50歳からの「正しさ」探し(2)柴犬の話

フリーランスになって、ほぼ好きな時間に散歩できるようになった。

家から数分の荒川土手がいつものコース。このところ暑くなってきたので、昼間でなく朝のうちに歩くようにしている。といっても私の「朝」はせいぜい8時台で、今の時期もう十分陽は高いのだが、それでもその時間だと犬を連れている人と時々すれ違う。

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昨日の朝は2人(2匹)と出会った。どちらも柴犬だった。午後も時間があったので、図書館まで歩いて行った。30分後に出てきたら、目の前のベンチに座っているおじさんの横に、やっぱり巻尾の柴犬がいた。

今日も、車の定期点検を待つ間に散歩していたら、立派なバラに誘われてつい覗いたお宅の庭に、「太郎邸」と書かれたこれまた立派な犬小屋があり、その中のワンコもやっぱり柴犬であった。

その4例をもって、福島の飼い犬は柴犬が多い、と断言するつもりはないが、そういえば、と思い返すと、この辺で出会う犬にカタカナの洋犬は少ない気がする。ミニチュアダックスとかトイプードルとかゴールデンレトリバーとかビーグルとか。そういう類にはこちらに来て3年、道ですれ違った記憶はない。(もちろんいるところにはいるんでしょうけど)

私の実家には常に犬がいた。生まれたときにいたのはボンという黒い雑種。よく覚えていないが、彼はたぶん私が小学校に上がってすぐくらいに死んでしまったと思う。

その後に来たのが柴犬だった。親がペットショップで買ってきた。今ならそんなことはせず、保健所なり保護犬の里親探し会などに行くと思うが、昭和の川崎の一般家庭にそこまでの「意識の高さ」はなかった。三河柴犬という種類で、秀吉の幼名にあやかり「竹千代」と命名された。でも犬を呼ぶのに4音節は長すぎ、ほどなく「タケ」になった。

タケは日本犬らしく独立心が旺盛で、門扉を開けるといつでも逃げ出そうとした。実際逃げ出して父が保健所へ探しにいったことも、一度や二度ではなかったと記憶する。知らない人にはよく吠えて、番犬としては立派だった。飼い主にもあまり媚びへつらった態度はとらない犬だった。たしか16年くらい生きて、最後はヨボヨボになって立てなくなった。当時は「犬の介護」という概念は一般的でなかったので、室外犬だったタケはただ軒下に横たわり、蚊に刺されまくりながら、苦しいよ、喉が渇いたよと鳴いた。昼ならスポイトで水を口に運んでやったが、夜はどうしようもなかった。ある日、仕事から帰ったら死んでいた。まだ体は温かかった。

この話をすると、いまでも涙が出る。犬好きの人なら一緒に泣いてくれるだろう。

でも犬や猫の死は悲しくて、ゴキブリやハエの死は一向に悲しくないのはなぜか。理由もなく猫を殺したら動物愛護法違反になるのに、ゴキブリを殺してもなんの罪に問われないのはなぜか。食べ物になる動物は殺してもいいのに、人間を殺してはいけないのはなぜか。

新しい問いではない。でも、小さな子どもにそう聞かれたら、果たして自分はなんと答えるのだろう。

そんなことも、自分の「正しさ」の由来を考えるきっかけなのかなと。


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50歳からの「正しさ」探し(1)

「たたみかた」という面白い名前の新しい雑誌が出た。神奈川県の小さな出版社が作っている。創刊号は福島特集。しかも自分の知っている人が載っているというので、最寄りの本屋に行ったら、なかった。出版元に問い合わせると、福島県ではいわき市内の1か所にしか置いてないらしいという。いわきはマイタウン福島市から高速を使っても2時間近くかかる。DSC_1442

Amazonでポチっとやれば済む話だが、たかが本1冊、電気からガソリンから多くの資源を使い、宅急便のお兄さんを過労に追い込んでまで届けてもらう必要はない、と自分に言い聞かせ、いわきに行く用事ができるのを待った。

幸い、その用事が比較的すぐできて、めでたく入手。

見れば、30代のための社会文芸誌、とある。編集長は1986年生まれの女性だ。中を開くと、30代のためだけあって字が小さい。余白がたくさんあっておしゃれなレイアウトなのだが、字が小さい。私がその年齢のころ、印刷物の制作会社で営業をしていて、クライアントから「字を大きくしろ」と何度いわれたことか。そのたび、デザイナーとともに「これ以上大きくしたらダサいじゃん」(ダサいは当時の言葉で「あか抜けない」という意味です)と悩んだものだが、いまとなってはクライアントさんごめんなさいである。

