農業とともに人類の不幸は始まりき(その3)

このタイトル、しつこいですか?すいません。でも今年の農家バイト体験は、私にとってそれだけインパクトがあったということなんですわ。日記ブログなのでお許しを。

「キュウリの収穫と箱詰め」という求人広告に応募したはずの農家バイトだが、キュウリの時期が終わっても、次は稲刈り、それからネギの収穫と出荷、その合間にキュウリ畑の片付け、と続いている。その話は(その2)に書いたとおりで、業務内容は募集広告からけっこう乖離してきているが、いろんな作物の栽培現場を見ることができて大変いい勉強になっている。

そして今週は、加工用の高菜の収穫・出荷というものを経験した。葉ものは初めてだ。これはあの、ミレーの「落ち穂拾い」の姿勢が永遠に続く、まことに腰にこたえる作業である。週の中盤は中通り地方でも氷点下になり、朝の高菜畑は一面の霜だった。前日に根っこを落としておいた高菜は地面の上で真っ白に凍みている。これをカゴに詰めていくのだが、まあ指先の冷えること。焚火をおこしてもらってなんとかなったが、一時は手がちぎれるかと思った。(写真とってる余裕がなかったので、下の写真はウィキから借用)

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収穫した高菜を入れたカゴは、ひとつ10キロ以上ある。それを2つずつ一輪車に載せ、畝の上を横切って運ぶのも、かなり体幹が鍛えられる作業であった。最終的には400に近いカゴ数になったはずから、畑を何度往復したことか(もちろん一人でやったわけではないが)。この農家バイト、10月末から勤務自体は週4回から2回に減らしてもらい、代わりにせっかく減った体重がリバウンドしつつあったが、この高菜で少しはまたシェイプアップしたかもれない。w

それにしても、夏は炎天下、冬は氷点下の屋外で、文字通り日の出から日没までのこういう身体的な重労働が、エアコンの効いた室内でパソコンをカタカタやっている9時5時の仕事よりも往々にして給料が低いというのは、なんだか腑に落ちない。この農家さんの時給が安いと文句を言っているわけではない。現代社会において、農業というものがそういう地位に甘んじなければならないことに、不条理を感じるのだ。

しかしながら、この不条理が何に発祥するかというと、やはり、1万年前の農業の誕生そのものなんである。食料が狩猟採集でなく「生産」されるようになると、人は定住し、人口が増加し、都市が生まれ、仕事が分化、つまり自分の食べるものを自分で作らなくてもよい階級の人々が誕生した。食料は徴税(年貢)のちには市場取引という形で調達すればよくなったのだ。狩猟採集に比べ、植物の栽培というのが重労働なのは自明である。そんな重労働を「農民」に任せられる都市部の人々は、その時間を他の「専門的」な職能開発に充てることができた。開発には教育投資が必要なので、その職能への対価は投資回収分を含んでどうしても割高になる。

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というのは、「サピエンス全史」に多分に感化された私が勝手に考えた理屈であり、実際には農業にも当然専門性が要求されるのだが(特に現代農業には肥料や農薬、機材の知識は必須)、世間一般には、一度になるべく多くのネギを折らずに引き抜く技術や、空を見て3時間後の天候が予測できる能力よりも、エクセルやパワポを使いこなすスキルのほうに高い値段が付きやすいのは事実だろう。

と考えると、その点「兼業農家」というのは折衷案的に優れた選択肢なんだな。もっとも兼業の度合は様々だが、サラリーマンやりつつ自家消費分だけのコメや野菜を作っている世帯も含めれば(これは農水省統計の「兼業農家」定義には当てはまらないらしいが)、実は兼業農家は大都市圏以外の日本国民のわりとデフォルトな生活形態なんじゃないかと思う。昨今は、都市住民が志向するライフスタイルとして半農半Xというシャレた言い方もするようだが、人間は自然にそういうバランスをとるように設計されてるのかもしれない。

さて、私もいつから半農生活に入れるでしょうかねぇ… まずはベランダ菜園からかしらん。


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農業とともに人類の不幸は始まりき

今月初めから、キュウリ農家さんでバイトを始めた。これまでにも自家消費用の小さなキュウリ畑で収穫体験させてもらったことはあるが、ここは専業なので規模が違う。数十メートルのキュウリのトンネルが何本も並び、さらにそういう畑が何か所にもあるのだ。1日の出荷量が500キロを超えるときもある。

