GWの温泉旅館で働いてみた

今年のゴールデンウィーク。世の中は10連休という人も多かったようだが、フリーランスという”自由の身”になったら連休というものの有難みは半減した。クライアントはみな休み。唯一のレギュラーアルバイト先である英語塾も休み。レジャーといってもどこも高くて混んでいる。例年のように実家に帰省?いや、10日間では長すぎる。働かなければ収入のない身なのであるから、いっそ連休期間限定のアルバイトをしようと考えた。

本業は基本的に書き仕事。取材時以外はじっとパソコンに向かう時間が長いため、アルバイトはデスクワーク以外がしたい。それもたくさん身体を動かす仕事ならエクササイズと一石二鳥!

などという甘い考えのもと、世の中が休んでいるとき最も忙しい場所、つまり観光地の宿泊施設で接客業(の裏方)というものに初挑戦したのである。

▲岩手のソメイヨシノはゴールデンウィークが満開。

お世話になったのは、岩手県のとある温泉旅館。一言でいえば、予想通り大変な仕事だったがやってよかった。何事も、実際に経験してみるまで分からないことはたくさんある。

一口に宿泊施設といっても規模や業態は様々だから、今回の私の経験が業界全体に当てはまるとは思わない。が、おそらく中小規模の温泉旅館というのはどこも似たようなものではないだろうか。世の中が10連休なら、彼らは10連続勤務である。その後に交代で10連休がとれるわけもない。しかも連日早朝から深夜まで(昼の中休みはあるにせよ)の長時間労働。その合間に10分程度で3食のまかないご飯をかきこむ生活だ。

仕事は配膳、清掃、洗い場、布団敷きなど。まさに私の望んだ「身体を使う」作業ではあったが、エクササイズを兼ねて、などというのは現場を知らない人間の思い上がりだと知る。念のため、と思って持っていった医療用コルセットが大活躍だった。私は短期の派遣バイトなのできっちり1日8時間しか働かなかったが、それでも最初の数日は終わるとぐったり。持ってきたパソコンをやっと開ける気になったのすら、5日目である。

▲バイト7日目、やっと少し余裕が出て中休みの間に行ってみた遊歩道

フリーランスになってから、いろいろな短期バイトをやってみた。収入の足しにという理由も多少はあるが、いちばんの動機は今まで経験したことのない仕事の世界を知りたいということだ。

2年前はキュウリ農家で週3日半4ヶ月のバイト (その時の話はこちら)、昨年夏は桃の選果場で延べ1週間ほどバイト(その時の話はこちら)。4月の桃の摘花やサクランボ授粉バイトは今年で3回目。そしてこの度の温泉旅館。その度に、それまで交わったことのないような人たちに出会った。5年前に福島に来て公務員になったとき、その時点で、あのまま東京で外資勤めをしていたら一生出会うことのなかっただろう人たちと知り合うことができたが、一次産業や接客業の現場は私にとって更なる「別世界」だ。世界は広い。

そして、こうした「身体を使う仕事」でいつも感じることだが、なぜこれら肉体的労働の対価は、いわゆる「頭脳労働」とされるデスクワークより相対的に低いのだろう。通常は「生み出す付加価値の違い」などと説明されるのだろうが、では彼らの生み出すおいしいキュウリや桃、そしておもてなしのサービスには、それだけの価値がないということなのか。どうしてもそうは思えない。

そもそも、こうした「肉体労働」に必要なのは体力だけで頭脳はいらないかといえば、そんなことはない。今回、旅館の食事で使われる膨大な種類の器の収納場所を覚えるだけでも大変だったが、なによりも、何を言い出すか分からない客のニーズに合わせて当意即妙の対応が求められる接客技術など、少なくとも私にとっては上級中の上級スキルのように思われる(幸い、私が直接応対する機会があったお客さんはみな常識的で優しい人ばかりだったが)。

みなが当たり前に期待する「日本のおもてなし」 は、 こうして3連休すら滅多にとれない現場の人たちの献身(ある意味犠牲)で成り立っているのだ。 日本のサービス業の労働生産性は低いというが、当然である。それが問題だという人は、いちど大型連休に旅館でバイトしてみたらよい。

▲自宅朝食の定番。食べたいときに食べたいものが食べられる贅沢。

農業やサービス業(コンビニも介護も含めて)の現場がいまや恒常的に人手不足なのは、周知の事実だ。「正当な対価」の考え方は人それぞれだろうが、なによりも足りないのはこれらの職業に対するリスペクトではないか。私は胸に手を当てて心からそう思う。リスペクトが欠けたまま、日本人がやらないなら外国人にやってもらおうというのでは、早晩おかしくなるだろう。

不特定多数の人が使うトイレの掃除とはこういうものか、なんてこともやってみて初めてわかった。駅にしても公共施設にしても、毎日こういう作業を黙々とやっている人がいる。 次にトイレ掃除の人を見かけたら「お世話さま」と言おう。 旅館に泊まったら、お布団敷いてくれる人には「ありがとう」と言おう。 いままでみたいに機械的にではなく、ちゃんと心を込めて言おう。

