「開いててよかった」

コンビニの24時間営業見直しが話題になっているが、私の身近には数年前からずっと”時短営業”してるコンビニがある。

2014年夏、(原発事故のため)まだ全町に避難指示が出ていた浪江町で小売店の再開第一号としてローソンが開店した。私が浪江町役場に入職して1年目のことだったからよく覚えている。

避難指示とは、日中の立ち入りはOKでも寝泊まりはできないということ。除染や復旧作業などで町で働く人々も、夕刻には町外に出なければならなかった。そのローソンも当初たしか午後4時くらいで閉店してたと思う。それでも昼間町内で飲み物食べ物が買える!というのは素晴らしく有り難いことであった。

私の勤務先は役場の(避難先の)二本松事務所だったので、別に普段の生活に不自由があったわけではない。が、たまに仕事で浪江町へ行ったとき、ローソンが再開する前は、小腹が空いても絆創膏を買いたくてもお金を下ろしたくてもガマンしなければならないという経験をした。ローソン再開後も、うっかり閉店時間に間に合わないと同じことだった。

浪江町はその後一部で避難指示が解除され、人が住めるようになっている。店も少しずつ増えてきた。現在の居住人口は1000人足らずのようだ。が、2店に増えたコンビニは現在でも夜8時に閉まる。

不便だろうか?おそらく。

でも個人的には、あのとき「ガマン」という経験をさせてもらったことを有り難く思う。

欲しいものが欲しいときに手に入らなければ、あるもので済ませる。手に入るときまで待つ。幸いなことに私はそれで飢え死にする状況にはない。

「開いててよかった」の意味を心底理解できたことに感謝。

今日から始まったこと3つ

今日から始まったこと(その1):桃の花摘みバイト。友人の実家の果樹園でバイトさせてもらって早3年目。くだもの王国である福島市に引っ越して3年経ったということだ。草花も樹木も、花を咲かせるのは1年に1度だけ。今の私にとっては桜より桃のほうが季節の巡りを感じさせてくれる花である。

剪定で落とした枝を2,3本もらってきて活けた。きれいだなと思うのは私が短期のお気楽バイトだからであり、これが桃農家なら「家に帰ってまで見たくない」のかもしれない(笑)。

WUVJ3126 (2)今日から始まったこと(その2):福島第一原発の3号機で使用済み核燃料プールから燃料取り出し。19時の全国ニュースで一応やってたけど、今度は世の中あんまり騒がないみたいだ。5年前の4号機の燃料取り出しのときは、危険すぎる!絶対失敗する!みたいなのが国内外からいっぱい発信されていたのにねぇ。なぜ覚えているかというと、私がちょうど浪江町役場(の二本松事務所)に応援に入る予定の最初の1年間が、4号機の取り出しの1年間と重なってたから。あれだけ騒いで不安を煽っておきながら、無事終了したときには大した報道もなかったと思う。

そういえば、(除染で出た廃棄物を搬入する)中間貯蔵施設の用地買収がなかなか進まないというニュースも、3年くらい前までさかんに報道されていたと記憶する。2300人いる地権者のうちまだ数パーセント?どうすんのこれ?と絶望感を煽られるような気がしたものだが、いつの間にか買収の契約済みは7割を超えている。ちゃんと「その後」も報道してほしいよねと思うが、それも私を含めた視聴者・読者の関心を反映しているだけと言われればそれまでだ。

今日から始まったこと(その3):これはオマケだけど、自宅の春夏用ワークスペース。秋冬はエアコンのある南向きリビングの一角で仕事しているが、暖房の要らない時期は北側の部屋に置いた本来のワークデスクに戻る。5日前には満開の桜にうっすら雪が積もった福島市内だが、明日からは最高気温が20度超えらしい。

季節は巡る。そして生き物は出来事を忘れ、歳をとる……

初めての宇都宮ギョーザと初めてのタンマガーイ瞑想

おそらく人生で初めて、宇都宮駅で降りて(といっても駅ビル内だが)餃子を食べた。焼き餃子のほかに水餃子、揚げ餃子、さらにパン粉をつけたフライ餃子というのもあった。わが福島市にも円盤餃子という名物があるが、円盤状に並べたプレゼンテーションを可能にするためには「焼き」しかない。さすが餃子のまちを標榜する宇都宮。バリエーションにも工夫があるようだ。久しぶりの肉食で翌日の腹下しを若干恐れつつも、ご当地モノは頂かねばならぬ。水餃子と焼き餃子を食したら、ふつうに美味かった。

