食べる瞑想

今般、国から10万円がもらえるという。私は今のところ、有難いことに家賃や光熱費が払えなくて困っているような状態にはないので、一定額を適切と思う団体に寄付した後、残りは地元の飲食店の応援に使うべく、先月からせっせとテイクアウトを試してきた。

AFYL4371とはいえ一人で食べられる量にはおのずと限界があり、おひとりさまはこの方面では大した貢献ができないことがほどなく判明。加えて、2週間ほど前から歯を悪くしてしまい、治療が終わるまでいつものような大食ができない状態になっている。

身体のどの部位でもそうだが、ふだんと違う状態になって初めて「ふだん」というのがどれだけ有難いことかを悟る。歯が欠けてできた隙間にモノが挟まって痛むので、一度に口に入れる食べ物の量を減らし、入れたらうまく左右に散らしつつ、隙間に挟まらない部分で慎重に咀嚼しないといけない。

おかげで食べている間は全神経を口内に集中することとなり、

・・・いま私は右で噛んでいる。
・・・いま私は左の4番で噛んでいる。
・・・いま私は舌と上顎で飯粒をすりつぶしている。
・・・いま飲み込める状態になった。

と、思いもかけずヴィパッサナー瞑想の実践になっている(笑)。

そもそも歯が欠けたのは寝ている間の噛みしめ癖のためだ。ずいぶん前から歯医者にいくたび指摘されてきたことで、歯を保護するため就寝中につけるマウスピースも十年以上前から持っているが、つい着け忘れて寝ることのほうが多く、大して役に立っていない。対症療法だけでなく噛みしめ癖そのものを治したいのだが、いま診てもらっている歯科医によれば、噛みしめはストレス発散であり、がんばって癖をなくそうとしない方がいいんだそうである。

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しかしなあ。私のストレスレベルは、6年半前に「稼いでナンボ」の東京砂漠を離れて福島に来た時点で半分以下になり、3年前にフリーになった(=プチリタイヤした)ときから限りなくゼロに近いと思ってるのだが・・・。どうやらストレスというのは仕事のプレッシャーや人間関係だけから来るものではないようだ。

もともと家で仕事が基本、外食も稀な私にとって、昨今のステイホームも新しい生活様式も大した変化とは感じていないのだが、テレビやネットからの情報過多で知らず知らずストレスをためているのだろう。

実際ネットには全く読むに値しない情報が溢れている。いまや完全オフラインの生活など不可能だが、せめてSNSで流れてくる動画で時間をつぶすのは止めようと改めて心に誓う。(ちなみに、昔から一度は行ってみたいと思っているヴィパッサナー瞑想合宿は10日間の完全デジタルデトックスであるが、まだその機が巡ってきていない。「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリが実践してるらしいので最近は大人気かもね)

ともかく早く歯が治って、家でも外でもまたモリモリ食べられますように!

ということで、10万円の残りは治療費に消える見込みであります。

(写真は、お気に入りのベトナム料理店のテイクアウトと、先月友人宅でごちそうになった手料理)

英検の勉強はじめてみた

OXJZ7206ゆっくり起床。ゴミ出しついでの散歩と軽い体操、もしくはヨガ風体操&瞑想もどき。ちょこっと掃除。ほぼ毎日同じ内容のブランチ。英検の勉強。読書。ちょこっと買い出しand/or 図書館。ついでにちょこっとお茶。合間にメールチェック。5時をすぎたら晩酌開始。ほぼ酒の肴のみで構成される夕飯。ちょこっと(で終わらないときもある)ゲーム。風呂。ちょこっと体操。読書。就寝。

このところ、仕事のない日の私のスケジュールはだいたいこんなものだ。幸い、週2回のアルバイト先は(今のところ)休業していないし、フリーの物書きの仕事も、今はヒマだが来月以降は(現時点では)そこそこ予定が見えている。だいたい昨年も一昨年も年度初めはこんなものであって、だから昨年比収入減を根拠とするナントカ給付金も申請できそうにないが、それでも自分は恵まれている方だと思う。

さて、この歳になってなぜ英検の勉強かというと、まずはボケ防止の頭の体操であり、とはいえまだ完全引退はできないので、この先もいくらか使うであろう自分の「英語力」というものをここらで再度客観的に示す資格を取っておくのも悪くないと考えたからだ。

実際に過去問や練習問題をやってみて、私の場合明らかに足りないのは、与えられたテーマに対し与えられたキーワード2つを使って120~150語で答える英作文の能力である。

  • 会社は年功ではなく成績に基づいて従業員の評価を行うべきか?
  • 日本の高校教育は改善されるべきか否か?
  • 日本の消費者は将来より多くの輸入品を購入するようになると思うか?

