今もってこれを超えて美味いと思った「バターチキン」に出会ったことはない。

でも、いくらおいしくても毎日食べる類のものではない。何やかやで間が空き、次に行ったときには休みではなく閉店していたと記憶する。飲食の商売は、今も昔も継続するのは大変なことだと思う。その後、中目黒駅前も再開発でずいぶん変わった。もう10年以上訪れていないが、商店街の面影など残っているのだろうか…

初めて福島のカレー屋でバターチキンをテイクアウトして、しみじみ昔に思いを馳せた秋の夜長でした。

ごちそうさま

ナス、トマト、キュウリ、インゲン、オクラ、枝豆、トウモロコシ、シソにミョウガ。そして桃。盛夏である。

私が福島に来て最初の役場勤め時代は、とにかく食べ物を頂くことが多かった。出張土産の菓子はもちろん、兼業農家の同僚や釣り好きのご主人を持つ同僚、お菓子作りが趣味の同僚などから、季節の野菜、とれたてのイクラ、プロ顔負けの手作りスイーツ等々。

フリーになったらそういう有り難い職場の頂きものは激減したが、それでも女子会だのなんだので集まると、食べきれないからもらって〜という農産物のおすそ分けは結構頂いた。

そして、コロナで人と会わなくなったら当然おすそ分けもほぼ皆無に。それでも今月は果樹園の手伝いに行った友人からハネ物の桃を1箱頂き、もうしばらく食べないでいいわーというくらい堪能したが、その他の野菜果物はせっせと買い出しに行かねばならない。

新鮮な旬のものが安く買える産直は大好きだが、難点といえばおひとりさまには量が多すぎることである。中でもシソやミョウガなどの薬味系は、ドサっと1袋買ってしまってからハテどうしたものかと悩む。ミョウガなんてスーパーなら3個の値段で20個くらい買えるのだから、使い切れずに捨ててもいいや、とはどうしても思えないタチなので、むしろ薬味から献立(全て酒のアテ)を考える日々が続く。

そこへ先日、SNSの友人の投稿で、叩いた梅干しとミョウガを和えてアボカドに載せるというカンタンレシピを発見。以来、大量のミョウガが見る間に消費されるようになった。(そういえば昔、ミョウガを食べすぎると馬鹿になると聞いた記憶があるが、私の頭くらいでは気にする必要もなし。)

ちなみにシソは、カボチャとナスの揚げ浸しに大量に載っけて爆食いがマイブームである。

75年前の今ごろ、終戦直後の東京。小学生だった母はひもじい日々を覚えている。お腹を空かせて学校から帰ると、カボチャをぐずぐずに煮たものがオヤツだった。調味料がないから味付けもない。薬味どころではない。夕飯はパサパサのサツマイモ一つ。農業の経験のない祖父が小さな畑を借り、見よう見まねで作ったイモだったが、いくら腹ペコでもまずいものはまずい。泣きながら食べたそうだ。

その祖父はまた、家族のために満員電車で食料の買い出しにいった。痩せた身体に満杯のリュックが重く、転ぶと仰向けにひっくり返った亀のように立てなかったが、誰も助けてくれないのが悔しかったという。そんな祖父があるとき、わずかな白身の肉を買ってきた。「今日はごちそうだぞ、これはヘルカという肉だぞ」。みんな喜んで食べた後にカエル肉だと知って仰天したそうだ。

もっとも母の記憶もかなり怪しいから、こういう昔話の細部がどこまで正確か分からない。が、戦後の食糧難、特に生産手段を持たない都会の住民にとってコメや野菜などの基礎的食料の入手が困難を極めたことは確かだろう。それらを売る側の農家が「偉そうにしていて悔しい思いをした」という祖父の台詞は母の脳裏に焼き付いているようだ。

たった75年で世の中こうも変わるとは……ね。今日もおいしいミョウガと梅干しとアボカドとカボチャとナスとシソを頂きながら、しみじみこれを書いている。