おふくろの味なんてなくてもいいの

おいしい味噌を買いに、わざわざ車で小一時間かかる二本松市内の道の駅へ向かった。大動脈の国道4号バイパスから東へ折れるともう田舎道である。阿武隈山地へ向けて緩いカーブとアップダウンを繰り返す三桁国道に信号機はほとんどない。平日の午後、数台の軽トラを除いて道路はほぼ独り占め状態だ。

ザ・里山の風景の中をのんびり運転していると、久しぶりに出てきた信号が消灯していた。あらあら、交通量が少ないからとうとう撤去しちゃうのかな。

まもなく目指す道の駅に到着し、まずはトイレへ。田舎の商業施設でもイマドキはちゃんと最新のウシュレット付きです。だけど、洗うボタンを押しても水が出てこない。あら、壊れてる?まあトイレの水は流れたからいいけど、せっかくだから直しといてほしいな。

次に手を洗うため蛇口の下に手を差し込むと、これも水が出ない。ハンドル無しのタイプでみなさん戸惑うらしく、「センサーはここです」という手描きのイラストが貼ってある。でも、手の位置をどう変えてもなぜか出てこない。ダメじゃん、これー。ウェットティッシュ持っててよかった。

出てきて食堂の窓を覗くとなんだか暗い。あれ、休みか?いや、中に人はいる。そうか、節電か。近所のスーパーも一部照明おとして営業してるもんね。でもちょっと暗すぎないかしら?

などと思いながら物産販売所へ。こちらもかなり暗い。入ると店員さんがレジ付近にあつまって会議中である。

私はここに至って初めて、一帯が停電しているのだと気がついた。店員さんは「停電のため一時営業休止」の張り紙を準備している。キャッシュレス時代は電気が通じていないとレジも動かないのだからしかたない。でもこちらはわざわざ30キロ北の福島市から来たのだ。どうしてもここで売ってる味噌を買いたい。かけあった結果、現金払い・お釣り無しなら、という条件で無事購入できた。

というわけでみなさん、やっぱりキャッシュは持っといた方がいいですよ(笑)。 

東北電力のサイトを調べてみると、その日は私が到着する直前から2時間くらい、あのエリア約1200戸が停電していたそうだ。ドンピシャそんなところに突っ込んだ自分の運の良さ?に驚いたが、ちょうどお昼どきだったから、道の駅で昼飯を調達しようとしていた人たちは困っただろう。

だけど、敢えて言う。こういう「電気がない」事態とか、こないだの通信障害みたいな「つながらない」状態とか、たまに経験するのはいいことだと思う。でないと、電気も電波もその有難さを忘れてしまう。電気がないと水も出ないインフラになっちゃったことを折に触れて憂わないといかん。

さて、その味噌。これはもっぱら朝の味噌汁用である。これ、数年前の私には考えられないことだった。朝は絶対にパンとコーヒー派だったからだ。和食に変えたのは主に美容健康上の理由で、パンに塗るバターとか目玉焼きの油とかが気になり始めたからではある。が、おいしい味噌で作った味噌汁っておいしいじゃん、と気づいたこともかなり大きい。

それまで私は家で味噌汁を作る習慣はなかったし、会席料理の最後に恭しく出てくる赤だしなんかはともかく、定食屋の味噌汁も大して好まなかった。そういえば子どものころ実家の朝ごはんは和食だったはずだが、正直いって母が作った味噌汁をおいしいと思った記憶はない。

母は昔から決して料理好きではなかった。味噌汁に限らず、私にとって「おふくろの味」の類はまったく存在しない。母の得意料理など記憶にないし、手作り総菜を他の人におすそ分けしてるような姿も見たことはない。それでも家族4人の三度の食事(自営業だったから文字通り三食)プラス私の弁当まで作ってくれていたのだから感謝しかないのだが、やはり好きでないものをやり続ける原動力は義務感のみだったと思う。

それも京浜工業地帯の川崎のことであるから、手作り味噌だのとれたて野菜だのが周りにあるわけでもない。今みたいに生協の宅配とかもない。自らも自営の手伝いをしていた母にとって料理は時短の勝負で、朝ごはんの味噌汁は近場で手に入る粉末ダシに大手メーカーのお徳用味噌。それもよく溶け残った塊が入っていたように記憶する。母には申し訳ないが、私の長年の味噌汁嫌いはそういう原体験によるところが大きかったんじゃないかと思う。

