これからの天災は忘れる前にやってくる

少し時間が経ってしまったが、先月13日(土)の福島県沖地震の話。当日、報道を聞いて心配した友人からたくさんメッセージをもらったが、私はたまたまその週末は川崎の実家に帰っていた。木造築40年超の我が実家もけっこう揺れて、急いでテレビをつけたら福島が震度6という。私も福島の友人たちのことを心配して一晩スマホにかじりついたが、幸い知っている範囲にケガ人も大きな被害もなかったようで一安心した。

私自身は日曜の夕方に福島に戻るはずだったが東北新幹線がストップ。翌日には復旧するだろうとタカをくくってしばらく静観していたら、再開まで10日以上かかるという。あわてて数年ぶりの高速バスを予約しようとして驚いた。以前は1日10往復以上していた福島交通/JRバスの「あぶくま号」が、1日2本に減便されているではないか!コロナの影響がここまで来ているとは知らなかった・・・それほど利用客が減っていたのか。ショックだった。

その後に代替交通手段としての存在意義が見直されたのか、2月24日の新幹線復旧までの数日間、「あぶくま号」は一定数増便されたと記憶している。そして先ほどネットで調べたら、2月25日から現在まで、途中の郡山止まりも含めて1日5便が復活運行しているようである。ただし、これも4月以降はどうなることやら。

実は、「あぶくま号」の他にも別の会社が運行する新宿~福島~仙台の直行バスが、夜行も含めて1日数本走っていることを後から知ったのだが、それまで私の頭には高速バスといえば「あぶくま号」しかなかった。東京からの移住当初、二本松市に住んでいた頃に高速バスを利用していて、二本松バスストップという停留所があるのは「あぶくま号」だけだったのだ。たまたま今の私は福島駅近くに住んでいるから他社の直行バスでも良かったのだが、(東京~福島の途中にある)須賀川や郡山、二本松で乗降したい人はやはり「あぶくま号」が無くなったら困るのではなかろうか。

それに加えて先日発見して大きなショックを受けたのは、JR「おトクなきっぷ」の一部の廃止である。私がしばしば利用する福島⇔仙台の新幹線Wきっぷなどは特に割引率が高く、かなり助かっていたのだが・・・ これも間接的にはコロナのせいなのか・・・

さて、私は1日2便に減った「あぶくま号」のチケットを無事入手して、5時間かけて福島に戻ってくることができた。地震から4日ぶり。強烈な揺れで窓が外れたとか割れた食器が散乱したとかいう友人の話を聞いていたので、マンションのドアを開けるときは恐る恐るだった。ところが、幸い室内は拍子抜けするくらいほとんど何事も起こっていなかった。もともと背の高い家具等は置いていないが、絶対に落ちていると思った卓上の植木鉢がそのまま。棚上のスプレー缶までそのままだったのにはびっくりだった。この話をすると、おたくは免震構造ですかと聞かれるがそういう訳ではない。普通の耐震である。揺れの性質や方向的にラッキーだっただけだと思う。

今回の地震は死者が出なかったためか全国はもちろん県内ニュースでも、もうその後の報道はほとんどされていない。しかし場所によっては、倒壊こそ免れたものの深刻な被害を受けた建物も実は少なくないようだ。知り合いに見せてもらった写真には、バツの字に大きな亀裂が入った壁からコンクリがこぼれ落ちているマンションや、梁だか柱だかが折れて落ちている室内が写っていた。これでは本当に怖くて住めないだろう。常磐道の一部や二本松市内では大規模な土砂崩れもあった。本当に死者が出なかったのは幸運であり、津波が来なかったことを天に感謝するしかない。

10年前も、もし津波さえ来ていなかったら犠牲者の数は桁違いに少なかったはずだし(東日本大震災の死因の9割は溺死)、原発事故も起きていなかったかもしれない。起きていなければ避難生活のストレスなどによる「震災関連死」も起きずに済んだ。それでも溺死以外の死亡が千人以上いるのだから大災害であったことには間違いないが、後世にこれほどまでのインパクトを残すことはなかったのではないか。

まあ、今さらそんな「たられば」を言ってみてもしかたない。先月の震度6強も10年前の余震だというのだから、東北ではこれからも「その後」はまだまだ続く。福島ではそもそも原発事故そのものが終わっていない。

再びあの規模の(あるいはそれを超える)地震と津波が来ても、私たちはもう想定外とは言えないが、こんどは新型コロナという想定外が日本中・世界中に起こってしまった。結局、すべてを想定することなどできないけれども、それでも起きてしまったことから何かを学び、次に生かさなければ、犠牲になった人たちは浮かばれない。「風化」=残された人たちが何も学ばず同じ災禍が繰り返されること。だとすれば、私は何を残しただろう、というより、私は何を学んだだろう。心もとないが自らに問い続けねばと思う。(写真=福島県双葉町に昨年開館した伝承館)

