生活のはなし

こんな日もある

老親の様子を見がてら月に一度のペースで帰京(上京?)する。往復の新幹線はたいてい最速のやまびこ号に乗るが、どういうわけか福島に戻るときは各駅停車のなすの号でゆっくり行きたい気分のときが、たまーにある。

△福島市街を走る東北新幹線△

在京の学生時代・前職時代の知友人と久しぶりにしゃべり倒した後などは、たぶん余韻を楽しみたいというか、福島という今の私の現実世界に戻る前に何かワンクッション必要なんだろう。世の中のお父さんたちが真っ直ぐ家に帰りたくない気持ちって、こういうことなのかしらん(笑) 私の場合は誰にも邪魔されない一人だけの快適な空間が待っているわけで、決して帰りたくないわけじゃないんだけどねぇ。

今回もそんな感じで、17時のやまびこに余裕で乗れたところを敢えて17時12分のなすのに乗った。福島まで2時間弱のくつろぎタイム、セブンより美味しいと聞いたローソンのバスチーとLサイズのカフェラテを持ち込んで、準備は万端だ。

いつも自由席だが座れなかったことはない。この日も10分ほど並んで問題なく2人がけの窓際をゲットはしたが、へー、この時間のなすのってけっこう混んでるのね。東京から45分の小山ではホームのエスカレーターに並ぶほど人がたくさん降りていき、こうやって新幹線通勤してる人は多いとんだなと知る。

バスチーを平らげ(たしかにローソンの方が私好み)、ラテを味わい、スマホをいじってるうちに宇都宮を過ぎた。さて、ちょいとウトウトしようかな……

△下り東北新幹線は福島駅を出るとすぐ信夫山トンネルに入る△

と思ったら、なんと「次は終点」のアナウンス。へ?那須塩原止まりなんてあったのか。なすのは全部仙台まで行くものと勝手に思っていて、乗る前にちゃんと行き先を確認してなかった。アホや。

仕方なく人生初の那須塩原駅前で下車。次の各停仙台行きが来るまで30分近くある。カバンに読み終えた軽い本が2冊入っているが、再読する気にはならない。そうだ、さっきデザート食べちゃったけど夕飯はまだだ。遅くなりそうだから那須塩原スペシャルの駅弁でも!と思ったら「当駅では駅弁のお取り扱いはございません」。…onz

この駅にはそういう状況の乗客も多いのだろう、那須高原玄関口のリゾート駅だとばかり思っていたが、待合室は明らかにリゾート帰りではない人々でけっこう満席。みんな手持ち無沙汰にスマホをいじっている。

結局、17時の最速やまびこに乗っていれば18時半に着いたものを、1時間以上遅れて19時40分に福島駅到着。真っ直ぐ帰りたくないついでに、久々の一人うまか亭(しかも飲まなくてもいいビール付き)で余計な散財までしてしまった。

ま、こんな日もある。

なすの号に乗りたいときは、東京でたくさんインプットがあって脳がいっぱい刺激を受けた証拠だ。悪いコトじゃないから懲りずに乗りたい。だけど行き先はちゃんと確認しようね、ワタシ!

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何を学ぶか

生まれて初めて災害ボランティアというものを体験した。これまで身近な場所で募集されたことがなく(たぶん)参加の機会がなかったというのは、思えばラッキーなことである。

各地に被害をもたらした台風19号、福島市内でも私の家からさほど離れていないエリアがかなりの深さで浸水した。テレビでは見ていたが、初めて現場に入って人の身長よりも高いところに水の跡が付いているのを見ると、本当に恐ろしいと感じる。この地区では津波のように家ごと流される被害はなかったのが不幸中の幸いで、水が引いた後の家々は一見ふつうに建っているのだが、中はものすごいことになっていた。

▲左側の建物のさらに左手が川。この狭い道路は水没し、かさ上げしてある家も1階の半分くらいまで浸水した。

この日の活動は主に、1階の鴨居付近まで水につかったお宅の片付けを2軒。めちゃくちゃになった部屋の中にあるものをとりあえず全て外に運び出すのだが、その過程で図らずも、そのお宅の生活の全てが見えてしまう。

家具や家電、食器や衣類はもちろん、泥まみれの中から出てくる細々したものたち。明らかにお仏壇の中にあったものや、きっと大切であろう写真類などはすぐに見分けて家主に渡せるも、他のものは基本的には全部まとめてゴミ袋に入れるしかない。その中にだって持ち主の思い出が詰まった品々はたくさんあったのだろうが・・・

