気づいたらこうでした

師走が来た。年が明ければ福島県に来て丸6年になる。もとはと言えば1年少々の「お試し地方暮らし」のつもりだったのにねえ。まあ、「復興支援」の文脈で東北にやってきた人々の間では、決して珍しくないパターンではある。6年のうち3年2か月は公務員。フリーランスになってからは、早や2年10か月だ。

先日、中小企業庁から「商品または役務(サービス)を提供している事業者」宛ての調査票が届いた。あら、誤配かしら?と思ったが、そういえば私は個人事業主という立派な「事業者」なのであった。 フリーランスというカタカナ英語にはなぜかある種のオチャラケ感がつきまとう(ような気がする)が、事業主を英語で言えばビジネスオーナー。そうか、私って起業したわけね? しかもいちおう移住組だし。いま流行りの「移住起業者」ってことじゃん、ワタクシ。

主に首都圏から「移住して起業する人」を、地方自治体はどこも「起業型地域おこし協力隊」などの名目でたくさん誘致・育成しようとしている。ただ呼ぶだけでなく、物心両面のサポートの仕組みを充実させているところも多い。でも私は基本ぜんぶ自力だったよなー(笑)

もっとも、フリーライターなどという仕事は雇用も生まないし、仕入れもしないし、人も呼ばないし、地域経済への貢献はミニマルだから、行政としては支援してまで増やしたい人種じゃないのかもしれない。移住して、「起業もいいけど何より子ども産んでほしい」というのが自治体の本音ならば、四十路五十路の移住者はなおさらノーサンキューなのだろう。

だけど、若くて元気な20-30代の起業志望者以外にも、私のような世代の「気づいたら移住起業者」予備軍のサラリーマンは、大都会には数多いるはずだ。まだ引退するには早いが、宮仕えはもう卒業したい、そして経済的にプチリタイヤも可能な(=収入が多少減っても何とかなる)層である。

ワタシら、たとえ域内生産の足しにはならなくても、 たとえ長期の人口減少対策には寄与しなくても、 ここで暮らせば消費もするし少ない収入なりに税金も払う。まだけっこう残っている気力体力能力を使って、多少なりとも人の役に立つことができるかもしれない。地方創生も、もうちょっとそういう予備軍をターゲットにした政策があってもいいんじゃないかしらん?(もちろん、プチリタイヤどころかちゃんと会社を作って正真正銘起業してる中年移住者だっているが、それを目指すのはかなりハードルが高い。そこまで行かない私のようなフリーのユル起業も含めればもっと裾野が広がるはずという意味だ)

ってこれ、ミッドライフクライシス世代の一種の僻みかしらね(笑)

(写真は郡山のカフェBranch にて)

心おきなく、いよいよ熱燗!

前回ブログを書いてから3週間。だいぶ季節が進んだ。ベランダから見える吾妻山も安達太良山も、もうてっぺんが白くなり始めている。

夏の間の晩酌は、節約の意味も含めてもっぱら第三のビールだったが、こうして夜の気温が一桁になってくると酒も冷たくないのがいい。ワインなら常温の赤、日本酒ならお燗。福島に来てから日本酒に開眼し、さらに最近は燗酒に目覚めたワタクシ、今日は近所の酒屋さんで勧められた燗用の酒を2本も仕入れた。

私が燗酒にハマったきっかけは、仕事で燗酒の奥深さを紹介する記事を書かせてもらったことだ。(よかったらお読みくださいませ。4回シリーズで2回まで掲載されてます⇒ 「燗酒ノ城」店主、前田洋志氏に聞く IKKONで楽しむ燗酒の世界(第1回) 「燗酒ノ城」店主、前田洋志氏に聞く IKKONで楽しむ燗酒の世界(第2回)

この記事にも書いてあるが、実は福島県のお酒は一般にあんまり燗に向いていないそうである。今日買った緑川も新潟のお酒。勧めてくれた酒屋さんは、当たり前だが相当に日本酒は詳しい。福島の酒は昨今の鑑評会で評価が高いフルーティな香りのものばかりになってしまったといい、そういう香りを出す酵母の種類まで紙に書いて教えてくれた。いま人気の福島の銘柄は、たしかに華やかで甘い香りと味のものが多い気がする。そりゃ温めるのにはちょっと向かないのよね・・・

ということで、今日からしばらく新潟の燗酒でコメの香りと旨味を味わう日々が再開する。

再開、というのは実は昨日まで5日ほど断酒してたから(笑)。昨日は数年ぶりの人間ドックで、断酒は直前の足掻きというやつだ。その足掻きが奏功してか、各種数値的には何も問題ないというお墨付きをもらえた。が、最後に内診してくれた年配の医師、私の顔をまじまじと見たあげく「手のひらを見せてごらん。あなた、ずいぶん黄色いね」

