生き方のはなし

あぁ、健康保険

今年も健康保険税の支払いが始まった。サラリーマン時代を振り返って何に感謝するかといえば、社会保険の半分を会社が払ってくれていたことだ。で、当時は良くも悪くもすべて給与天引きだったが、フリーの今は健康保険だけは敢えて自動引落としにせず、振込み票を持って毎回コンビニに向かう。

▲本文と無関係ですが、前回投稿した広島旅行より。宮島は千畳閣にて。

私にとっては、消費税よりも社会保険のほうが重税感が強い。保険は相互扶助であり税金とは違うといわれても、加入・非加入の自由は原則なく、所得があれば有無を言わせず課されるのだから税と同じだ。事実、健康保険に関しては保険料とは言わずに保険税という。

消費税は、高額なものを買えば税金も高く、安いもので良ければ税金も安い、という意味においては至極公平な税だと思う。消費の内容によって払う税額をある程度「自分で選べる」とも言える。けれども、健康保険税は自分が享受する保険サービスの多寡とは無関係に負担する税だ。子無しおひとりさまの自分は、少子高齢化を招いた責任の一端をこうして背負わなければならないのだ、などと自分に言い聞かせるしかない。

もっとも、実家に帰ると老いた親が、やれ痛い、やれ痒い、やれ耳が詰まったとかで医者に通い、ただ気持ちいいだけの電気治療を受け、耳掃除をしてもらい、市販のと大して変わらない軟膏や湿布を大量に処方されてくるのを目の当たりにする。私の保険税は回りまわってそういう親の治療費を払っているのだと思えば、帳尻は合っている気にもなる。耳掃除や湿布なら大した額ではないが、事実、もう4年前になるが母が重病で死にそうになったときはずいぶん長いこと病院のお世話になり、それこそ国民健康保険がなかったら大変なことになっていた。(あっても大変だったけど)

▲こちらも広島旅行より。尾道の艮神社。

いま、両親ともに労働収入はない。彼らはひたすら消費するだけ、医療費を使うだけである。私を含む現代日本人がみな骨の髄まで毒されている「生産性」という指標で測るなら、ほぼゼロである。でも私個人にとっては、「おかえり」と言ってくれる存在なだけで有難いのだけれどね。思うように動かなくなってきた身体にいらだち、母は「ああ情けない、もう早く死んぢまいたいよ」などと口走る。これが自分の親でなければ、「ええ、早く逝っていただいた方がこちらも経済的に助かります」と感じるものだろうか。

その両親も先日の参院選ではなんとかかんとか投票に行った。たまたま私が帰省していたので付いていったが、私なら15分で行って帰ってこられる距離を、散歩がてらと言いつつトボトボ1時間かけて往復すれば、二人とももうグッタリである。家からスマホで投票できるようになったら便利だと思うが、彼らはスマホ自体持っていない。

ちなみにどの政党に入れるのか聞いたら、母は「安楽死なんとか」というので笑った。実際はどうしたのか知らないが、まぁこういう一票も少なくないのであろう。

私が彼らの歳になる30年後、日本はどんなことになってるだろうか。決してバラ色には思えないが、いたずらに怖がるだけではどうしようもない。いちばんの自己防衛は何か?それはおそらく、寛容になることなのだ。自分にも周囲にも。

もちろん、言うは易しい。努力するしかない。

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まだまだ修行足りません

福島市、こないだまで春のような暖かさだったのに今日は冷たいみぞれ。

一歩も外に出ないで過ごしそうになるが、それではいかんとタウン情報誌で見たスフレパンケーキの店へ赴く。

こじんまりしたお店のドアを開けて入った途端、「いらっしゃいませ」の代わりに「時間かかりますがよろしいですか」。その女性からは明らかに「いま私ひとりで忙しいんです」オーラが出ていた。断られるのではないかとヒヤヒヤしながら、看板メニューのパンケーキを注文。30分後に出てきたパンケーキは普通においしかったが、なんだかあまり居心地が良くなかった。店を出るときも「ありがとうございました」の言葉はなし。二度と行かないであろう。

中身はちゃんとしていても、第一印象というものに左右されるんだよね。半世紀以上も生きていれば、こういう経験は何度もしている。そのたびに他山の石にしようと自分に言い聞かせるにもかかわらず、先日は「全く学んでないだろオマエ」という失敗をしてしまった。

アルバイト収入を少しだけ増やそうと、某採用試験を受けに行ったときのこと。メールでは10時半に来いと書いてあったのでちゃんと10分前に到着。他にも3人ほどが会場入り口で待っていた。しかし10時半を過ぎても採用側の人がだれも来ない。私が代表して電話してみると試験は11時からだという。