そりゃねえ、ケースバイケースでしょう。前提条件にもよるでしょう。そんな簡単に白黒言える問題じゃないでしょう・・・などと考えてはいけないのだ。実際に自分がどう思うかに関わらず、物事をかなり単純化して書ける論旨で書かないといけない。目下その訓練の最中である。

  • 今般のコロナウィルス禍のおかげで地球温暖化に歯止めがかかると思うか?

こんな質問が出たらどうだろう?少なくとも一時的にはそうだろうと思う。「コロナウィルス、地球温暖化」で検索すれば、すでに温暖化ガスの排出量が25%減ったのどうのという情報が出てくる。短期的に悪いことではなかろう。でも、ダイエット後のリバウンドと同じようにアフターコロナのリバウンドも恐ろしいことになる可能性は高い。

リバウンドを止めるには、人々の行動を制限する同様のパンデミックが繰り返し起こるしかないのか。その過程で何百万人が死亡しても、それは現生人類に対する自然淘汰の圧力と考えるしかないのか。あるいは、次のパンデミックの前に人々の心が変わり、なんでも24時間OKという生活様式が終わりを告げ、食べるものは地産地消で大部分まかなうようになり、今回のパンデミックで仕事を失った都市部の人々がみんな地方へ移住して農業に従事するようになったら・・・

いや、こんな作文ではダメなのはわかっている。ではどう書けば・・・

(写真は図書館の隣の県立美術館、その庭に咲くハナカイドウ)

写真のないブログ

朝、カーテンを開けたら陽がまぶしい。快晴。なのに、彼方の吾妻連峰が今日は見えない。もったりとした綿帽子のような雪雲が里の方まで降りてきている。散歩に出たら案の定、吹き下ろしてくる風に仁丹のような氷の粒が運ばれてきて、ぷち、ぷち、ぷちと身体に当たった。

山の向こう、会津のほうは今年最後の雪か。それでも地球はちゃんと公転を続けている。

散歩コースの荒川土手は、この辺りで河川敷がだいぶ幅広になっていて、そこにかなり背の高い木々も生えている。何という落葉樹か知らないが、まるで広げた手のひらの動脈のように枝が下の方から分かれていて、今の時期、その毛細血管の先から薄緑色の小さく柔らかな炎がゆらゆらと育っていく。

まもなく、今は死んだように見える無数の下草たちも自然のままに青くよみがえり、鳥たちの格好の隠れ家になる。

それでも今年少し様子が違うのは、木々の根元に去年の台風で上流から流れてきた枝や蔓や根っこなんかが鳥の巣のように絡みついたままになっていることだ。「巣」の背丈はおそらく私のそれよりも高い。下草たちもなんとなく、下流にむけて身体を傾げたままになっている。この辺りでは幸い水が土手を越えることはなかったが、河川敷の背の低い草木たちは全身水の下で必死に土にしがみ付いていたのだろう。

東に向かって朝の土手を歩くと、まだ茂らない木々の枝を透かして荒川がきらきらする。乳白がかった薄青色の水面にラメを散らしたような光の粒が揺れるのは、晴れの日ならばいつものことだが、今日のような風の強い日はそのラメが、まるで川中を光る太刀魚が泳ぐかのように一直線に並んで動いたりする。

風景は穏やかな一瞬の連続だ。

今回は敢えて写真を使わずにおく。ふだん私が仕事で書く文章は人の話や会社の話、ブログで書くのも世間の話やたわいもない自分の経験話であって、こうして目の前の情景をただ描写するという作業はほとんどすることがない。今どきなんでもかんでも写真一枚載せれば済む。なんなら最近は動く画も使える。百聞ならぬ百文が一見に如かないのは当然であっても、一方でそうやって百の文章を紡ぐための語彙力表現力は確実に失われつつあると思う。

これからプロの作家になろうというわけではないが、人間いくつになっても目標は大事である。畏れ多くもかの石牟礼道子さんのような表現領域にほんの僅かでも近づきたいと、このたび性根の入れ替えを決心した。まずはいつもの荒川土手の風景で練習を始めてみた次第である。