・・・はあ、そりゃ黄色人種ですから。あ、そうじゃなくて?(笑)居合わせた看護師さんの手のひらと比べると、うむ、たしかに色違いますね。

「白目は黄色くないから病気じゃありません。でもあなた、みかんとか黄色いものたくさん食べましたか?」はい、ここ数日かぼちゃとニンジンを大量に食しております。「あなたは色素を排出する力が弱いらしいから、少し控えなさい」

ふむ・・・では、春先に葉物野菜ばかり食べたら私は緑になるのか?てか、大根とかカブとか白いものをせっせと食べたら色白になれるのかしら?? いずれにしても、お一人様が産直で野菜を買うと小分けされてないのでどうしても「づくし」になってしまうのだ。冷蔵庫にはかぼちゃの煮たのがまだ残っている。晩酌のお伴に、今夜も食べちゃうもんねー^^

こんな日もある

老親の様子を見がてら月に一度のペースで帰京(上京?)する。往復の新幹線はたいてい最速のやまびこ号に乗るが、どういうわけか福島に戻るときは各駅停車のなすの号でゆっくり行きたい気分のときが、たまーにある。

△福島市街を走る東北新幹線△

在京の学生時代・前職時代の知友人と久しぶりにしゃべり倒した後などは、たぶん余韻を楽しみたいというか、福島という今の私の現実世界に戻る前に何かワンクッション必要なんだろう。世の中のお父さんたちが真っ直ぐ家に帰りたくない気持ちって、こういうことなのかしらん(笑) 私の場合は誰にも邪魔されない一人だけの快適な空間が待っているわけで、決して帰りたくないわけじゃないんだけどねぇ。

今回もそんな感じで、17時のやまびこに余裕で乗れたところを敢えて17時12分のなすのに乗った。福島まで2時間弱のくつろぎタイム、セブンより美味しいと聞いたローソンのバスチーとLサイズのカフェラテを持ち込んで、準備は万端だ。

いつも自由席だが座れなかったことはない。この日も10分ほど並んで問題なく2人がけの窓際をゲットはしたが、へー、この時間のなすのってけっこう混んでるのね。東京から45分の小山ではホームのエスカレーターに並ぶほど人がたくさん降りていき、こうやって新幹線通勤してる人は多いとんだなと知る。

バスチーを平らげ(たしかにローソンの方が私好み)、ラテを味わい、スマホをいじってるうちに宇都宮を過ぎた。さて、ちょいとウトウトしようかな……

△下り東北新幹線は福島駅を出るとすぐ信夫山トンネルに入る△

と思ったら、なんと「次は終点」のアナウンス。へ?那須塩原止まりなんてあったのか。なすのは全部仙台まで行くものと勝手に思っていて、乗る前にちゃんと行き先を確認してなかった。アホや。

仕方なく人生初の那須塩原駅で下車。次の各停仙台行きが来るまで30分近くある。カバンに読み終えた軽い本が2冊入っているが、再読する気にはならない。そうだ、さっきデザート食べちゃったけど夕飯はまだだ。遅くなりそうだから那須塩原スペシャルの駅弁でも!と思ったら「当駅では駅弁のお取り扱いはございません」 …onz

この駅にはそういう状況の客も多いのだろう、那須高原玄関口のリゾート駅だとばかり思っていたが、待合室は明らかにリゾート帰りではない人々でけっこう満席。みんな手持ち無沙汰にスマホをいじっている。

結局、17時の最速やまびこに乗っていれば18時半に着いたものを、1時間以上遅れて19時40分に福島駅到着。真っ直ぐ帰りたくないついでに、久々の一人うまか亭(しかも飲まなくてもいいビール付き)で余計な散財までしてしまった。

ま、こんな日もある。

なすの号に乗りたいときは、東京でたくさんインプットがあって脳がいっぱい刺激を受けた証拠だ。悪いコトじゃないから懲りずに乗りたい。だけど行き先はちゃんと確認しようね、ワタシ!