それが福島に来て農業が少し身近になり、味噌づくり体験なんかもしてみて味噌ってこうやってできてるのかと知り、スーパーで見慣れたメーカーの製品だけでなく、地元の人が手作りしてる味噌も買えるようになった。で、おいしい味噌を使うと味噌汁もおいしいんだということを、齢五十を越えてやっと理解したのである。(もちろんダシも大事で、我が実家では見たことのなかった煮干しというものでダシをとると、これがうまいと知る。ただ後が少々面倒なのでこちらは煮干し系の粉末に回帰中。)

明日も福島は熱波だから、冷や汁にしようかね。

<写真の冷やし中華は、二本松市内の別の道の駅の中華食堂にて。この中華の隣にはインド人シェフのいるカレー屋さんもあってびっくり。最近入居したらしい。道の駅の食堂としては中華も珍しいがインドはもっとレアだ。だけど、最初の停電中の食堂で食べたくて食べられなかった蕎麦のリベンジで麺類になった>

私のストレス発散法

今年のゴールデンウィークは1週間の長きにわたって実家に滞在し、最後の2日を使って母(85)の衣類を処分しまくった。いったい身体いくつあるんですか、というくらい大量の洋服。母は引き出しに入れたものはすべてその存在を忘れてしまうとみえて、あちこち開けると同じような色や形のものが出てくるわ出てくるわ。一枚ずつ取り出しては「あらーこんなのあったかしら、でもこれ首回りが開きすぎだわ/丈(袖)が短すぎだわ/なんだか色(柄)が似合わないわ」等々で最後は「あんた、要らない?」

要・り・ま・せ・ん。

リサイクルできそうなのは引き取りサービスに出し、とりあえず母が自分で着る気になったものは全部ハンガーにかけて引き出しは封印。そうやっていつも見えるようにしておかないと、忘れてまた同じようなのを通販で買ってしまう。

と思ったら、案の定ピンポンと宅配便が届き、袋の中からまたもや同じような青いTシャツが。本人:「こんなの頼んだかしら?」

・・・ふ、ふざけんじゃねー!!!

と怒鳴りたくなる衝動は無理に抑えないほうが良い、むしろ格好のストレス発散だと考えることにして素直に思いっきり怒鳴る。

▲お彼岸に行かれなかった墓参りの帰り。母と弟と三人で父の好物だった老舗「大沼」の鰻を。

もっともこの「ふざけんじゃねー」は半分以上は通販会社に対して叫んでいるものだ。通販といっても母はネットでポチるわけではない。以前に二度くらい、ダイニングテーブルの端に積み上げられたカタログの通販会社に片っ端から電話して送付中止にしたはずなのに、行くたびになぜかまた新しいカタログが届いている。怒る私に母が「もう二度と通販で服は買わない」と約束するのはいいが、用無しのカタログを捨てるのだって大変なのだ。たまればけっこう重いので、母の力では紐で束ねることもできないし、決まった収集日に出しに行くこともできない。

もちろん通販会社だって商売だし、実際に通販を重宝している家庭もあろう。足腰が弱ってなかなか買い物にも行かれない母にとって、カタログを眺めるだけでも楽しいのは理解できる(だから2種類の通販だけはキャンセルせずにおいてある)。とはいえこの大量の紙、多額の送付コストは果たして正当化できる範囲内に収まっているのだろうか?そして送りつけた先の家をゴミ屋敷にしている可能性は正しく認識されているのだろうか?

私がやるようにたまに誰かが買いすぎを注意したり、たまったカタログを処分したり発送そのものを止めたりできる家ならいいが、そうでない家はいったいどうなってしまうんだろう・・・

そんなこんなで今年の黄金週間も終わり。帰りの新幹線の中で、怒鳴りまくった自分を少々反省しながら思い出した。20年くらい前のこと、当時勤めていた外資の保険・金融グループの社長の一人が毎月日経にコラムを寄稿していて、英語で書かれた原文を和訳するのが私の仕事だった。その米国人社長はとても文才がある人で毎回訳すのが楽しかったのを覚えているが、今回思い出したのはその中の一話だ。

その社長が休暇で生まれ育った実家に帰省する。そこには自分が子どもの頃に使っていたもの等がまだそのまま残っており、帰るたびに片づけてゴミに出すのだが、出しても出してもお母さんがゴミ置き場から持って帰ってきてしまう。ご両親はあのGreat Depressionを知っている世代。一度使ったアルミホイルまでシワを伸ばして引き出しにしまってある、というような話だった。(細部の記憶は不確かだけどもエッセンスはお判りいただけると思う。)