惜しむらくはビールが飲めなかったことである。運転する予定があったわけではない。その日の夕方から2泊3日でタイ国のお寺さんが主催する瞑想合宿に参加することになってたのだ。

宇都宮からローカル線に乗り換えて30分、そこから車で10分ほど。ゴルフ場に囲まれた昔の温泉ホテルがいまは「タイ瞑想の湯」という施設になっている。一見ちょっと怪しげな名前だが、タンマガーイ寺院という世界30カ国以上に別院を持つ立派なお寺の運営で、オレンジの僧衣をまとったタイの出家僧たちが瞑想指導してくれる。

といっても、ここは私が自分で見つけたのではない。友人Kさんに誘われて初めて、日本にこんなものができているんだと知った次第。

マインドフルネスとかメディテーションというのは世界的に一種ブームになっているらしいが、日本人が瞑想といったらまずは座禅のイメージだろう。あるいはヨガマットの上で脚を組み、目を閉じて座っているモデルさんの写真もお馴染みかもしれない。私も両方とも体験してみたことはあるが、たいてい眠くなるか脚がしびれて集中できないかのどちらかだ。それへの対処方法の説明もなんだかピンと来なくて、自分から瞑想合宿などに参加しようと思ったことはなかった。

今回、誘われるまま予備知識もなく参加した合宿だったが、結論からいうと、このくらいゆるい感じならいいかも!である(笑)。もちろん南伝仏教の僧侶の戒律は厳しい。けれどもこのタンマガーイ瞑想法の指導そのものは、どんな座り方でもいいし、途中で動いてもいいし、初心者は眠くなったら眠ってもいいという。 むずかしい呼吸法もないし、やたらビジュアルなイメトレのようなことも言わない。 「じっと動かないことが瞑想ではない」「眠ってしまっても、覚めたらまた始めればいい」というのが、なんだか目から鱗であった。

ひたすら心身を緊張から解放し、飛び回る心を徐々に身体の中心に鎮めていく。最後は自分と他の全てのものの幸せと悟りを願う、いわゆる慈悲の瞑想である。これを指導するお坊さまたちがみな柔和でとっつきやすい感じ(といっても女性は触れてはいけないが)なのも、また心地よい。

ついでにいうと、南伝仏教は(日本の大乗仏教諸派よりも)インドの初期仏教に近いはずなのになぜ仏像を礼拝するのか、私は自分で調べもせずただ疑問に感じていたのだが、これもこの機に聞いてみたところ、「神のような存在としてブッダを拝んでいるのではなくて、私たちはブッダが発見した真理を学ぶのだから、先輩として、先生として敬意を表しているのだ」という答えをもらって誠にしっくりきた。

心配した夕飯抜き(寺では正午以降は食べない)も意外につらくなく、かえって朝は身体がすぐ動くということも発見。そして、たった1日半だがスマホの電源を切ってプチ・デジタルデトックスできたのがよかった(したがって写真もない。芝桜の写真は、2日目の午後にみんなで散歩した芝桜公園でスタッフさんが撮ってくれたもの)。わずか2泊3日で何が変わったというわけではないが、なかなか興味深い体験ができ、誘ってくれたKさんには感謝である。

同寺院の東京の瞑想センターでは毎日のように瞑想指導があるそうだ。こういうのが福島にもあったらなあと思う。この8年間、いろんなことがあって人々の感情が大きく揺れ動き、心の中に悲しみだけでなく多くの無念・悔しさ・怒りが澱のように沈んでいる。それを解きほぐして洗い流すには、ストイックな禅の瞑想やヨガ体操系の瞑想もいいのだろうが、こういうだれでもできる穏やかな調心のアプローチこそ有効なように感じる。

そんなことは自分がこの瞑想で悟りを開いてから言え、なのかもしれないけど。

今年の記録

車の空調は、昼間は冷風・夜は温風。そろそろダウンのコートをクリーニングに持っていこうか。今年は冬タイヤをいつ履き替えようか。3月11日というのは(福島では)毎年そんな時期である。

今年も昨日まで1週間くらい、テレビをつければ思い出したように「あれから8年」特番ばかり。いや、思い出すのはいいことだ。思い出してどうするかがポイントなのだけどね。私を含めて大半の人は思い出すだけで何もしないし、翌日の今日はもう思い出したことも忘れているだろう。

▲暖冬の今年は2月末に吾妻小富士の雪ウサギが出現。でもまたすぐ隠れた。

こちらに来て6回目の3.11は、家で一日仕事していた。特別なことは何もしていない。1回目から4回目までは浪江町役場の職員としてやることがあったが、5回目からはフリーの身。3.11の迎え方も感じ方も、やっぱり変化している。自分の過去5回のSNS投稿やブログ投稿を読み直してみると、なんと自分は鈍感になり怠惰になったことかと思う。