四半世紀以上、一人前に「仕事」というものをしてきたつもりで、初めてそんな当たり前のことをはっきり認識できた黄金週間でした。m(__)m

農業とともに人類の不幸は始まりき(その2)

急に冷えてきた。昨日は東京もずいぶん寒かったようだが、福島も11月下旬なみの気温だった。露地ものの夏野菜はそろそろおしまいだ。

8月からアルバイトしているキュウリ農家は露地オンリーなので、今年の出荷は今週でおしまい。昔ならキュウリなんてもっと早く枯れているのだろうが、肥料などが発達した現代では、夏秋キュウリという種類ならこの時期までなんとか実をならせることができる。でも畑に行くと、もうキュウリは最後の力を振り絞っているのがわかるのだ。思わず、よくがんばったね、などと声をかけてしまう。

この間に体験した作業としては、収穫、箱詰めはもちろん、蔓留め、芯止め、葉っぱ切り。そして、枯れて収穫が終了した春キュウリの畑の後片付けだ。「後片付け」と一言でいうが、まずは枯れた蔓をネットからはがし、ワイヤーを巻取り、ネットを巻取り、支柱を抜いて1か所に集め、土に敷いてあるマルチというビニールシートをはがして巻取り、枯れた蔓を集めて燃やし… と工程はいくつもある。

農村ツアーのおまけの「野菜収穫体験」もいいが、その前後にどういう作業があるのかを知るのは本当にいい勉強になった。

DSC_2212そのバイト先はキュウリ農家だからといって他のものを何も作っていない訳ではない。実は10月初旬は稲刈りという一大イベントも経験することができた。こちらも、セレモニー的な「稲刈り体験」はやったことがあったが、その稲刈りをするための準備、刈ったあとに出荷するまでのプロセス等々、私にとってはすべて初めての学びである。

野菜や果物は、基本的にはとったものをそのまま食べられるわけで、選別して箱に入れれば出荷できる。が、穀物の場合、食べられる状態にするまでが大変だ。脱穀、乾燥、籾摺り、という言葉は知っていたが、そのすべてにおいてこれほど機材・機械をたくさん使うとは!コンバイン、グレインキャリー(収穫したコメを運ぶ、でっかい袋状の入れ物)、乾燥機、籾摺り機、選別・計量機。かなりの設備投資だが、いずれも他の用途には使えない専用の機材で、年にせいぜい1週間程度、この収穫の時期しか使わない。複数の農家で共有すればいいのに(流行りのシェアってやつですか)、などとつい思ってしまうけれど、それがそうもいかないのは、時期がみな重なるからだ。

これらの機材は、セットアップもかなり重労働だし、使用の前後にはすみずみまで洗浄しなければならない。機械のおかげで、人力よりも確実に作業は速く楽になったが、かわりにそのメンテナンスという仕事が増えたわけだ。メンテナンスにはエア洗浄ガンなどの機材が必要で、それを動かすコンプレッサーもメンテナンスが必要で…… となると、農家の高齢化対策のひとつとして「機械化」が挙げられるが、実際どうなのだろうと思ってしまう。もちろんコメに限った話ではないが。

もちろん、今後もおそらく永遠に機械にはできないであろう仕事もたくさんある。前述の、キュウリの収穫や蔓止めなどの作業もそうだし、今回のバイトでは他にネギ畑の除草や高菜の間引き、白菜の定植などもやったが、これらも基本は人の目と手先が必要だ。ちなみに、こうした足元の作業はまことに腰にこたえる。ミレーの「落穂ひろい」のあの姿勢。「腰が曲がる」という現象の仕組みがわかったような気がする。

落穂ひろい

そんなこんな含めて、この農家バイトは私にとって大いに興味深い経験。これこそ、福島に移住しなければできなかったことだ。また、本業で農家さんの取材をすることがときどきあるが、たった数ヶ月でもこの農業体験はかなり役に立っている。

ということで、こちらのバイト先には、キュウリ畑の片付けとネギの出荷が終わるまで、頻度を減らしつつもうしばらくお世話になることになった。晴れて年季が明けたら、腰は伸びるかもしれないが、せっかく減った体重がリバウンドしないか、それだけが懸念点である。

農業とともに人類の不幸ははじまりき


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農業とともに人類の不幸は始まりき

今月初めから、キュウリ農家さんでバイトを始めた。これまでにも自家消費用の小さなキュウリ畑で収穫体験させてもらったことはあるが、ここは専業なので規模が違う。数十メートルのキュウリのトンネルが何本も並び、さらにそういう畑が何か所にもあるのだ。1日の出荷量が500キロを超えるときもある。

DSC_1933本業がパソコン仕事なので身体を動かす副業をしたかったのと、農業というものへの興味(ビジネスとしてではなく食べ物をつくる過程への興味)から、チラシに載っていた季節限定バイトに応募した次第だが、「身体を動かす」といってもジムでマシンをやるのとは訳が違う。予想以上の重労働である。