そう、「高齢の親によるモノためこみ問題」は洋の東西を問わないのだ。それだけ普遍的な課題であり深淵なテーマであって、簡単な解決方法などあるわけがない。

というか、解決しないほうがいい場合もある。たとえば、実家に帰って怒鳴る相手がいなくなったら私はストレス発散できなくなってしまうではないか。だからこの調子でもうちょっとがんばってちょうだい、母上。

2022年母の日に。

オリンピックとお盆が終わって、今週末は川崎に帰省を予定していたのだが、首都圏の感染者数まさかの爆増でさすがに躊躇したところ、母の方から今は来なくていいというので、それならばと福島市内でおとなしくしている。代わりに桃を送れとメールが来た。例年通り7月末には既に1箱送ったのだが、あまりにおいしいから追加で、というご注文だ。

桃には何十種類もあり収穫時期が少しずつ違う、というのは福島に来てから学んだことである。7月に送ったのは「あかつき」で、今から送るのは「幸茜」という種類になるが、桃と言えば生か缶詰かの二択の環境で長年暮らしてきた母に、品種による味の違いが分かるとは思われない(もちろん私にも分からない)。状態がいい「福島の桃」ならなんでもおいしく食べてくれるはずだ。

普段あまり果物を食べなかった父も、一昨年までは桃を送ると喜んで食べていた。昨年の今ごろは3度目の入院中で、口から食べられずに(誤嚥性肺炎のため)点滴だけで生きていたが、見舞いに行くと言ったら桃が食べたいと言う。ダメなのを承知で、小さく刻んだ桃を持ち込み、看護師がいない隙に一切れ口に入れた。そのときの「ああ、うまい」という父の声は生涯忘れない。が、飲み込んではいけないのですぐに吐き出させた。その2か月後、再び食べ物を口にすることなく亡くなった。

今年送った桃は母が仏壇に供える。私も朝食用の桃を買うたび、遺影に供える。あともう少し、桃の時期が続く。

Uターンもいろいろ

今日の日経の社説は「息の長い地方分散に取り組もう」。私自身、東京から地方への移住組だし、仕事上も地方創生政策の交付金のおこぼれに与っているので、こういう目線は結構なことだと思いながら読んだ。だが、なんだか大事な点が抜けているようにも感じた。

今年の正月、実家から福島への帰りはグランクラスでプチ贅沢(もうすぐ軽食提供は終了するそうで私にとっては最初で最後)。

社説によれば、コロナで東京都からの転出が増えたといっても、転出先は周辺3県がほとんど。首都圏の一極集中是正がほど遠い理由は、以前のように地方からたくさん上京してきているからというより、東京圏から人が出て行かないからなのだ。社人研の人口移動調査では、東京圏生まれの人は9割がその後も東京圏に住む。東京圏に住む人は7割が東京圏出身で、若い世代ほど比率が高い。特に両親とも東京圏出身だと地方に住む比率は1%になるそうだ。

私の父は神奈川県川崎市生まれ。母は東京日本橋生まれだから、その娘がこうして福島に移住しているというのは、その1%の希少な部類に入るということだ。では残りの99%が東京圏を出て行かないのは、よく言われるように「地方には仕事がない(と思われている)から」だけなのか?それこそテレワークの推進で、東京の高給を維持したままどこでも働けるとなったら、もっと圏外へ流出してもいいはずだ。でもそうなっていないのは、人は結局、親・親族の問題から離れられないという理由が大きいからではないか?子どもの数が少なく、独身者も多い東京圏はなおさらだと思う。

一度は東京を離れた1%組にしたところで、都会の親が高齢になって「都会へUターン」だって十分あり得る。実際、昨年父を亡くし、高齢の母が一人暮らしとなってみると、いくら甲斐性のある弟が近くにいるとはいえ、近い将来お気楽独身の自分が帰って世話をすべきなのかと悩む。もともとフリーライター稼業は在宅仕事。ミーティングは基本オンライン、最近は取材もオンラインがさらに増え、本当にどこでも仕事ができるようになった。東京でなくてもいいが、福島でなくてもいいのだ。

もちろん、母の方を福島に呼び寄せる可能性も考えなくはない。福島市内ならそれなりに大きな病院も介護施設もある。ただ、既に一度生死の間をさまよう大病をし、それでなくても皮膚科だ整形だと病院にかかり、認知症の気味もある母の場合、まったく新しい環境でこれまでの病歴を知らない医者にかかるのは、おそらく現実的ではないだろう。そして、いずれ私自身が高齢になって支援が必要になったとき、親族のいる東京圏に戻ることが最も現実的な選択肢になるはずだ(実際そうするかどうかわからないけど)。医療はオンライン診療が解禁されても、身体介助はオンラインでは受けられないのである。