4人で少しむっとしながら言われたとおり部屋に入り、「申し訳ありません、すぐにまいります」という言葉を信じてさらに待つこと10分。やっと現れた担当者は、開口一番で謝罪の言葉もなく普通に自己紹介を始めた。

このとき私は額に大きく「バカヤロウ」と書いてその人を睨みつけてしまったのだった。その後にもちろん謝罪の言葉はあり、電話をした私に対してもお礼の一言はあったのだが、もう遅いとばかりに腕を組んだまま睨めつけ続けたワタシ。全く自制が効いていなかった。今から考えれば、およそこれから採用してもらおうという初対面の人間の態度ではないわけで、結果は当然不採用・・・onz

まだまだ修行が足りない五十路の福島生活は続きます。(食べ物の写真は、その採用試験の帰りに食べたパッタイ)

釜石の夜に

仕事で岩手県釜石市を初めて訪れた。同じ東北でも、福島駅から電車に乗って片道3時間半ほどかかる。じっくり取材しようと思ったらとても日帰りでは行かれない。東北は広いのだ。

この釜石をはじめ、大槌、陸前高田、大船渡、気仙沼、南三陸、石巻・・・東日本大震災のとき連日ニュースで報道された地名はたくさんあるが、その正確な位置関係を言えるのは、実際に行ったことのある人だけだろう。私はこちらに来てまずは福島県沿岸の市町村の配列を覚え、ここ1年ほど取材仕事のご縁で宮城県沿岸の地理がわかり、そして今回は初めて岩手県沿岸の自治体の位置を、ちゃんと把握することができた。

IMG_4305さて、初釜石の夜は、取材をアレンジしてくれたホストの皆さんと一緒に、地元の居酒屋で食事をしたのだが、そこに、はるばる東京からやってきたと言う老夫婦がいた。震災以来毎年、福島~宮城~岩手と大震災の被災地を訪ねているのだそうだ。今回も5日間かけて、国道6号を北上してきたという。福島は地震と津波と原発事故の三重苦で大変なんだよ、浪江町なんてまだ帰れない所があるんだよ、などと話していた。「わたし、その浪江町役場で去年まで働いてたんですよ」などと喉まで出かかったが、やめておいた。

八十歳になるという旦那さんと側でニコニコしている奥さん。「もう歳だから、あんまりたくさん飲み食いができなくて」と店主に申し訳ないといい、その場にいる客全員に一杯ずつご馳走してくれた。

おそらく彼らは、見聞きしたことをバンバンSNSで発信するようなことはしないだろう。でも、毎年同じ場所を訪れ、現地の居酒屋で食事をし、そこにいるみんなにお酒をご馳走し、頑張れと言って握手をし、さらりと帰っていく。おそらく行く先々でそうしていると思う。

世の中にはこんな人たちもいるのだ。

なんだかいい気持ち。

ビールごちそうさまでした。(写真はその後にいただいた釜石唯一の地酒、浜千鳥)

※後日一部加筆しました


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なんだか今年はやたらと桜が早い。振り返ってみると、昨年近所の荒川土手で花見をしたのが4月16日だったから、今年は2週間以上早い感じだ。福島市内も、昨日今日あたりは昼間半袖でもいいくらいの陽気だった。普通なら、日本国民みな心おどる桜の季節である。ましてこの冬はいつもより寒くて長かった気がするから、ことのほか春が待ち遠しかった人も多かろう。私も晴れやかな気分で去年と同じような花見の話でも書きたいところなのだが、今年は桜を見るのがつらい。

54年近くも生きていると、親の世代だけでなく同年代の友人の葬式も既に何度か経験している。が、20歳以上も若い友人に急病で先立たれるのは初めてだ。

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私は夜桜の下で酒を飲む花見というのものには大してそそられないのであるが、去年の4月16日、ご近所のSちゃんが誘ってくれて、彼女が出勤する前のモーニング花見というのものをした。朝のまだ少しひんやりした空気の中、荒川土手の満開のソメイヨシノを愛でながら朝食を食べる、というはなかなかオツであった。

そのときの記事にも書いたとおりで、Sちゃんは私とはあながち親子でもおかしくないくらい年が離れていたにもかかわらず、ご近所のよしみでよく付き合ってくれた。我が家の女子会にもほとんど常連で来てくれていたし、何度となく一緒に食事をした。さすがにこれだけ年齢差があると、いわゆるコイバナをすることはなかったが(されてもオバサンは的を得たコメントができないからねw)、話せることはいくらでもあった。最初に会ったのは2015年夏だから大して長い付き合いではない。けれど、もともと二人とも「復興支援」という名目で関東から福島にやってきて、同じNPOの同じプログラムに参加していたこともあるから、共通の話題には事欠かなかったのだ。