いまのところ、選別と箱詰め、集荷場への出荷(荷の上げ下ろし)、天気がよければキュウリ畑で芯止め、蔓止めという作業が主な仕事だ。ずっとかがんでやる仕事とずっと背伸びをしてやる仕事があって、バランスがとれて良いんだか一か所に負荷がかかりすぎて良くないんだか、よくわからない。

身体が慣れていないせいもあって、最初の2、3日は腰も膝も首も悲鳴をあげ、とんでもない仕事に応募してしまったと一瞬後悔した。パートの女性たちの中では、おそらく私がいちばん若造だと思われるが、みな「暑いね~」とか言いながら何でもない顔をしてやっている。しかも毎朝自分の畑をやった後に、この農園でバイトをしているという人もいるからすごい。

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初夏にサクランボ果樹園の手伝いをしたときもそうだったが、キュウリみたいな身近な野菜でも、その生産現場を体験すると、はぁこういうことになっているのか、と学びの連続である。たとえベランダ菜園でもキュウリを育てたことのある人なら、下葉をとったり蔓をネットに固定したり、芯を止めたりという作業は多少はお馴染みなのだろうが、私にはその経験もない。こんなに手間をかけないと売り物のキュウリはできないのか… この作業はどんなにロボットやAIが進化しても絶対リプレイスできないだろうな… などと、54メートルのキュウリトンネルの中で感慨にふける。

露地もののキュウリはいまが全盛だ。一日数センチ伸びるというキュウリは、朝晩に収穫をしないと大きくなりすぎてしまう。お盆だからと成長を休んでくれる訳もなし。したがって、キュウリ農家さんは休みがないのだ。出荷期間中は週7日、基本的に早朝から夕方まで働きどおしなのである。そんな激務のせいかどうか、この農園が属しているキュウリ専業の出荷組合も、徐々に組合員農家が減ってきているのだという。

こうして私が腰や首に湿布薬を塗りながら出荷したキュウリは、東京の大田市場に送られ、主に首都圏のみなさんの食卓に上る(はず)。

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いまから約1万年前に農業というものが始まってから、ヒトの不幸は始まった――。それは、ベストセラーになった「サピエンス全史」を読んで目から鱗の学びだった。その感想を興奮気味に話したら、相手の人が「BIG HISTORY~宇宙開闢から380億年の『人間』史」という立派な本を贈呈してくれたのだが、それを読んでますます「狩猟採集から農耕への転換=人類の不幸の始まり」を確信した。

その本曰く(農業が出現した最初期の状況について)、「考古学はまた、狩猟採集民にとって必ずしも農業のほうが魅力ある生活様式とは映っていなかった点も示している。(中略)そもそもみなが農耕民になることを望んでいたわけではなかったようである。これはおそらく農業という生活様式が、狩猟採集よりも肉体的に相当にきつく、健康に良くなく、精神的に疲れることも多かったせいだろう」

農耕民として人々が完全に定住し(それ以前でも一部定住していたらしいが)、人口が増え、水利や土地をめぐって権力というものが生まれ、コミュニティが複雑化した。支配層が生まれ、都市が生まれ、そこには自分の食べ物を自分では作らない職業の人々が集まっていた。

「都市(ウルク、長安、・・・ローマなど)が威光と権力の中心だったとすれば、その資源のほとんどを供給するのが町や村だった。小作農は、ときには大地主のもとで農場労働者として働きながら、町や都市で消費される大量の農産物を生産した。あらゆる農耕文明で、大多数の一般市民から支配層へと富が流れていく様子が観察できる」

日本でも「重い年貢に苦しむ農民の姿」は時代劇などでお馴染みだけれども、驚くことに早くも紀元前2千年紀末のエジプト新王国時代の「書記のための練習帳」には、「これだから小作農に身を落としてはならない」と書いてあるんだそうだ。

もちろん現代日本の農業は農地所有が基本だし、「都市への農作物の供給」も徴税ではなく商取引という形で行われている。それでも、こういう史実を知ると、今の世の「農業離れ」もむべなるかなと思ってしまう。

でも、いまさらみんなして狩猟採集には戻れないのであるから、だれかがこの爆発的に増えた人口を、その大部分を占める都市住民を、食べさせなければならない。都市住民はせめて、自分の口に入れるものを誰がどうやって作っているのか、一度見て知っておくべきだと心から思う。

と、3年半前に福島に来るまでほとんど土を触ったこともなかった私が言うのもおこがましいが、単純に土にまみれるのも楽しいものである。「エクササイズ」にはならないが「運動」には違いない。地方暮らしならではのこの農家バイトが終わるころには、私も長靴・頬かむり・腕カバー姿が堂に入っているかしらん。

農業とともに人類の不幸は始まりき(2)

農業とともに人類の不幸は始まりき(3)


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