老害ってこういうこと?

6月は株主総会の季節だ。二十年来ほそぼそと投資をしているので、この時期は複数社から総会資料が郵送されてくる。どの会社も、たいてい単元株しか持ってない私にも数十ページの資料をフルでちゃんと送ってくれる。それを有り難いと思い、隅々とは言わないが一応全ページに目を通し、欠かさず投票ハガキを返送してきた。それが次回から、総会資料は原則オンライン提供になり、郵送希望者にはフルではなく一部抜粋の資料が送られてくるようになるらしい。(そのための定款変更がみんな総会議案になっていたので判明した。)理由はわかるし、ぜんぶ賛成はしたけれど、なんだかなーと思った。

△福島市飯野町にあるUFOの里、からの良い眺め

クレカの利用明細も郵便で届く。いまどき紙で受け取る人は少数派なのかもしれない。実は一度、紙をやめてネットで確認方式に変更したのだが、月に一度しかログインしないものだから毎回パスワードを忘れる。その度に再発行してもらうのが面倒になり、また紙に戻してもらったのだ。それがまもなく、利用明細郵送には手数料がかかるようになるそうだ。理由はわかるけど、なんだかなーと思った。

銀行引き落としになってるマンションの管理費明細も、一昨年から郵送ではなくネット確認になっている。管理費・修繕積立金は毎月定額だが、福島(市)の集合住宅では水道料が管理費と一緒に請求されるというおもしろい方式を採用しているため、水道料金部分を確認するには明細が必要なのだ。これも5回くらいパスワード忘れて再発行してもらった後、もう面倒になってここ1年くらいアクセスしてない。水の使用量は大して変化するわけでもないから放ってあるが、やっぱりなんだかなーと思う。パスワード忘れるほうがいけないのは承知してるけど。(生前の父はパスワードを全部シールに書いてパソコン画面の周りに貼り付けてあった。それダメじゃんと諭しはしたが気持ちはよくわかる。)

△UFOの里の有名なラーメン

銀行口座に関しては、私はネットと通帳を併用している。その中で、ゆうちょ銀行の通帳は次回繰り越すときから有料になるそうだ。ネットだけでも普段の生活に不便はない。だが、私の死んだ後に資産を処分してくれる人は、通帳が無くてネット口座のパスワードも不明だったら出入金明細わからなくて不便じゃない?そのまえに、自分が認知症になってIDもパスワードも思い出せないかもしれない。実家の母(86)はそこまでボケてはいないが、キャッシュカードすら使ったことがないのであるから、通帳が無くなるといったらパニックになるだろう。

デジタル化、ペーパーレス化、キャッシュレス化を進めるのは、効率化・コスト削減が是である限りもちろん正しい。次のイノベーションを生む基礎だというのもわかる。ただ、一定の選択肢を残してほしいとは思う。そのぶんのコストは受益者負担でしかたない。と、民間のサービスなら思うが、これが行政サービスとなると悩ましいところだ。紙の広報誌を配布するのはコストがかかるから有料にします、必要な行政情報はSNSで配信しますって言えるかなぁ。デジタル化先進国ってどうなってるのかなぁ。

ちなみに最近、スマホ画面の文字が本当に読みづらくなってきた。字の小ささではなく(それなら拡大すればいい)スクロールして画面上で文字がダーっと動くのがダメなのだ。昔から頑なに文字サイズを変えない日経新聞(紙版)のほうが、まだ読みやすい。紙は自分の目の方を動かして文字を追えるからじゃないかと思う。新聞がスマホでしか読めなくなったら、やっぱり困るなぁ。。。

ガタンゴトン

ガタンゴトン。ガタンゴトン。

鉄の重さを感じる鈍い響き。新幹線は間違ってもこんな音はたてない。

子供のころ、線路脇の公園で遊んでいると、たまに貨物列車がやってきた。

ガタンゴトン。ガタンゴトン。

大きな四角い箱が後から後から。けんめいに数えたが、いつも途中でわからなくなった。

ガタンゴトン。ガタンゴトン。

それはまるで永遠に続くように思われた。

その線路はもちろん貨物専用ではなく、浜川崎線という南武線の支線の線路だった。いまでも走っているが、国鉄だった当時から結構マイナー路線だったと思う。さすがに電化はしていたはずだが、たまに乗ると子どもの目にも古めかしい車両だった。チョコレート色の角張った車体にチョコレート色の木の床。そこに、今でいうポールダンスのポールのような握り棒が立っていた。ドアの無い車両もあったような気がする。(ドアがないといえば、20代の最後を過ごしたシドニーで英語学校に通うのに乗っていた電車にも、ときどき付いてなかったっけ。おおらかな国だなあと思ったが、それほど空いてたのだよね。)

