初めての宇都宮ギョーザと初めてのタンマガーイ瞑想

人生で初めて宇都宮駅で降り、駅ビル内の餃子店に入った。メニューには焼き餃子のほかに水餃子、揚げ餃子、さらにパン粉をつけたフライ餃子というのもあった。わが福島市にも円盤餃子という名物があるが、円盤状に並べたプレゼンテーションを可能にするためには「焼き」しかない。さすが餃子のまちを標榜する宇都宮。バリエーションにも工夫があるようだ。久しぶりの肉食で翌日の腹下しを若干恐れつつも、ご当地モノは頂かねばならぬ。水餃子と焼き餃子を食したら、ふつうに美味かった。

惜しむらくはビールが飲めなかったことである。運転する予定があったわけではない。その日の夕方から2泊3日でタイ国のお寺さんが主催する瞑想合宿に参加することになってたからだ。

宇都宮からローカル線に乗り換えて30分、そこから車で10分ほど。ゴルフ場に囲まれた昔の温泉ホテルがいまは「タイ瞑想の湯」という施設になっている。一見ちょっと怪しげな名前だが、タンマガーイ寺院という世界30カ国以上に別院を持つ立派なお寺の運営で、オレンジの僧衣をまとったタイの出家僧たちが瞑想指導してくれる。

といっても、ここは私が自分で見つけたのではない。友人Kさんに誘われて初めて、日本にこんなものができているんだと知った次第。

マインドフルネスとかメディテーションというのは世界的に一種ブームになっているらしいが、日本人が瞑想といったらまずは座禅のイメージだろう。あるいはヨガマットの上で脚を組み、目を閉じて座っているモデルさんの写真もお馴染みかもしれない。私も両方とも体験してみたことはあるが、たいてい眠くなるか脚がしびれて集中できないかのどちらかだ。それへの対処方法の説明もなんだかピンと来なくて、自分から瞑想合宿などに参加しようと思ったことはなかった。

今回、誘われるまま予備知識もなく参加した合宿だったが、結論からいうと、このくらいゆるい感じならいいかも!である(笑)。もちろん南伝仏教の僧侶の戒律は厳しい。けれどもこのタンマガーイ瞑想法の指導そのものは、どんな座り方でもいいし、途中で動いてもいいし、初心者は眠くなったら眠ってもいいという。 むずかしい呼吸法もないし、やたらビジュアルなイメトレのようなことも言わない。 「じっと動かないことが瞑想ではない」「眠ってしまっても、覚めたらまた始めればいい」というのが、なんだか目から鱗であった。

ひたすら心身を緊張から解放し、飛び回る心を徐々に身体の中心に鎮めていく。最後は自分と他の全てのものの幸せと悟りを願う、いわゆる慈悲の瞑想である。これを指導するお坊さまたちがみな柔和でとっつきやすい感じ(といっても女性は触れてはいけないが)なのも、また心地よい。

ついでにいうと、南伝仏教は(日本の大乗仏教諸派よりも)インドの初期仏教に近いはずなのになぜ仏像を礼拝するのか、私は自分で調べもせずただ疑問に感じていたのだが、これもこの機に聞いてみたところ、「神のような存在としてブッダを拝んでいるのではなくて、私たちはブッダが発見した真理を学ぶのだから、先輩として、先生として敬意を表しているのだ」という答えをもらって誠にしっくりきた。

心配した夕飯抜き(寺では正午以降は食べない)も意外につらくなく、かえって朝は身体がすぐ動くということも発見。そして、たった1日半だがスマホの電源を切ってプチ・デジタルデトックスできたのがよかった(したがって写真もない。芝桜の写真は、2日目の午後にみんなで散歩した芝桜公園でスタッフさんが撮ってくれたもの)。わずか2泊3日で何が変わったというわけではないが、なかなか興味深い体験ができ、誘ってくれたKさんには感謝である。

同寺院の東京の瞑想センターでは毎日のように瞑想指導があるそうだ。こういうのが福島にもあったらなあと思う。この8年間、いろんなことがあって人々の感情が大きく揺れ動き、心の中に悲しみだけでなく多くの無念・悔しさ・怒りが澱のように沈んでいる。それを解きほぐして洗い流すには、ストイックな禅の瞑想やヨガ体操系の瞑想もいいのだろうが、こういうだれでもできる穏やかな調心のアプローチこそ有効なように感じる。

そんなことは自分がこの瞑想で悟りを開いてから言え、なのかもしれないけど。

東北新幹線よ、ありがとう

サイクリングに最適の真っ平らな福島市街地。その中にぽっこり浮かぶ島みたいな信夫山(しのぶやま)は、市民のオアシス的な存在だ。その信夫山を背に鎮座している県立図書館には、ほぼ毎週末、本を借りに行く。

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先週の日曜日は暖かかったので、運動がてら遠回りして歩いていったら、いつもと違う道から図書館の裏手に出た。すると、信夫山の斜面に向かって階段が伸びているのに気がついた。

どこに行くんだろ?ちょっとした遊歩道にでもなってるのかしら?

時間はたっぷりあるので登ってみる。

百段ほど登っただろうか。小さな見晴らし台みたいなところに出て、突き当りにいきなり、「慰霊」の文字が刻まれた碑が目に入った。ぜんぜん予期してなかったので、ちょっと面食らった。見れば日本国有鉄道と書いてある。そう、それは東北新幹線の建設中に命を落とした人々の霊を慰めるためのものだった。

帰京のたびにお世話になる東北新幹線。大宮~盛岡間の開通は国鉄民営化の5年前、1982年だったそうだ。東海道新幹線と比べても、たしかにトンネルが多い。山の中をあんなに速く走るために、まっすぐな線路を作るために、あんなにたくさんトンネルを掘ったんだ。そのおかげで、東京~仙台など余裕で日帰りできる距離に縮まった。

新幹線ができるってやっぱりすごいことなんだ。この新幹線がなかったら、東日本大震災後の復旧・復興などもっと遅れていたかもしれない。いや、確実に遅れていただろう。個人的にも一昨年、母が大病して毎週末帰京していたとき、在来線で片道4時間なんてかかっていたら私の身体がもたなかったかと思う。そもそも福島移住も考えなかったかもしれない。

その新幹線を通すために、転落や落盤で(だけに限らないだろうが)こんなにたくさんの人が犠牲になってたんだ。

慰霊碑の背後には百余名の殉職者の名前が刻まれた、別の碑が建っている。

DSC_1137振り返ると、新幹線の線路が見える。ここはちょうど信夫山を貫くトンネル入口の真上なのだ。慰霊碑の裏側ではなく、同じ方を向いて名前が刻まれているのは、そういうことか。

毎日、このトンネルに滑り込んでいく新幹線を見て、皆さんさぞや誇らしかろう。

いつも当たり前のように乗っているけれど、ありがとうございます。皆さんのおかげです。

(追記:東海道新幹線建設中の殉職者は210名だったそうです)


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