ごちそうさま

ナス、トマト、キュウリ、インゲン、オクラ、枝豆、トウモロコシ、シソにミョウガ。そして桃。盛夏である。

私が福島に来て最初の役場勤め時代は、とにかく食べ物を頂くことが多かった。出張土産の菓子はもちろん、兼業農家の同僚や釣り好きのご主人を持つ同僚、お菓子作りが趣味の同僚などから、季節の野菜、とれたてのイクラ、プロ顔負けの手作りスイーツ等々。

フリーになったらそういう有り難い職場の頂きものは激減したが、それでも女子会だのなんだので集まると、食べきれないからもらって〜という農産物のおすそ分けは結構頂いた。

そして、コロナで人と会わなくなったら当然おすそ分けもほぼ皆無に。それでも今月は果樹園の手伝いに行った友人からハネ物の桃を1箱頂き、もうしばらく食べないでいいわーというくらい堪能したが、その他の野菜果物はせっせと買い出しに行かねばならない。

新鮮な旬のものが安く買える産直は大好きだが、難点といえばおひとりさまには量が多すぎることである。中でもシソやミョウガなどの薬味系は、ドサっと1袋買ってしまってからハテどうしたものかと悩む。ミョウガなんてスーパーなら3個の値段で20個くらい買えるのだから、使い切れずに捨ててもいいや、とはどうしても思えないタチなので、むしろ薬味から献立(全て酒のアテ)を考える日々が続く。

そこへ先日、SNSの友人の投稿で、叩いた梅干しとミョウガを和えてアボカドに載せるというカンタンレシピを発見。以来、大量のミョウガが見る間に消費されるようになった。(そういえば昔、ミョウガを食べすぎると馬鹿になると聞いた記憶があるが、私の頭くらいでは気にする必要もなし。)

ちなみにシソは、カボチャとナスの揚げ浸しに大量に載っけて爆食いがマイブームである。

75年前の今ごろ、終戦直後の東京。小学生だった母はひもじい日々を覚えている。お腹を空かせて学校から帰ると、カボチャをぐずぐずに煮たものがオヤツだった。調味料がないから味付けもない。薬味どころではない。夕飯はパサパサのサツマイモ一つ。農業の経験のない祖父が小さな畑を借り、見よう見まねで作ったイモだったが、いくら腹ペコでもまずいものはまずい。泣きながら食べたそうだ。

その祖父はまた、家族のために満員電車で食料の買い出しにいった。痩せた身体に満杯のリュックが重く、転ぶと仰向けにひっくり返った亀のように立てなかったが、誰も助けてくれないのが悔しかったという。そんな祖父があるとき、わずかな白身の肉を買ってきた。「今日はごちそうだぞ、これはヘルカという肉だぞ」。みんな喜んで食べた後にカエル肉だと知って仰天したそうだ。

もっとも母の記憶もかなり怪しいから、こういう昔話の細部がどこまで正確か分からない。が、戦後の食糧難、特に生産手段を持たない都会の住民にとってコメや野菜などの基礎的食料の入手が困難を極めたことは確かだろう。それらを売る側の農家が「偉そうにしていて悔しい思いをした」という祖父の台詞は母の脳裏に焼き付いているようだ。

たった75年で世の中こうも変わるとは……ね。今日もおいしいミョウガと梅干しとアボカドとカボチャとナスとシソを頂きながら、しみじみこれを書いている。

ふるさと

正月。老親を家に置き、一人になって駅まで散歩する。この道を歩くのは何百回目か。

国道を渡ればすぐ商業地区だ。いつものとおり、暴力団の事務所や風俗店が並ぶ近道を行く。廃業して久しい角の小さなスナック。陽の当たらない路地の極狭の家々。

駅に近づけば元日から営業している飲食店、パチンコ屋。その裏手に積まれたゴミ袋の山。

消えてゆく店。新しい店。特設売り場。イベント会場。街にたむろする大勢の人々。賑々しく、平和だ。私もしばしその中に混ざって、当てもなくウロウロする。

山も川も海もない。うさぎも小鮒もいない。伝統芸能も郷土料理も、母の味すらない。でも私はここで生まれ育った。血のつながった家族がいるのはここだけだ。ここが私の帰る場所。ここが私の「ふるさと」。