▲大森川。増水した阿武隈川に合流できず、土手が崩落したという。

そして、泥水を含んだ畳がこれほど重いとは。古いお家なだけに、最近よくあるナンチャッテ畳ではない。本物のイグサの立派な江戸間サイズだ。一枚運び出すのに若い男性でも4人がかりである。絨毯もしかり。個人的には最近やっと和室の良さが分かってきたところだったが、こうなるといちばん楽なのはやはりフローリングですね、としか言えない。

この日のボランティアは、福島大学の学生グループをはじめ総勢30人以上。平日にもかかわらず若い男性も少なからずいたおかげで、五十路のおばさんは比較的軽いものの片付け担当で済んだ(それでもかなり腰にきて翌日は使い物にならなかった・・・情けない)。が、これが高齢者ばかりの集落で若い男手が来なかったら、本当にもうお手上げであろう。

他にも主要国道が土砂崩れや路肩崩落で通行止め、ローカル鉄道は運休。私にとっては、自分の生活圏内で経験する初めての大規模自然災害となった。それでも私個人の生活に全く支障を来していないのは、幸運以外の何物でもない。

▲この規模の浸水ではおそらくほぼ役に立たなかった土囊。

福島県内の被災地は、もちろん福島市だけでなく各地で似たような状況だ。浜通りの一部ではいまだに断水も続いており、一日も早い復旧を願うばかりである。

農産物の被害も恐ろしことになっているはずだ。一年間丹精込めた作物が一晩でダメになる切なさ。しかも、台風は地震と違って来るのが分かっていながらほぼ為す術がない。素人でも想像するだけで心が潰れる。

この規模の台風は今後、増えこそすれ減ることはないのだろう。せめて日本付近を通らないよう祈るしかない。

Life goes on

思えば人類史は自然災害との戦いであった。現代人は忘れがちであるけれども。

福島県内も各所で河川の氾濫や堤防の決壊があったが、幸い私の住む周辺は無傷で済んだ。被害にあった地区の一日も早い復旧を祈るばかりである。

上の写真は、このブログでもたびたび登場する私の散歩コース、荒川土手。台風一過の今日16時半ごろに撮影したもので、もうだいぶ水は引いていた。広い土手のグラウンドは完全に水没したらしく、サッカーのゴールポストの位置が変わっている。手前にあったはずのもう片方のゴールポストは姿が見えなくなっていた。

福島市内を流れるこの荒川はその名の通り昔から洪水が多い暴れ川で、1986年の8.5水害では死者の出る被害があったそうである。8.5水害とは関東甲信越も含めてかなり広範囲に被害が出た大災害だったらしいが、当時東京の大学生だった私はまったく記憶がない。いかに世の中に無頓着だったか。まったく恥ずかしいくらいボーッと生きていたものだ。

今回の台風で、福島市が誇る観光道路の磐梯吾妻スカイラインもまた当分の間通行止め。紅葉のピークシーズンを前に関係者はさぞや落胆しているだろうが、それもこれも天のなせる技だから仕方ない。

一方で今日、福島市街にある福島稲荷神社の例大祭は予定通り行われ、出店が並び、山車が練り歩いているらしい。もちろん自粛すべきというわけではないが、テレビでもSNSでも被害のニュースばかりだからなんだかこのギャップは不思議な感じだ。

▲4日前に行った二本松菊人形展にはこんな一角も。12日は休園したが13日から再開とのこと▲

地震、津波と比べて河川の氾濫は、治水技術の向上であたかも克服できたかのように錯覚してはいなかったか。人類、奢ってはならないと改めて思う。

どんな状況でもみな心穏やかに過ごせますように。

アラ還は阿羅漢

今月、自動車運転免許の更新をした。なんと、福島県に引っ越してからもう2回目だ。

来た当初はほぼペーパードライバーだったが、こちらでは車なしでは生活できない。この5年半ほぼ毎日ハンドルを握って無事故無違反。ゴールド免許をキープしている。なので講習は30分、更新料は3000円で済んだ。これが、あと15年すれば2時間5100円の高齢者教習が必須になるんだなぁ…(怖)

昔からド近眼なので老眼は遅いと思っていたが、最近はやはり手元の見え方が違う。とりあえず免許の更新には差し支えなくても、5年前には感じていなかった「老化」の現象がこのところ顕著である。やっぱり女は閉経してからが第二の人生なのね…(鬱)