何を学ぶか

生まれて初めて災害ボランティアというものを体験した。これまで身近な場所で募集されたことがなく(たぶん)参加の機会がなかったというのは、思えばラッキーなことである。

各地に被害をもたらした台風19号、福島市内でも私の家からさほど離れていないエリアがかなりの深さで浸水した。テレビでは見ていたが、初めて現場に入って人の身長よりも高いところに水の跡が付いているのを見ると、本当に恐ろしいと感じる。この地区では津波のように家ごと流される被害はなかったのが不幸中の幸いで、水が引いた後の家々は一見ふつうに建っているのだが、中はものすごいことになっていた。

▲左側の建物のさらに左手が川。この狭い道路は水没し、かさ上げしてある家も1階の半分くらいまで浸水した。

この日の活動は主に、1階の鴨居付近まで水につかったお宅の片付けを2軒。めちゃくちゃになった部屋の中にあるものをとりあえず全て外に運び出すのだが、その過程で図らずも、そのお宅の生活の全てが見えてしまう。

家具や家電、食器や衣類はもちろん、泥まみれの中から出てくる細々したものたち。明らかにお仏壇の中にあったものや、きっと大切であろう写真類などはすぐに見分けて家主に渡せるも、他のものは基本的には全部まとめてビニール袋に突っ込んでいくしかない。その中にだって持ち主の思い出が詰まった品々はたくさんあるのだろうが・・・

▲大森川。増水した阿武隈川に合流できず、土手が崩落したという。

そして、泥水を含んだ畳がこれほど重いとは。古いお家なだけに、最近よくあるナンチャッテ畳ではない。本物の井草の立派な江戸間サイズだ。一枚運び出すのに若い男性でも4人がかりである。絨毯もしかり。個人的には最近やっと和室の良さが分かってきたところだったが、こうなるといちばん楽なのはやはりフローリングですね、としか言えない。

この日のボランティアは、福島大学の学生グループをはじめ総勢30人あまり。平日にもかかわらず若い男性も少なからずいたおかげで、五十路のおばさんは比較的軽いものの片付け担当で済んだ(それでもかなり腰にきて翌日は使い物にならなかった・・・情けない)。が、これが高齢者ばかりの集落で若い男手が来なかったら、本当にもうお手上げであろう。

他にも主要国道が土砂崩れや路肩崩落で通行止め、ローカル鉄道は運休。私にとっては、自分の生活圏内で経験する初めての大規模自然災害となった。それでも私個人の生活に全く支障を来していないのは、幸運以外の何物でもない。

▲この規模の浸水ではおそらくほぼ役に立たなかった土囊。

福島県内の被災地は、もちろん福島市だけでなく各地で似たような状況だ。浜通りの一部ではいまだに断水も続いており、一日も早い復旧を願うばかりである。

農産物の被害も恐ろしことになっているはずだ。一年間丹精込めた作物が一晩でダメになる切なさ。しかも、台風は地震と違って来るのが分かっていながらほぼ為す術がない。素人でも想像するだけで心が潰れる。

この規模の台風は今後、増えこそすれ減ることはないのだろう。せめて日本付近を通らないよう祈るしかない。

Life goes on

思えば人類史は自然災害との戦いであった。現代人は忘れがちであるけれども。

福島県内も各所で河川の氾濫や堤防の決壊があったが、幸い私の住む周辺は無傷で済んだ。被害にあった地区の一日も早い復旧を祈るばかりである。

上の写真は、このブログでもたびたび登場する私の散歩コース、荒川土手。台風一過の今日16時半ごろに撮影したもので、もうだいぶ水は引いていた。広い土手のグラウンドは完全に水没したらしく、サッカーのゴールポストの位置が変わっている。手前にあったはずのもう片方のゴールポストは姿が見えなくなっていた。

福島市内を流れるこの荒川はその名の通り昔から洪水が多い暴れ川で、1986年の8.5水害では死者の出る被害があったそうである。8.5水害とは関東甲信越も含めてかなり広範囲に被害が出た大災害だったらしいが、当時東京の大学生だった私はまったく記憶がない。いかに世の中に無頓着だったか。まったく恥ずかしいくらいボーッと生きていたものだ。

今回の台風で、福島市が誇る観光道路の磐梯吾妻スカイラインもまた当分の間通行止め。紅葉のピークシーズンを前に関係者はさぞや落胆しているだろうが、それもこれも天のなせる技だから仕方ない。

一方で今日、福島市街にある福島稲荷神社の例大祭は予定通り行われ、出店が並び、山車が練り歩いているらしい。もちろん自粛すべきというわけではないが、テレビでもSNSでも被害のニュースばかりだからなんだかこのギャップは不思議な感じだ。

▲4日前に行った二本松菊人形展にはこんな一角も。12日は休園したが13日から再開とのこと▲

地震、津波と比べて河川の氾濫は、治水技術の向上であたかも克服できたかのように錯覚してはいなかったか。人類、奢ってはならないと改めて思う。

どんな状況でもみな心穏やかに過ごせますように。