--とりあえず。

郷愁という言葉の意味を、私はいまだに想像することしかできないのだった。

今年も一年、心穏やかに過ごせますように。

写真では伝わらないので来てください

浄土平。なんとふさわしいネーミングだろう。何度訪れても飽きない。個人的にベストシーズンは9月中~下旬、リンドウやススキの花が咲くころだが、10月に入った今日も十分美しかった。

この湿原の植物たちといい、 周りの山々の木々といい、 それらの織りなす色のグラデーションはとうてい言葉では表現できない。いくらiPhoneのカメラが高性能でも、その美しさを画像で伝えることは不可能だ。(と言いながら習性でついカシャカシャやってしまうが…)

浄土平に来たらたいてい、道路をはさんで向かいの吾妻小富士に登る。登るといっても整備された階段が数百段、火口を一周して降りてきて1時間かからないのだが、ちょっと運動した気にはなる。なによりこの眺め。

▲吾妻小富士から見た吾妻山(一切経山)。噴煙が前より多い。活きてる山▲

ここが自宅から車で1時間というのが、私が福島を離れられない理由のひとつと思う(笑)

▲浄土平をパノラマで撮ってみたらこうなった▲

去年の今ごろ、老親がなんとか二人で新幹線に乗り、私を訪ねて福島にやってきた。高湯温泉に泊まり、翌日はぜひここに連れてきたいと思ったのだが、その少し前から吾妻山の噴火警戒レベルが引き上げられ、紅葉シーズンを前に観光道路の磐梯吾妻スカイラインが通行止めに。浄土平も立ち入り禁止ゾーンに入ってしまった。浄土を見せてやれなかったのが心残りで今年はリベンジと思ったが、残念ながら彼らはもう電車に乗って遠出するような体力も気力もなくなってきたようである。

今日、一人でスカイラインを走りながら「また来年」という言葉が浮かんだが、飲み込んだ。

たしかに季節はめぐる。産直に行けば「ああ、またこの季節が来たか」と思わせてくれる産物でいっぱいだ。私はあと何回サクランボを食べ、ブドウを食べ、イチジクを食べられるんだろう。

今日が最後でも悔いないように生きないとあかんね。こんな極楽浄土に行けますように…

▲そして人はなぜか石を積む(笑)▲

あぁ、健康保険

今年も健康保険税の支払いが始まった。サラリーマン時代を振り返って何に感謝するかといえば、社会保険の半分を会社が払ってくれていたことだ。で、当時は良くも悪くもすべて給与天引きだったが、フリーの今は健康保険だけは敢えて自動引落としにせず、振込み票を持って毎回コンビニに向かう。

▲本文と無関係ですが、前回投稿した広島旅行より。宮島は千畳閣にて。

私にとっては、消費税よりも社会保険のほうが重税感が強い。保険は相互扶助であり税金とは違うといわれても、加入・非加入の自由は原則なく、所得があれば有無を言わせず課されるのだから税と同じだ。事実、健康保険に関しては保険料とは言わずに保険税という。

消費税は、高額なものを買えば税金も高く、安いもので良ければ税金も安い、という意味においては至極公平な税だと思う。消費の内容によって払う税額をある程度「自分で選べる」とも言える。けれども、健康保険税は自分が享受する保険サービスの多寡とは無関係に負担する税だ。子無しおひとりさまの自分は、少子高齢化を招いた責任の一端をこうして背負わなければならないのだ、などと自分に言い聞かせるしかない。

もっとも、実家に帰ると老いた親が、やれ痛い、やれ痒い、やれ耳が詰まったとかで医者に通い、ただ気持ちいいだけの電気治療を受け、耳掃除をしてもらい、市販のと大して変わらない軟膏や湿布を大量に処方されてくるのを目の当たりにする。私の保険税は回りまわってそういう親の治療費を払っているのだと思えば、帳尻は合っている気にもなる。耳掃除や湿布なら大した額ではないが、事実、もう4年前になるが母が重病で死にそうになったときはずいぶん長いこと病院のお世話になり、それこそ国民健康保険がなかったら大変なことになっていた。(あっても大変だったけど)