DSC_1933本業がパソコン仕事なので身体を動かす副業をしたかったのと、農業というものへの興味(ビジネスとしてではなく食べ物をつくる過程への興味)から、チラシに載っていた季節限定バイトに応募した次第だが、「身体を動かす」といってもジムでマシンをやるのとは訳が違う。予想以上の重労働である。

いまのところ、選別と箱詰め、集荷場への出荷(荷の上げ下ろし)、天気がよければキュウリ畑で芯止め、蔓止めという作業が主な仕事だ。ずっとかがんでやる仕事とずっと背伸びをしてやる仕事があって、バランスがとれて良いんだか一か所に負荷がかかりすぎて良くないんだか、よくわからない。

身体が慣れていないせいもあって、最初の2、3日は腰も膝も首も悲鳴をあげ、とんでもない仕事に応募してしまったと一瞬後悔した。パートの女性たちの中では、おそらく私がいちばん若造だと思われるが、みな「暑いね~」とか言いながら何でもない顔をしてやっている。しかも毎朝自分の畑をやった後に、この農園でバイトをしているという人もいるからすごい。

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初夏にサクランボ果樹園の手伝いをしたときもそうだったが、キュウリみたいな身近な野菜でも、その生産現場を体験すると、はぁこういうことになっているのか、と学びの連続である。たとえベランダ菜園でもキュウリを育てたことのある人なら、下葉をとったり蔓をネットに固定したり、芯を止めたりという作業は多少はお馴染みなのだろうが、私にはその経験もない。こんなに手間をかけないと売り物のキュウリはできないのか… この作業はどんなにロボットやAIが進化しても絶対リプレイスできないだろうな… などと、54メートルのキュウリトンネルの中で感慨にふける。

露地もののキュウリはいまが全盛だ。一日数センチ伸びるというキュウリは、朝晩に収穫をしないと大きくなりすぎてしまう。お盆だからと成長を休んでくれる訳もなし。したがって、キュウリ農家さんは休みがないのだ。出荷期間中は週7日、基本的に早朝から夕方まで働きどおしなのである。そんな激務のせいかどうか、この農園が属しているキュウリ専業の出荷組合も、徐々に組合員農家が減ってきているのだという。

こうして私が腰や首に湿布薬を塗りながら出荷したキュウリは、東京の大田市場に送られ、主に首都圏のみなさんの食卓に上る(はず)。

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いまから約1万年前に農業というものが始まってから、ヒトの不幸は始まった――。それは、ベストセラーになった「サピエンス全史」を読んで目から鱗の学びだった。その感想を興奮気味に話したら、相手の人が「BIG HISTORY~宇宙開闢から380億年の『人間』史」という立派な本を贈呈してくれたのだが、それを読んでますます「狩猟採集から農耕への転換=人類の不幸の始まり」を確信した。

その本曰く(農業が出現した最初期の状況について)、「考古学はまた、狩猟採集民にとって必ずしも農業のほうが魅力ある生活様式とは映っていなかった点も示している。(中略)そもそもみなが農耕民になることを望んでいたわけではなかったようである。これはおそらく農業という生活様式が、狩猟採集よりも肉体的に相当にきつく、健康に良くなく、精神的に疲れることも多かったせいだろう」

農耕民として人々が完全に定住し(それ以前でも一部定住していたらしいが)、人口が増え、水利や土地をめぐって権力というものが生まれ、コミュニティが複雑化した。支配層が生まれ、都市が生まれ、そこには自分の食べ物を自分では作らない職業の人々が集まっていた。

「都市(ウルク、長安、・・・ローマなど)が威光と権力の中心だったとすれば、その資源のほとんどを供給するのが町や村だった。小作農は、ときには大地主のもとで農場労働者として働きながら、町や都市で消費される大量の農産物を生産した。あらゆる農耕文明で、大多数の一般市民から支配層へと富が流れていく様子が観察できる」