昨年1月初めの両親。この1年の間にいろいろなことが変わった。

こういう点に、日経の社説はまったく触れていない。地方活性化のためには、地方出身者が地方へUターンするだけでなく、「東京圏出身者に地方に目を向けてもらうことが重要」という日経の主張はきっと正しい。が、東京圏出身者にだって「帰らねばならない(あるいは離れられない)東京圏という故郷」があるのだ。

日経の提案は、各地方の大都市(大阪、名古屋、広島、福岡、仙台など)を「東京圏への人口流出に歯止めをかける橋頭保と位置づけて重点支援する」というもので、これは私もその通りだと思う。広井良典さんのいう「多極集中」だ。ただ、そこへ東京圏から人を呼び込もうとしたら、その鍵は日経の言うような「企業の集積」や「大学の研究開発力の底上げ」だけなんだろうか。高齢者や病気持ちでも何の不安もなく暮らせるという医療・介護先進地になることが、結局一番なんじゃなかろうか。そういう場所がいま日本中どこを探しても無いことが、みんな不安なのだから。

光る蛇

眼下を光る蛇が通る。後から後から。
右から左へ。左から右へ。
ときに並んで。ときにすれ違い。
黙々と軌道の上を這いゆく、蛇たち。
光るお腹に人間と空気を乗せて。

川崎の実家に帰る前日に東京駅近くのホテルに泊まった。部屋はシティビューと書いてあったが、むしろトレインビューというのが相応しかろう。山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線、そしていちばん手前が東海道新幹線。いつもお世話になる東北新幹線が20〜30分に1本(注:福島駅に停まる便)なのに対し、こちらはひっきりなし。本当に山手線と大して変わらない。

年の瀬の夕飯時、通勤電車にはそれなりに人は乗っていたが、普段の年ならもっとぎゅう詰めのはずだ。長距離列車に至っては回送かと見間違えるほど空いていた。それから向かいのビルの2階、あそこは確かライブバーじゃなかったか?テーブルにキャンドルのような明かりが灯っているのは見えるが、おそらくほとんど人はいないのだろう。

不要不急の帰省は控えるようにと言われても、父が亡くなってはじめての正月だ。半分ボケた母親を何日も一人にしておくわけにはいかない。普段世話をしてくれている弟に代わり、正月くらいは姉が帰らねばバチが当たる。翌日から遺品整理と大掃除の数日間が始まるのを前に、この一晩だけは自分にご褒美である。

もともと相対的に感染リスクの低いおひとりさまだが、今回は食事も全部ルームサービス。ジムもスパも人数制限だそうで他の客とはほぼ接しない。この業界も大変だと思うが、それでも東京にはまだまだホテルができる。八重洲口の目の前には、ブルガリホテルが入るという巨大ビルが建築中だ。

今年の年末年始は、一人で閉じこもり気味の母を、気分転換も兼ねて逆に福島の温泉へ「疎開」させようかとも考えたのだが、福島市もなかなか感染が拡大している。そもそも頭も脚も弱った母はとても一人で新幹線には乗れない。そう考えると、無理に福島の温泉へ連れて行かずとも、次回帰省したとき一緒に都心のホテルでプチ贅沢もいいのかも、とも思う。リモートだの二地域居住だの地方移住だのが進むと、意外に都心のホテルはこの手のニーズがあるのではないかしらん。

しかし、な。スパの立派なバスタオルで身体を拭き、使用済みタオル入れに放り込むときの罪悪感。お部屋にも一度しか使っていない立派なバスタオルがあったのに。ふわふわタオル地のルームスリッパは、念のため聞いたら案の定使い捨てだそうだ。なんと。これは持って帰ってリユースせねば。バーに行けば、外したマスクを入れるためのこれまた立派なビニールパウチをもらう。置いて帰ればもちろんゴミになるのだろう。・・・などとけち臭いことを言っているようでは、このクラスのホテルに泊まる「資格」はないのかもね。w

実家に帰れば屋根裏をネズミが走り回ってやかましい。干支が終わる前の最後のお祭りか。丑年になったら駆除してやる。あと24時間。締めくくる、などという気には到底なれないけれど。

今年も本ブログにお付き合いいただきありがとうございました。来年が良い年になりますように。