いつもお読みくださっているみなさま、ありがとうございます。これからこういう投稿も増えるかもしれませんです。引き続きよろしくお付き合いいたけましたら幸いです。mm

初めて十和田と山形へ行ってきた

ひと月ほど前の話になるが、「大人の休日倶楽部パス」というものを初めて利用してみた。4日間、JR東日本のフリー区間が何度でも乗り降り自由。もちろん新幹線も乗れるし、指定席も6回までOK。それで15,270円であるから、普通の「大人の休日倶楽部ミドル」の5%割引で福島ー東京を1回往復する(16,280円)より安い。だから、これを利用して実家に帰るだけでもお得なのだが、人間とは欲の生き物である。4日間乗り放題と言われると、東京往復だけじゃ勿体ない。どうしても4日間毎日新幹線で遠出しないと損した気がするのだから、我ながら浅ましい。

実際さすがに4日間毎日は無理だったが、2日間を使って、初日は八戸からの十和田往復バスツアーに参加、2日目は山形市内をぶらぶら歩きに行ってみた。どちらも人生初だ。十和田も山形もふつうは雪国のはずだが、暖冬の今年は本当に雪がなく(少なく)、歩きやすくていいような拍子抜けするような、おかしな感覚ではあった。

以下、めずらしくフォトレポートでお届けします。

▲十和田の町中はこんな感じ。1月半ばでこれ?雪マジ少ない。

▲こちらは十和田現代美術館。大変良かった。展示もほとんどが静止画撮影OKなのが太っ腹。

▲奥入瀬の入口も雪はこれしかなかった。例年の半分以下だそうな。
▲馬門岩の氷瀑。雪は少ないけど気温は低く、ちゃんと凍っていた。
▲十和田湖はどこまでも静かであった。このあと星野リゾート奥入瀬渓流ホテルで温泉ひとっぷろ。

▲翌日の山形市。文翔館(山形県郷土館)はけっこう見ごたえあり。なのに無料でこちらも太っ腹。

▲山形市街ほぼすべての植込みに施されていた雪囲いは、この時点(1月中旬)ではまったく不要であった。
逆に、普通の年ならこれほど必須なのねということが知れて勉強に。
▲山形日帰りの目当ては「ひっぱりうどん」。香味庵まるはちさんではちゃんと旅行者向けの「山形づくし」があった。イモ煮、こんにゃく、漬物寿司がセット。大満足。

こういう「お得な切符」が使える年齢になったら積極的に地方へ出かけ、できる範囲でお金を使うことは、ある意味でミドル世代・シニア世代の義務のような気もする。もっとも、往復はJRで現地バスツアーは大手代理店手配、泊まる宿も全国展開の大手ホテル、というのでは地元は大して潤わないわけだが、それでも「人が訪れる」ことで現地にも何某かの効果はあろう。鉄道会社とてホテルチェーンとて、各地域が元気でなければいずれ彼ら自身がビジネスを失う。それが分かっているからこその「お得な」ディールなのだから、使う方もそういう理解で使いたいものだ。

ということで、福島でもお待ちしております!^^

福島で二度目の風邪ひいて考えさせられた

かなり久しぶりで風邪をひいた。たしか前回は6年前の2月、東京から二本松市に引っ越したばかりのころ。東京でも福島中通りでも何十年に一度という大雪が降ったときだったと思う。慣れない雪かきのせいで(?)発熱し、勤め始めたばかりの役場を欠勤した記憶がある。

数日前、このちょっと熱っぽい感じ懐かしいなーなどと余裕をかましながらオ◯ロンの株主優待でゲットしたデジタル体温計を引っ張り出し、左の脇下で測ると36.6度。あら?と思って右脇で測り直したら37.4度。ワタシやっぱり昔の水銀式がいいわ(笑)

念のため近くの内科に行ってインフルの検査をしてもらう。陰性。良かった。でもやっぱり聞かずにはいられない。「先生、あの、例のコロナウィルスに感染してるかどうかは……」

「検査薬ができるのは早くて数ヵ月後だと言われています。できたとしても福島に来るまでにはもっと時間がかかるでしょうね。東京とか人の多いところが優先されますから。あるいは全部中国に送られちゃうかもしれない。だから、福島に届くとして2年後ぐらいでしょうかね」

なるほど、こんなところにも「地域格差」があるのか。検査薬がそうなら治療薬も同じなのかね。まあこの先生が言うことが100%正しいとは限らないが、そういう側面も確かにあるのだろう。むしろアッケラカンとそんなことを言う先生に感心した。

おかげさまでこの度は、37.5度以上になったら飲むようにともらった頓服薬は一度も飲まずに回復した。が、考えさせられた。いよいよ重篤な病気になったとき、いろんなものが進んでいる東京でいろんな最新治療を受けられたほうがいいのか、むしろ何も検査も治療しないで静かに看取ってくれるところを選んだほうがいいのか。

皆さんはどちら?(^^)

(写真は回復直後の爆飲爆食のようす)