リサイクル考

先日、久しぶりに郡山市のフェスタというショッピングモールに行った。地方都市の郊外には、でっかい敷地にスーパーとホームセンター、百円ショップ、本屋、ファーストフード等々がワンセットになったモールが点在しているが、このフェスタはその中でも特大サイズ。実際、売り場面積では福島県内最大だそうである。

といっても、今回私は福島市から車で50分かけてわざわざ買い物をしに行ったわけではない。ここでしか買ってくれないものがあったからわざわざ売りに行ったのである。向かった先はBOOK OFF。福島市内の近所にも店舗はあるが、今回は本やCDのほかに衣類も売りたかったので調べたところ、最寄りで衣類の引き取りをしているのは郡山フェスタ店のみだったのだ。

もっとも、売るといってもノーブランドの着古し衣料が数着だから二束三文なのは承知である。本だって1冊10円クラスがほとんどだし、分量もわずか。福島〜郡山間のガソリン代を考えたらむしろ足が出るくらいだ。だから、今回のBOOK OFF訪問は、経済合理性よりも専ら「捨てる」ことの罪悪感から逃れるための行動であった。

衣類の断捨離気分になったのは、正月の帰省がきっかけである。実家で父の遺品整理に精を出したところ、男性用スーツをはじめとする衣類については、いまどきAOKIさんやコナカさんが大抵のものは引き取って再生してくれることを知った。勇んでスーツケース一杯の衣料を2回ほど実家近くの両店に持ち込み、店で使えるクーポンと引き換えて大満足。父の着ていた服がゴミにならず、モップでもマットでも自動車の吸音材でも、なんらかの役に立つものに生まれ変わるなら、気分的にはもちろん環境にもいいと思えるではないか。

折しも仕事でサーキュラー・エコノミーの話を聞く機会があった。オランダではジーンズを販売ではなくレンタルするビジネスが成功しているという。なるほど、借り手から返却された使用済みジーンズから新しいジーンズを再生する技術なんて、すばらしい!

父の黒セーターとカシミアマフラーは私が有り難くリユース中。

だが待てよ・・・とも思った。衣類を回収し、繊維まで戻して他のものに作り替える、その過程でどれだけ多くのエネルギー(電力・ガス・燃料等々)が使われるのだろうか?おそらく水も大量に使われるんじゃなかろうか?昨日の新聞には、ユニクロのファストリは「ジーンズの加工工程で水の使用量を最大99%減らす環境対策を進めてきた」と書いてあった。逆に言えばそんなに減らせるほど大量に使っていたということだ。

リサイクルする過程で原材料の節減を上回るエネルギーや水を消費するなら、もったいないなどと言わず、全部まとめてゴミとして燃やしてしまった方がよほど「もったいなくない」はずである。もちろんどのメーカーさんも、その辺のプラスマイナスを計算した上でのリサイクルなのだろうとは思うが・・・

エネルギーや水の節減という意味では当然、リサイクルよりも原型のままリユースされる方がいい。古紙がトイレットペーパーに生まれ変わるより、古本が古本として読まれる方がいい。古着が吸音材やモップに生まれ変わるより、古着のままだれかに着てもらったほうがいい。そういう意味では、そのまま再販するのが前提のBOOK OFFのような店に持ち込むのがベターなのではと思う(売れないものはやはりウエスなどになる運命らしいが)。あるいは途上国向け等の支援物資として寄付するという手もある。実際に父の衣類の一部はそうやって寄付したのだが、これはこれで現地での産業育成の妨げになるという説もあって悩ましい。

でも、そもそも廃棄かリユースかリサイクルか迷うほど不要品が出るのがおかしい、とも言える。幸い服のサイズはこの40年変わってないんだから(ささやかな自慢)、傷む前に飽きちゃう、そんな買い物は慎みましょう。ねぇ、わたし。

Uターンもいろいろ

今日の日経の社説は「息の長い地方分散に取り組もう」。私自身、東京から地方への移住組だし、仕事上も地方創生政策の交付金のおこぼれに与っているので、こういう目線は結構なことだと思う。だが、なんだか大事な点が抜けているように感じた。

今年の正月、実家から福島への帰りはグランクラスでプチ贅沢(もうすぐ軽食提供は終了するそうで私にとっては最初で最後)。

社説によれば、コロナで東京都からの転出が増えたといっても、転出先は周辺3県がほとんど。首都圏の一極集中是正がほど遠い理由は、以前のように地方からたくさん上京してきているからというより、東京圏から人が出て行かないからなのだ。社人研の人口移動調査では、東京圏生まれの人は9割がその後も東京圏に住む。東京圏に住む人は7割が東京圏出身で、若い世代ほど比率が高い。特に両親とも東京圏出身だと地方に住む比率は1%になるそうだ。