日本でも「重い年貢に苦しむ農民の姿」は時代劇などでお馴染みだけれども、驚くことに早くも紀元前2千年紀末のエジプト新王国時代の「書記のための練習帳」には、「これだから小作農に身を落としてはならない」と書いてあるんだそうだ。

もちろん現代日本の農業は農地所有が基本だし、「都市への農作物の供給」も徴税ではなく商取引という形で行われている。それでも、こういう史実を知ると、今の世の「農業離れ」もむべなるかなと思ってしまう。

でも、いまさらみんなして狩猟採集には戻れないのであるから、だれかがこの爆発的に増えた人口を、その大部分を占める都市住民を、食べさせなければならない。都市住民はせめて、自分の口に入れるものを誰がどうやって作っているのか、一度見て知っておくべきだと心から思う。

と、3年半前に福島に来るまでほとんど土を触ったこともなかった私が言うのもおこがましいが、単純に土にまみれるのも楽しいものである。「エクササイズ」にはならないが「運動」には違いない。地方暮らしならではのこの農家バイトが終わるころには、私も長靴・頬かむり・腕カバー姿が堂に入っているかしらん。

農業とともに人類の不幸は始まりき(2)

農業とともに人類の不幸は始まりき(3)


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味噌とともに熟成を目指す

いま我が家には芋焼酎のボトルがある。ふだん家で飲むのは白ワインか日本酒。もっぱら醸造酒派の私がなぜ焼酎なのか。

それは味噌をつくったから!

先週たまたまお誘いを受けて「味噌づくり講習会」というのに参加し、生まれて初めて味噌づくりを体験した。基本、大豆を蒸して、米麹と塩を合わせたものと一緒に練り混ぜるだけ。余計なものが入らない分、原材料の良し悪しが味を決めるんだろう、くらいは私にもわかる。

有機農家さんの組織「福島県有機農業ネットワーク」主催の講習会であるから、当然、大豆も米麹も無農薬で育てられたものだ。蒸しあがった大豆はそれだけでバクバク食べられるほど甘くておいしい。

その大豆の生産農家さんは、7町歩(ちょうぶ、と読むんだよ)の田畑で有機農業をやっていて、コメや野菜も作っているという。1町歩=約3000坪で7町歩といったら、かなりの広さである。周りの農家が高齢化し、うちのところもやってくれと言われて引き受けているうちに、そんな広さになったのだそうだ。

農業は当然、天候に左右される。そのうえに有機農業は雑草や病気との闘いだ。1反の田んぼからとれるのコメは6~8俵(1俵=60㎏)だと言っていた。以前に勤め先で兼業農家の職員に聞いたときは、1反10俵と言っていたから、やはり無農薬では収量が少なくなるんだろう。

いま味噌、醤油、納豆や豆腐の材料になる大豆は大部分が輸入だそうである。「安い外国産に押されて」というのは何でも同じ。ましてや無農薬で作れば、価格競争力という意味では厳しいと思う。だれしも身体にいいものを食べたいが、背に腹は代えられないとなればそれまでだ。誤解を恐れずに言えば、「オーガニック」とは一部の「意識高い系」の人々に許されたゼイタクであり、マクロでみればやはりニッチ市場なんではないか。

自分は別に意識が高いとも思わないが、平日昼間から無農薬大豆と無農薬米麹と沖縄から取り寄せた海塩で味噌づくりができるなんて、やっぱりこれはゼイタクである(写真のベジランチも、調味料まで無添加という意味で超ゼイタク)。

DSC_0895さて、冒頭に戻ろう。なぜ味噌に焼酎か?

大豆と米麹と塩を混ぜて練ったものを容器に詰めて熟成させるのだが、その容器を消毒するためだ。消毒用アルコールでもいいけど一番いいのは35度の焼酎、と聞いて、消毒用アルコールは飲めないが焼酎なら飲めるではないか!と買いに走った次第。(ただし私の好きな芋焼酎は25度のものしかしかなく、ちゃんと消毒できただろうか若干心配ではある)

この味噌、食べられるようになるのは10か月ほど先である。そのころ私はいったい何をしているだろう。味噌といっしょに少しは「熟成」してるだろうか。味噌の仕上がりとともにそれも楽しみだ。願わくば、顔より脳みその皺が増えんことを。

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