いま、いつもの荒川土手を散歩していると、川を渡るローカル東北本線の線路をたまに貨物列車が走るのに遭遇する。

ガタンゴトン。ガタンゴトン。

なんとなく郷愁を感じる音だ。

でもこないだ見た北へ向かう列車はやけに箱が少ない。スカスカなので数えるのも楽だ。

ガタンゴトン。ガタンゴトン。

どこが終点なのだろう。そこにはどのくらいの子どもが住んでいるのだろうね。

日本地図を眺めよう

福島に住んでいると、時折この県の広さを全くおわかりでない旅行プランを持つ旅人と遭遇する。

海外の人なら仕方ないかとも思うが、日本人では特に若い方々。どうも東北=首都圏、福島県=神奈川県、くらいのイメージらしい。でもね、県内の4大都市、福島・郡山・いわき・会津若松を、新宿・横浜・千葉・さいたまくらいの感覚で考えているとエライ目にあうのだよ。実際には福島県には神奈川県が6つ近く入るのだよ。

距離感がわからない理由のひとつは、いまの若者たちは大きな日本地図を広げて見たことがないから、じゃないかと思っている。彼らにとって地図といえば小さなスマホ画面の中にしかない。それも都合よく拡大縮小できるのだから、離れた場所の面積の大小がピンとこなくても仕方ないのだろう。

地方旅行では距離だけでなく移動手段も問題だ。もちろん、山手線のようなダイヤで電車が走っていないことは皆さんご承知なのだが、福島駅からのローカル線やローカルバス、都市間を結ぶ高速バスの時刻表を見ておどろく人は少なくない(コロナの影響もあって、もともと少なかった便数がこの2年でさらに減っている)。いちおう人口28万人を擁する県庁所在地、福島市でさえこうなのだ。

そもそも市内には実質的に車しかアクセスのない郊外の観光名所や商業施設も多い。おいでおいでと宣伝しておきながら、また高齢者の免許返上を促しておきながらそれってどうなのと個人的には思うが、市にしてもJRにしても福島交通にしても無い袖は振れないということなのだろう。結果、旅行者にとっては運転できるならレンタカーがベストではある。

地図アプリや乗り換え検索アプリも発達した現代、ざっくり「ここに行きたい」と思ったらとりあえず新幹線に乗り、後は現地で調べればいい、という感覚もわかる。実際、福島は「思い立ったら日帰りもできます」的な宣伝もしている。だけど、それは訪問先が新幹線沿い(中通り地方)の1か所の場合だ。

会津、中通り、浜通り。広い福島県には地方ごとに見るものがたくさんあるが、3地方間のヨコの移動にはかなりの時間がかかる。コロナもそろそろ終わり、夏秋の旅行を考えている方も多いだろう。せっかく来たからにはたくさんのものを見てほしい。だから是非、まず大きな日本地図で福島県と東北地方の大きさを認識し、行きたい場所間の距離を調べ、できればレンタカーを予約してご来福くださいませ~。

【写真上】吾妻小富士から眺める一切経山は活火山。どちらの山も観光道路「磐梯吾妻スカイライン」の途中にある浄土平から登れるが、そこまで行くバス便はない。ときどき自転車で登ってる人がいるけど。

【写真下】「道の駅ふくしま」フードコートの「大笹生(おおざそう=この辺の地名)カレー」。福島の飲食店としては珍しくスパイス類が効いている。先月オープンした道の駅は地域の産物満載で大賑わいだが、ここも福島駅からバスで往復するのはかなり厳しい。

私のストレス発散法

今年のゴールデンウィークは1週間の長きにわたって実家に滞在し、最後の2日を使って母(86)の衣類を処分しまくった。いったい身体いくつあるんですか、というくらい大量の洋服。母は引き出しに入れたものはすべてその存在を忘れてしまうとみえて、あちこち開けると同じような色や形のものが出てくるわ出てくるわ。一枚ずつ取り出しては「あらーこんなのあったかしら、でもこれ首回りが開きすぎだわ/丈(袖)が短すぎだわ/なんだか色(柄)が似合わないわ」等々で最後は「あんた、要らない?」

要・り・ま・せ・ん。

リサイクルできそうなのは引き取りサービスに出し、とりあえず母が自分で着る気になったものは全部ハンガーにかけて引き出しは封印。そうやっていつも見えるようにしておかないと、忘れてまた同じようなのを通販で買ってしまう。

と思ったら、案の定ピンポンと宅配便が届き、袋の中からまたもや同じような青いTシャツが。本人:「こんなの頼んだかしら?」

・・・ふ、ふざけんじゃねー!!!