で、四捨五入してアラ還になった記念に、新しい遠近両用メガネを作りに行こうと思い立つ。そのときちょうど着ていたのが某ファストファッションのTワンピ。風呂上がりにカパッと着る部屋着にちょうどいいと思って買ったものだが、いちおう膝は隠れる。目指す眼鏡屋は幹線道路沿いで、どうせ車だし、このまま行ってしまおうかと姿見を覗く。そしたら、そこに映っていたのは紛れもなく「アッパッパを着たおばさん」であった…(愕)

まあ年齢に抗ってもしかたないので、下に黒いスパッツを履いただけで潔くアッパッパのまま出かける。こうやって人生と面の皮は厚みを増していくのだな(笑)

夜には83歳の母親に電話して、産んでくれた礼を言う。本人は娘の誕生日など忘れていたが、「なぁに、75歳まではまだまだ」と人生の先輩らしいお言葉を賜る。

そうか、あと20年、まだまだか。阿羅漢を目指す以外、現世利益的にもう一仕事せよということか。さーて、何しましょ?

(1枚目の写真)自宅から車で20分、土湯峠のロードパーク。この時期、ホーホケキョとカナカナカナが一緒に聞こえる。

(2枚目の写真)先月、広島は宮島で食した名物の「あなごめし」。鰻はダメだがこれはOK。

あぁ、健康保険

今年も健康保険税の支払いが始まった。サラリーマン時代を振り返って何に感謝するかといえば、社会保険の半分を会社が払ってくれていたことだ。で、当時は良くも悪くもすべて給与天引きだったが、フリーの今は健康保険だけは敢えて自動引落としにせず、振込み票を持って毎回コンビニに向かう。

▲本文と無関係ですが、前回投稿した広島旅行より。宮島は千畳閣にて。

私にとっては、消費税よりも社会保険のほうが重税感が強い。保険は相互扶助であり税金とは違うといわれても、加入・非加入の自由は原則なく、所得があれば有無を言わせず課されるのだから税と同じだ。事実、健康保険に関しては保険料とは言わずに保険税という。

消費税は、高額なものを買えば税金も高く、安いもので良ければ税金も安い、という意味においては至極公平な税だと思う。消費の内容によって払う税額をある程度「自分で選べる」とも言える。けれども、健康保険税は自分が享受する保険サービスの多寡とは無関係に負担する税だ。子無しおひとりさまの自分は、少子高齢化を招いた責任の一端をこうして背負わなければならないのだ、などと自分に言い聞かせるしかない。

もっとも、実家に帰ると老いた親が、やれ痛い、やれ痒い、やれ耳が詰まったとかで医者に通い、ただ気持ちいいだけの電気治療を受け、耳掃除をしてもらい、市販のと大して変わらない軟膏や湿布を大量に処方されてくるのを目の当たりにする。私の保険税は回りまわってそういう親の治療費を払っているのだと思えば、帳尻は合っている気にもなる。耳掃除や湿布なら大した額ではないが、事実、もう4年前になるが母が重病で死にそうになったときはずいぶん長いこと病院のお世話になり、それこそ国民健康保険がなかったら大変なことになっていた。(あっても大変だったけど)

▲こちらも広島旅行より。尾道の艮神社。

いま、両親ともに労働収入はない。彼らはひたすら消費するだけ、医療費を使うだけである。私を含む現代日本人がみな骨の髄まで毒されている「生産性」という指標で測るなら、ほぼゼロである。でも私個人にとっては、「おかえり」と言ってくれる存在なだけで有難いのだけれどね。思うように動かなくなってきた身体にいらだち、母は「ああ情けない、もう早く死んぢまいたいよ」などと口走る。これが自分の親でなければ、「ええ、早く逝っていただいた方がこちらも経済的に助かります」と感じるものだろうか。

その両親も先日の参院選ではなんとかかんとか投票に行った。たまたま私が帰省していたので付いていったが、私なら15分で行って帰ってこられる距離を、散歩がてらと言いつつトボトボ1時間かけて往復すれば、二人とももうグッタリである。家からスマホで投票できるようになったら便利だと思うが、彼らはスマホ自体持っていない。

ちなみにどの政党に入れるのか聞いたら、母は「安楽死なんとか」というので笑った。実際はどうしたのか知らないが、まぁこういう一票も少なくないのであろう。

私が彼らの歳になる30年後、日本はどんなことになってるだろうか。決してバラ色には思えないが、いたずらに怖がるだけではどうしようもない。いちばんの自己防衛は何か?それはおそらく、寛容になることなのだ。自分にも周囲にも。

もちろん、言うは易しい。努力するしかない。

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