それはともかく。

「たたみかた」創刊の動機は、「正しさと正しさがぶつかりあう世界を超えていきたい」ということだそうである。巻頭言に曰く、

「自分の『正しさ』がどこからやってきたのかも知らないで、
他者の『正しさ』を理解しようとすることができるだろうか?」

さすがに社会文芸誌だな。直球だな。

で、私も自分の「正しさ」の素ってなんだろうと、いまさらながらちょっと考えてみたわけである。

DSC_1212アメリカ資本の組織には15年以上勤めた。たとえそうでなくても、「もはや戦後ではない」宣言の後の東京に生まれ育った私の世代は、知らないうちに「アメリカ型の価値観」が刷り込まれている気がする。その根本は、つまるところ、「自由」だと思う。

たしかに私にとって「自由であること」は命の次に大事なことみたいだ。

その後をつらつら考えているうちに、自分の価値判断の基準になっているらしいことがあと二つ、見つかった。「効率」と「適者生存」。

・自由であることが正しい。
・効率がよい、あるいは生産性が高いことが正しい。
・適者生存(不適者は自然淘汰されること)が正しい。

うむ。

近所の酒屋さんおススメの純米吟醸を飲みながら、ひとつずつ吟味してみますかね。(たぶん、つづく)


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だから私は動いていたい

年末年始は川崎の実家とその周辺で過ごした。

DSC_0857福島に移り住んでから帰京はおおむね月に1度、週末の2日間だったが、今回は半分フリーランスの「特典」も利用し、10日間の長期滞在。その間、実家の掃除と洗い物をしていない時間は、高校・大学・前々職・前々々職の友人たちと食べまくり、しゃべりまくった。合計およそ15時間のトークのうち、10時間以上は親の病気と介護の話だったと思う。そういう年齢だから仕方ないが、同じおひとりさま同士でも色恋の話がひとつも出ないのは、いかがなものだろうね(笑)

最後の方の1日は、掃除と洗い物と老親の相手、おしゃべりにも少々疲れたこともあり、品川駅近くの老舗ホテルに1泊した。いわゆる自分にご褒美ってやつですか。

いま東京はホテルラッシュということで、高層ビルの上階にモダンでおしゃれなホテルがたくさんできているが、私はやっぱり庭園のある老舗が好きだ。大した広さでなくても、都会の真ん中に土と木と水の空間があるのは、星の数など無関係のゼイタクだと思う。

DSC_0865とはいえ、私とあまり年齢の変わらないようなホテルは、生き残りのために設備更新が欠かせない。私が泊まったホテルも一昨年、約1年も営業を中断してリノベーションしたんだそうだ。改装して内装はモダンでおしゃれになっても、天井高と水回りにはどうしても年齢が露呈してしまうけれど、それもかえって懐かしい感じでいい。

一泊した翌朝は、ホテルから徒歩10分ほどの、以前住んでいたマンションの近辺を散策。この辺りには4年ほど前まで暮らしていたが、少し見ないうちに名前が変わったり営業をやめたり、あるいは新しくオープンしたりという店が結構あった。まったく東京の新陳代謝はすごい。個々の店レベルではいろいろ悲しい事情もあるのだろうが、東京が全体としてエネルギーを保っているとしたら、それは紛れもなくこの新陳代謝のおかげだ。

人間は新陳代謝が止まったら「死」だけれど、人間の集まりである町も同じだと思う。もちろん、どんどんビルを建て替えるのがいいとは思わないが、ハードよりもむしろソフト面で、定期的に古いものが新しいものにリプレイスされていくのは自然なことであり必要なことでもある。お気に入りの店がなくなったことを嘆くより、新しい店ができたことを楽しみたい。変化に対応するのはしんどいけれども、消えていくものにしがみついていたら後からもっとしんどくなるだろう。老舗でも絶えずリノベーションをしていれば健康寿命は延びるのだ。(被災地の復興プロセスを見ていても考えさせられる)

人間、歳をとればなおさら変化よりも現状維持が望ましくなるが、たいてい病気という望まない変化が訪れてしまう。両親にも一昨年からその大きな変化が来た。本人も家族もそれに向き合って対処していくうちに、気の持ち方や考え方のほうが変わってくる。いわばこころの新陳代謝かも…(福島生活とは無関係の記事が続いていますが、次回から戻ります。たぶん)

写真は、連れていってもらった渋谷のカフェと泊まったホテルの庭。


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これ以上ボキャ貧にならないために

うちの近所の街路樹は花水木だ。春に咲かせるピンクの花のイメージが強いが、今の時期はきれいに紅葉している。モミジのような華やかさはないけれども、午後の陽に透かした花水木の紅葉はハッとするほど鮮やかなガーネット色だ。葉の裏にはサクランボを小さくしたような真っ赤な実が隠れている。

ここで、あえて写真は載せない。「花水木、紅葉」でググればいくらでもきれいな写真が出てくるが、たまには頭の中で思い描く、というのもいいんじゃなかろうか?(てか、たまたまスマホ持ってなかったのね)