と怒鳴りたくなる衝動は無理に抑えないほうが良い、むしろ格好のストレス発散だと考えることにして素直に思いっきり怒鳴る。

▲お彼岸に行かれなかった墓参りの帰り。母と弟と三人で父の好物だった老舗「大沼」の鰻を。

もっともこの「ふざけんじゃねー」は半分以上は通販会社に対して叫んでいるものだ。通販といっても母はネットでポチるわけではない。以前に二度くらい、ダイニングテーブルの端に積み上げられたカタログの通販会社に片っ端から電話して送付中止にしたはずなのに、行くたびになぜかまた新しいカタログが届いている。怒る私に母が「もう二度と通販で服は買わない」と約束するのはいいが、用無しのカタログを捨てるのだって大変なのだ。たまればけっこう重いので、母の力では紐で束ねることもできないし、決まった収集日に出しに行くこともできない。

もちろん通販会社だって商売だし、実際に通販を重宝している家庭もあろう。足腰が弱ってなかなか買い物にも行かれない母にとって、カタログを眺めるだけでも楽しいのは理解できる(だから2種類の通販だけはキャンセルせずにおいてある)。とはいえこの大量の紙、多額の送付コストは果たして正当化できる範囲内に収まっているのだろうか?そして送りつけた先の家をゴミ屋敷にしている可能性は正しく認識されているのだろうか?

私がやるようにたまに誰かが買いすぎを注意したり、たまったカタログを処分したり発送そのものを止めたりできる家ならいいが、そうでない家はいったいどうなってしまうんだろう・・・

そんなこんなで今年の黄金週間も終わり。帰りの新幹線の中で、怒鳴りまくった自分を少々反省しながら思い出した。20年くらい前のこと、当時勤めていた外資の保険・金融グループの社長の一人が毎月日経にコラムを寄稿していて、英語で書かれた原文を和訳するのが私の仕事だった。その米国人社長はとても文才がある人で毎回訳すのが楽しかったのを覚えているが、今回思い出したのはその中の一話だ。

その社長が休暇で生まれ育った実家に帰省する。そこには自分が子どもの頃に使っていたもの等がまだそのまま残っており、帰るたびに片づけてゴミに出すのだが、出しても出してもお母さんがゴミ置き場から持って帰ってきてしまう。ご両親はあのGreat Depressionを知っている世代。一度使ったアルミホイルまでシワを伸ばして引き出しにしまってある、というような話だった。(細部の記憶は不確かだけどもエッセンスはお判りいただけると思う。)

そう、「高齢の親によるモノためこみ問題」は洋の東西を問わないのだ。それだけ普遍的な課題であり深淵なテーマであって、簡単な解決方法などあるわけがない。

というか、解決しないほうがいい場合もある。たとえば、実家に帰って怒鳴る相手がいなくなったら私はストレス発散できなくなってしまうではないか。だからこの調子でもうちょっとがんばってちょうだい、母上。

2022年母の日に。

春の土手

今朝、一週間ぶりに朝の荒川土手を散歩したら、前回は咲いていなかったタンポポとオオイヌノフグリが足下で満開だった。ウクライナ国旗の色だなと思った。

しばらく行くと、用水路の水にのんびり浮かんでいたカモの夫婦が、荒川に合流した途端、速い流れに押されてくるりと向きを変えながら下っていくのが見えた。むかし遊園地にあったコーヒーカップという遊具を思い出す。

土手沿いには小さな児童公園がある。数本のソメイヨシノはとうに散ってしまったが、隣ではハナモモが狂ったように咲いていた。ショッキングピンクなどという言葉がなかった時代、人々はこの色をどう表現していたのだろう。幾重もの色濃い花びらが葉のない枝にみっしりとまとわりついて、少々毒々しい感じがしなくもない。

土手に面して建つ一軒のお宅は、畳三畳ほどの畑をつくっておられる。ここでも先月種を撒いたのであろう野菜たちが葉を出し花を咲かせていた。野菜の花はどれも控えめだが、どれも愛らしい。

もともと寒暖差の激しい福島市(@盆地)だが、4月は特に極端で、昼は半そで夜は暖房という日もめずらしくない。先週など、最高気温が昨日と今日で20度違うというときがあって、いくらなんでもこれはひどいと話題になった。桃の花に霜が降りたら、みんなの大好きなあの果物がとれなくなってしまう。防霜ファンなる機械もあることを初めて知った。農家さんは自然の力を借りながら、自然と折り合いをつけながら、営む生業である。

いまのところ季節は、地球の公転にあわせて少しずつ進む。地軸が傾いていてよかったね。

ときどき敢えて写真を載せない記事を書くようにしています(といっても2回目かな)。感覚から入力された情報を言葉で再現する練習、ということで。