というか、すべてがもう「日常」になったんだ。モニタリングポストも。家々の庭に置いてある除染廃棄物も。「今日の各地の放射線量」も。古びていく応急仮設住宅も。取材で浜通りにいくとき通る帰還困難区域のバリケードも。ほぼ更地になった沿岸部も。「風評払しょく」を訴える役人の話も。3号機の使用済み核燃料取り出し遅れ云々のニュースも。旧避難区域の人気のない通りとイベントで賑わう仮設商店街のコントラストも。そしてその中で営業再開した事業者たちの苦悩と笑顔も。

ぜんぶ、私にとっては「普段のこと」になった。

▲今日のサギは珍しくジッとしていない。白鳥はずいぶん早く北へ帰った。

先日のNスぺ。復興特需が終わりつつある宮城・岩手では、手厚い経済支援によってせっかく営業再開した事業者たちの多くが(補助金の返済期限を迎えて)再び苦境に陥っているという話だった。たまたま私も取材させてもらったことのある旅館の女将さんが出ていて、胸が痛んだ。と同時に、おそらく似たようなことが数年遅れて福島にもやってくるんだろうと想像せざるを得なかった。

「復興の目玉」として相当な額の公的資金を投入して作られた施設が、ほとんど稼働していないとか1年で休業という話は、すでに福島県内でも聞く。莫大な費用をかけて除染・インフラ復旧をしても「住民帰還率は〇✖パーセントに止まる」で片付けられてしまう。「やっぱり福島に注ぎ込んだあの金は無駄だった」などと言われない、言わせないためにはこれからが正念場だ。そのために自分ができることってあるのか?それは何なのだろう。

そんなことを思案し始めたのも、昨日今日ではない。ここ数年はいつも脳裏にある。ちゃんと書けるような答えが出ないまま、今年の3.11も過ぎていった。

2018322日 いつまでアニバーサリーなんだろう

2017311日 書いておきたかったこと

「賊軍」の地より

今年は明治維新150年。だけど、これを福島県で言うと戊辰戦争150年となる。

自慢する話では全くないが、この歳になるまで日本の歴史なんてとんと興味がなかった。中学校の勉強は全然記憶にないし、高校では日本史と世界史は選択制で、私は世界史を選択した。自国の歴史を知らずして世界史もないだろうと今にして思うが、仕方ない。そして最近は、むしろ世界というより人類の歴史、いや地球の歴史、宇宙の歴史のほうに関心があって、読む本もそういう類のものばかりだった。

bosinsensoでも今年はせっかく大河ドラマを毎週見てるし、せめて近代日本が生まれた頃の話をちゃんと知ろうではないかと思い、本を読み始めたのがふた月ほど前。県立図書館に行くと、ちゃんと戊辰戦争150年コーナーができている。黒船が来てから明治維新までの大筋はもちろん分かっていたつもりだが、何冊か借りて読んでいくうち、おそらく学校の歴史の教科書では触れていないであろうディープなエピソード類にも遭遇。東北、福島県、とりわけ会津の人たちが東京というか「国」(明治新政府のつづき)に対して一種微妙な感情を持っているとすれば(本人たちの自覚があるかどうかは別として)、なるほどこういうことに端を発していたのかと、今更ながら理解した次第である。

戦後、首都圏向けの電力供給地として、福島には水力、火力はもちろん、かの原発も建設され、絶対起きないと言われていた事故が起き、その後の顛末はご存知の通りだが、それをも戊辰から続く被虐の文脈で捉える人がいたとして不思議はないと思える。

そんな150年間の恨み辛みも、それこそ宇宙138億年の歴史から見れば大した話ではないのだけど、人は「我が一生」もしくはせいぜい「我がファミリーヒストリー」というミクロな視点からは逃れられない。

そういえば、私自身、薩摩と土佐は訪れたことがあるが長州はまだ未踏の地だ。日本もなかなか広いから、その地の歴史に育まれ、人々の暮らしの根底に流れる通奏低音のような文化や価値観は、いくらネットの時代でも実はそこまで全国均一化されてないんじゃないかと思う。勝って官軍となった地に暮らしてみれば、また違う明治維新、違う日本が見えてくるのかもね。どちらが正しいとかではなく。暮らすのは無理でも、出雲大社詣りとあわせて近いうちにぜひ訪れてみたいと思っている。


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