私の父は神奈川県川崎市生まれ。母は東京日本橋生まれだから、その娘がこうして福島に移住しているというのは、その1%の希少な部類に入るということだ。では残りの99%が東京圏を出て行かないのは、よく言われるように「地方には仕事がない(と思われている)から」だけなのか?それこそテレワークの推進で、東京の高給を維持したままどこでも働けるとなったら、もっと圏外へ流出してもいいはずだ。でもそうなっていないのは、人は結局、親・親族の問題から離れられないという理由が大きいからではないか?子どもの数が少なく、独身者も多い東京圏はなおさらだと思う。

一度は東京を離れた1%組にしたところで、田舎の親が高齢になり都会の子どもがUターンするのと同様、都会の親が高齢になって「都会へUターン」だって十分あり得る。実際、昨年父を亡くし、高齢の母が一人暮らしとなってみると、いくら甲斐性のある弟が近くにいるとはいえ、近い将来、お気楽独身の自分が帰って世話をすべきなのかと悩む。もともとフリーライター稼業は在宅仕事。ミーティングは基本オンライン、最近は取材もオンラインがさらに増え、本当にどこでも仕事ができるようになった。東京でなくてもいいが、福島でなくてもいいのだ。

もちろん、母の方を福島に呼び寄せる可能性も考えなくはない。福島市内ならそれなりに大きな病院も介護施設もある。ただ、既に一度生死の間をさまよう大病をし、それでなくても皮膚科だ整形だと病院にかかり、認知症の気味もある母の場合、まったく新しい環境でこれまでの病歴を知らない医者にかかるのは、おそらく現実的ではないだろう。そして、いずれ私自身が高齢になって支援が必要になったとき、親族のいる東京圏に戻ることが最も現実的な選択肢になるはずだ(実際そうするかどうかわからないけど)。医療はオンライン診療が解禁されても、身体介助はオンラインでは受けられないのである。

昨年1月初めの両親。この1年の間にいろいろなことが変わった。

こういう点に、日経の社説はまったく触れていない。地方活性化のためには、地方出身者が地方へUターンするだけでなく、「東京圏出身者に地方に目を向けてもらうことが重要」という日経の主張はきっと正しい。が、東京圏出身者にだって「帰らねばならない(あるいは離れられない)東京圏という故郷」があるのだ。

日経の提案は、各地方の大都市(大阪、名古屋、広島、福岡、仙台など)を「東京圏への人口流出に歯止めをかける橋頭保と位置づけて重点支援する」というもので、これは私もその通りだと思う。広井良典さんのいう「多極集中」だ。ただ、そこへ東京圏から人を呼び込もうとしたら、その鍵は日経の言うような「企業の集積」や「大学の研究開発力の底上げ」だけなんだろうか。高齢者や病気持ちでも何の不安もなく暮らせるという医療・介護先進地になることが、結局一番なんじゃなかろうか。そういう場所がいま日本中どこを探しても無いことが、みんな不安なのだから。

変わる

福島駅前にあった県北唯一の老舗デパート、中合(なかごう)が8月末に閉店して3か月余り。大した買い物もしてなかったくせに言うのもなんだが、百貨店というものは無くなってみると意外に不便である。例えばちょっとしたお使い物。手土産のお菓子ならどこでも買えるが、少し気の利いたハンカチやタオルセットなどは意外に見つけるのに苦労する。この度は、父の遺影に供える線香とろうそく(アロマ用のじゃないやつ)を買いたかったのだが、あらためて仏具専門店を探さねばならなかった。【追記:スーパーでも売ってた…】

▲中合デパート@4年前の師走▲

バイト先でそんな話をしていたら、福島市ネイティブの同僚から「昔は中合の他にもデパートいくつかあったんですよ」と教えられた。昔っていつごろか?と思い調べてみると、長崎屋が1999年まで、さくら野が2005年まで営業していたらしい。駅近くに3つもデパートがあったら結構にぎわっていただろう。それが次々倒れていき、最後の中合も今年ついに力尽きた。屋上のロゴ看板も建物外観の意匠も、古き良き昭和の趣のまま、令和までなんとかがんばってきたのにね。

デパートの苦境は新型コロナ云々以前から言われてきたことだ。広く浅く何でも売っている、という業態はもはや時代に合わないということなのだろう。最上階のお好み食堂だって、寿司からカレーからラーメンからスパゲティからお子様ランチまでなんでもあること自体が魅力だったのに、いつの間にか逆に専門化していないことがダサい(この表現も昭和だな)時代になった。