2週間ほど前には久しぶりに安達太良山へ行ったのだが、まさに錦秋という言葉がぴったりであった。ロープウェイで相乗りしたご夫婦が、「いろいろ行ったけどここがいちばんきれい」と言っていたのも頷ける。いくらスマホのカメラ機能が向上しても、所詮この美しさは画像ファイルには残せない。(でもこちらはいちおう掲載しておく)

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何でもすぐに写真に撮ってシェアできる昨今は、得も言われぬ色をなんとか言葉で伝えようなどと苦労しなくて済む。けれども、そのぶん我々の語彙は確実に貧相になっていると思う。

これ以上、ボキャ貧が進まないようにするには、いい文章をたくさん読んで、たくさん書くしかないだろう。

そういえば、読書の秋とも言うではないか。

仕事がら文章はけっこう読むし、県立図書館もお気に入りスポットなのだが、最近の読書はもっぱら評論だの解説だの実用的なものばかり。「いい文章」というよりは「わかりやすい文章」の追求に終始しているなあと、改めて感じる。もっと手ごたえ歯ごたえ噛みごたえのある文学作品はトンとご無沙汰だったのだが、さて、久しぶりに漱石でも読もうか。

先日、県立図書館に「漱石コーナー」が特設されてるのを見て、はじめて今年が没後100年だということを知った。思い起こせば高校生の頃、漱石が大好きでよく読んだ。小説だけでなく書簡や講演録なども読みあさり、漱石をテーマにした小論文も書いた記憶がある。

しかしまあ、吾輩や坊ちゃんはまだしも、倫敦塔や草枕などよくあんな漢字だらけの本を読んでいたものだ。いま見ると軽く驚嘆する。もしかして自分は高校生の頃のほうが賢かったのかもしれない。

それにしても、このころの人たちの書いたものは、なんというか、格が違う。「いい文章」などと評することすらおこがましい。「吾輩」のような初期の、多少おもしろおかしく書かれた平易な文章でも、そのへんの機内誌の気の利いたコラムなんかとは別次元だ。

その後の漱石の作品は、三四郎、それから、こころ、虞美人草、彼岸過ぎ迄、明暗、とだんだん暗く重くなってくるが、それでもみな朝日新聞の連載である。当時の新聞読者のリテラシーは、やはりいまと多少違う気がする。

いま借りている「孫が読む漱石」(夏目房之介)を読み終わったら、もういちどゆっくり「吾輩」から読み直そうか。来年また紅葉の話をする頃には、私のボキャブラリーも少しは豊かになっているかもしれない。

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第二章はじまりました

Life in Fukushima. このタイトルでブログを書き始めてから1年が経った。早いもんだ。

12111956_10207775313770028_7109728344491508631_n (1)福島県に住み始めてからは2年9か月になるが、最初の1年9か月はいわば「お試し移住」期間で、東京にも「帰る家」があった。思うところあってそこを引き払い、荷物をぜんぶ福島に持ってきたのが1年前。その半年後にはマンションも買ってしまった。

買ったというと、「じゃあ福島に永住するんですね」みたいに言われるのだが、私の場合、家を買う=永住するという感覚はまったくない。家とて基本的には他の資産と同じ、事情が変われば貸したり売ったりすればいいものと考えている。しかし、それでもこんなタイトルのブログを書いているということは、福島の生活が気に入ってしばらく住もうと思っているからには違いない。

気に入っている理由はもちろん、山や温泉が近いとか野菜が新鮮で安いとか、まあ定番である。が、それに加えて、原発事故被災という特殊な事情があるこの場所では、わりとわかりやすい形で多少は人の役に立つ仕事がさせてもらえる、という実感があるからだと思う。

この29か月支援してきた自治体での任期が、先月終了した。今月からもパートタイムでお手伝いは続けることになったが、空いた時間で活動範囲をもう少し広げられそうだ。

いま復興・地方創生界隈では、若者をターゲットにソーシャルベンチャー、ローカルベンチャー、なりわいづくり等々、いわゆる脱サラ(古いか)を促すキーワードが渦巻いている。しかし、私のように50の声を聞いてから地方移住を考える場合、20代のような勢いだけで実現するのは厳しい。イナカに雇用がないなら自分で生業を作ればいいのだ!と言われても、世の中そういう才覚と度胸のある人ばかりではなかろう。

実際、もし私に十分な才覚と度胸があったなら、任期終了というこのタイミングで「起業」という選択肢もあるのだろうが、あいにくそういう星の下には生まれなかったのだから仕方ない。当面はパートタイムとフリーランスで、そういう星の下に生まれてがんばっている人々のお手伝いを続けようと思う(もっともフリーだって「事業主」ではあるのだが)それだって大企業のコマとして働いているより、直接的に人の役に立ってる感はなんぼか大きいのだ。

…ということで今月から、半分サラリーマン・半分フリーランス・ちょびっと大家さん、のLife in Fukushima第二章が始まりました。もしかしてこんな話もだれかの参考になるかもしれない、という希望のもと、このブログも不定期更新を続けます。