▲こちらも広島旅行より。尾道の艮神社。

いま、両親ともに労働収入はない。彼らはひたすら消費するだけ、医療費を使うだけである。私を含む現代日本人がみな骨の髄まで毒されている「生産性」という指標で測るなら、ほぼゼロである。でも私個人にとっては、「おかえり」と言ってくれる存在なだけで有難いのだけれどね。思うように動かなくなってきた身体にいらだち、母は「ああ情けない、もう早く死んぢまいたいよ」などと口走る。これが自分の親でなければ、「ええ、早く逝っていただいた方がこちらも経済的に助かります」と感じるものだろうか。

その両親も先日の参院選ではなんとかかんとか投票に行った。たまたま私が帰省していたので付いていったが、私なら15分で行って帰ってこられる距離を、散歩がてらと言いつつトボトボ1時間かけて往復すれば、二人とももうグッタリである。家からスマホで投票できるようになったら便利だと思うが、彼らはスマホ自体持っていない。

ちなみにどの政党に入れるのか聞いたら、母は「安楽死なんとか」というので笑った。実際はどうしたのか知らないが、まぁこういう一票も少なくないのであろう。

私が彼らの歳になる30年後、日本はどんなことになってるだろうか。決してバラ色には思えないが、いたずらに怖がるだけではどうしようもない。いちばんの自己防衛は何か?それはおそらく、寛容になることなのだ。自分にも周囲にも。

もちろん、言うは易しい。努力するしかない。

夜が長くなると酒と考え事が増える

10月というのは、あっという間に季節が進む。

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上旬に両親が来福した。まださほど寒くないが、磐梯吾妻スカイラインの紅葉は始まっている。絶景ドライブをして、この時期の浄土平の得も言われぬ美しさを見せてやりたい。そう考えての日程設定だったが、その数週間前からなんと吾妻山の噴火警戒レベルが引き上げられ、半径1.5キロ内が立ち入り禁止に。スカイラインは全面通行止め、浄土平も行かれなくなってしまった。

しかも、前日まで晴れていたのが両親の到着日から雲行きがあやしくなり、翌日は朝から雨模様である。だれかの普段の心がけがよほど悪いらしい(笑)。それでも温泉宿に2泊し、ごちそうを食べ、3日間多少なりとも親孝行したような気にはなれた。

囲炉裏端

二人とも3年前に大病し、まさか二人だけでまた新幹線に乗って遠出するなど到底できるようになると思わなかった。が、80代になっても人間にはちゃんと回復する力があるのだと知り、あらためて感動する。

といっても、歩くスピード、足元のおぼつかなさ、着替えや食事のときの所作など、身体能力的にはおそらく幼稚園児程度ではなかろうか。幼稚園児と違うのは、これから「できるようになること」ではなく「できなくなること」が増えていくということだ。しかも、「当たり前にできていた」ときの記憶を保ちながら。そのフラストレーションといかに折り合いを付け、受け入れ、ひとつずつ「手放して」いくか。葛藤も含めたその姿を子供に見せてやるという、親の大事な仕事のひとつを、彼らは立派にやってくれている。

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さて、それから2週間で、中通りの低地でもあっという間に紅葉が進んだ。「名所」によくあるイチョウの黄金一色、モミジの紅一色、もきれいだが、どこにでもある里山の紅葉は文字通り「錦」である。緑~黄緑~黄~橙~赤まで、自然の配色は見事の一言だ。先週末はこれ以上ないくらいの晴天だったので、霊山という名勝に出かけた。昨年も一昨年も、この時期に歩いた覚えがある。大した山ではないが、今の私には2時間のハイキングでも十分。なんにしろ、自分の脚で歩けるというのは有難いことだ。

帰りにゆっくりあづま温泉に入っていたら、もう日暮れである。露天風呂から遠く眺める福島市街に灯がまたたき始める。いつまでも見ていられる風景だ。途中、コンビニでもらった商品引換券でビールをゲットして帰宅。秋の夜長、なるべく酒量を増やさないようにするのが目標である。でも酒を飲めるのも健康な証拠。ありがたく今夜もいただきますw


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