▲在りし日の中合の食堂▲

人間もどうやらそういうことになって久しい。ひとつの会社でいろんな部署を広く浅く経験してジェネラリスト(というかその会社のスペシャリスト)になるよりも、どんな組織でも通用するような自分の専門性を磨いて「ジョブ型」で勝負するのが現代風のようだ。

私自身はたまたま、ジョブディスクリプションがあってそれに対して年棒いくら、という雇用契約形態で長年仕事をしたが、告白すれば、決して自ら計画的にその道を選択したわけではない。大卒時、バブル全盛の売り手市場だったにもかかわらず人並みの就活を放棄し、「安定した」日本企業に新卒で就職せず、のんきにバイトしたり夜間学校に行ったり語学留学などしていた私が、結果的に潜り込めたのは外資系企業しかなかった。そして、そこではそういう専門職の道しかなかったのである。

その世界を出て、地方自治体という別世界に入ったのが7年前。広報専門の期間限定応援職員だったから、私自身の意識はそれまでのジョブ型と大して変わらなかったが、正職員の人々はまるで違う。数年でローテーションしていく彼らは、たまたま広報の担当になったからといって広報のプロではないし、そうなることも期待されていない。住民課はもちろん、税務、健康保険、介護福祉、住宅、水道、農政、商工労働、総務、そして選挙のときは選挙事務。行政というものの根幹にかかわる仕事は幅広く、それらをひととおり経験して初めて、一人前の行政パーソンとなり、その町・村のことならなんでも知っているスペシャリストになるわけだ。

私にはそれが「あるべき姿」だと思われた。特に役場と住民との距離が近い小さな基礎自治体では、それこそ住民が求める役場職員だと思うからだ。

だから(って比較に少々無理があるのは承知だが)、一見「なんでも屋」の百貨店にだって、ちゃんと存在理由とニーズはあるんじゃないかしらん・・・【追記:もちろんジョブ型メンバーシップ型は優劣の問題ではなく、それぞれ適する仕事があるということだ。なのに、世の中一律「ジョブ型にしないともう時代遅れ!」的な論調が見られて違和感いっぱい】

このところ福島駅前では再開発が進んでいる。中合跡地にも複合施設ができるそうだ。一足先に完成した小ぶりの商業施設に入っているカフェでお茶をしながら、その向いに完成間近の福島県立医科大学のビル校舎を眺める。街並みは常に変わっていく。新陳代謝は悪いことじゃない。必要な機能さえ残れば。

刷り込み

先月初めの話だが、生まれて初めて鮫川村というところへ行った。さて、それは福島県のどこでしょう?(地図は県庁のホームページから拝借)

日本で三番目に大きい福島県には59の市町村があるが、ご覧のとおり各自治体のサイズはかなりバラついている。昭和41年に14市町村が合併してできた最大の「いわき市」なんか単体でひとつの「地方」を形成している一方、県中・県南の境あたりには小さな自治体が密集している。(ついでに言うと、この地図では白河市の市名だけ「県南」の文字に隠れてしまい気の毒である。)

世の自治体合併の潮流に乗ることを拒否ってきたこれら小さな町村は、同じ福島県民からしても「どこそれ?」な場合が多い(すいません)。今回私は某団体の取材を頼まれ、もらった資料に所在地が福島市と書いてあったので安心していたら、話を聞くべき相手は鮫川村にいるとわかり、あわててgoogle map様のお世話になった次第。

で、みなさん鮫川村の場所は発見できましたか?

答えは、いわきと接する自治体のうちのいちばん南である。我が福島市からは途中まで高速を飛ばして120分。いちおう比較しておくと、新幹線で東京-福島間は最短90分である。

初めて訪れた鮫川村は、阿武隈の山間にある、いわゆる鄙びた山村だった。阿武隈山地は、上の図でいうとピンクの中通り地方と黄色の浜通り地方の境の一帯に南北に延びる。平均標高が500メートル程度だそうで、山地ではなく高地と呼ばれることもある。日本百名山もなく有名な温泉もなく取り立てて景勝地もなく、はっきり言って地味。日本全国どこにでもある「いわゆる鄙びた山村」の風景が広がっている。かたや吾妻連峰に浄土平、磐梯山に猪苗代湖に五色沼、さらに数多の極上温泉が点在する磐梯朝日国立公園が、観光名所として「非日常の自然」とすれば、阿武隈は人々の暮らし、農林業が営まれる場としての「日常の自然」である。

それもまた、いい。車を走らせていて気分は高揚しないが、なんとなく表情筋が緩む感じ。実際、この一見どこにでもある山村の風景がいい、という理由で阿武隈地域にIターンUターンした人たちを私は複数知っている。

しかし、不思議だ。こういうのが日本人にとって「心の原風景」などと言われれば、京浜工業地帯の真ん中で生まれ育った私でも「なるほど、そうだ」と感じてしまう。一体どこでどう刷り込まれたのか・・・