Sちゃんは研究者らしく知性のかたまりで、頭の回転は剃刀のようだった。いつだったか、私の書いた数ページの記事をスマホ画面でチラ見した直後、私が内心「ここをもう少しきちんと書けばよかったな」と反省していた部分をズバリと指摘されて驚いたことがある。一方、ルックスも人当たりも剃刀とは正反対で、いつも自分より先に他人のことを考える、困っている人を見ると放っておけないタイプの典型だった。一見ちょっと複雑に曲がっているようで実はとことん真っ直ぐな性根は、独特の「Sちゃんワールド」のおかげでカモフラージュされてしまうこともあったかしれない。彼女はこちらをどう思っていたかしらないが、私はだいぶ歳の離れた妹みたいな感覚で、そんなSちゃんの頼もしさと危うさを一定の距離から眺めていたのだった。ときには年齢を笠に着て説教じみた話もしたと記憶する。

が、近くにいてくれた妹のようなSちゃんは、おひとりさまの私にとってこそ大きな存在だったのだ。いなくなって初めて、私はそのことに気づき始めている。急に逝ってしまったが最期のお別れもでき、ご親族とお会いして形見分けもしていただけたのは、本当に有難いことだった。

こういうときに心を落ち着かせ、気持ちを整理するための方法は人それぞれだと思う。私の場合は、こうして書くことしかできないから書かせてもらいました。Sちゃん、今年は花見ができなくて残念です。短い間だったけど本当にありがとうね。あなたの分まで引き受けられるかどうかわからないけど、ねえさんは残された人生をしっかり生きますよ。合掌。

ただいまふくしま

こんどは東京駅から新幹線に乗って福島へ向かう。

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実家近くのお宅の金柑

年末年始を1週間ほど川崎の実家で過ごすと心身に異常を来す寸前の状態になっているので、車内で爆睡してリセットする。目が覚めるとちょうど郡山あたりだ。眠い目で窓の外を見ると、右側(東)と左側(西)では空の色が違うのが面白い。彼方が海の西側は青空の面積が比較的多いが、東側の奥羽山脈には雪雲がかかり、白い空の面積が多いのである。ことほど福島の天気はバラエティに富んでいる。

福島駅についたら、三が日に降ったらしい雪の名残がそこここにあったが、道路は乾いていたのでほっとした。同じ中通りでも、たとえば郡山市と比べて福島市内は山に近いため比較的雪が多いのだが、かといって会津ほどの本格的な雪国ではなく、降雪量も除雪も中途半端でいささか気持ち悪い。この時期は何日も雪が降り続かないことを祈るばかりだ。

さて。正月を実家で両親と過ごして心身に異常を来すとは失敬な物言いだとは思うが、いつもの自分の生活ペースと全く違うのだから仕方ない。特に、食べたくない時でも一緒に食べないといけないのは辛い。が、私の母を含め、おそらく世の中の主婦という人々はみな多かれ少なかれそういう食生活を強いられるのだと思えば、主婦になり損ねた私も年に一度くらいは我慢しなきゃ罰があたるだろう。

その両親も、近所に住む甲斐性ある弟と介護サービスのおかげで、なんとか自立した生活ができている。

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今年正月の両親

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昨年正月の両親

昨年と比べてなんとなく余裕が出てきたように見えるのは、気のせいかしらん?(笑)着てるコートが二人とも去年と同じなのはご愛敬。元気で長生き、よろしくお願いしたいものだ。

正月休みは例年通り友人たちとしゃべりまくったが、もっぱら親の介護や病気の話に花が咲くのも例年通り。今年それに加えて盛り上がったのは「陶芸体験でマイ骨壺づくり」である。私の骨は海か山に撒いてほしいので、気の置けない友人2人に、よもや骨壺に入れて墓の下には埋めてくれるな、そんなことしたら化けて出てやる、と念押ししたら、よーし化けて出てくるように骨壺作って入れてやる、という想定外の展開になってしまった。まあ、墓の下でなく飾り棚に置いといてくれるなら、骨の一部くらい小さな壺に入ってもいいか。そんなら3人でおそろいの骨壺つくろうか、ということになり、この春2人には作陶体験がてら福島に遊びに来てもらう予定である。

なんとも楽しみな2018年の始まり始まり!w


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