コシャリとメルベイユを食べながら

新聞や経済誌を読むと、人口減少・高齢化が進む日本は「国力」が低下した、という意味のことが書かれている。だから政府はこれ以上の少子化に歯止めをかけるのに必死である。

もちろん日本国内だけを見て短期的に考えれば、頭でっかちのいびつな人口構成による医療や社会保険の破綻可能性は「今そこにある危機」だから、とりあえず(移民も含めて)若年層の数は増えてくれた方がいいとは私も思う。また、国内市場は縮小するので、日本株式会社としては人口がまだ増え続ける中東・南アジアやアフリカに活路を見い出せ、という理屈もわからないではない。

だけど、もっと根本的なところで彼らの論理は何か間違ってる気がするのである。

辞書を引くと「国力」とは経済力とか軍事力とかの総体だそうである。だけどやっぱり大もとは経済力だろう。経済力=豊かさ。国民みんなが豊かになるためにはパイが拡大し続けなければならない。パイが拡大し続けるためには市場が拡大し続けなければならない。市場が拡大し続けるためには人口が増え続けなければならない。(軍事力だって、結局は兵器を買うおカネとそれを扱う人間がいないと始まらない。)そういう理屈にしか聞こえないのだ。

でも、これは普通に考えたらとうぜん無理な話である。日本でその理屈が正しいなら他の国でだって正しい。世界のすべての国において、人口が増え続けることが経済的に「善」とされ、医療技術の発達により人はどんな状態であれ1日でも死ぬのを遅らせることが倫理的に「善」とされる。その末はどうなるのか。

世界の人口が一方的に増加し続ければ、理論上、いずれ地球上は人類で隙間なく埋め尽くされる。それは単純な物理的真理だ。そんなのあり得ないと笑う人は、そうなる手前のどこで「人口増=善」という現在の「常識」が覆ると考えているのだろう。

もっとも、世界人口はあと数十年でピークアウトするという推計もある。100億に達してから頭打ちになるとか、いや90億がピークだろうとかとか、いろんな試算があるようだが、幸いこのまま右肩上がりではないかもしれない。

これまでの歴史が教えてくれるところでは、貧しい国が豊かになれば一人の女性が産む子どもの数は減る。遅かれ早かれ人口維持可能な2.06を下回るまで減る。豊かになることと、人口が増え続けることは、長い目で見ると両立しないようにできている。あえてこれを自然の摂理と呼ぼう。これも普通の人なら当たり前に知っている事実ではなかろうか。

それなのに、経済紙誌に論説を書くような頭のいい人たちは、どうして「人口増加で市場拡大して豊かになる(あるいは他所の人口増加地域に市場を求めて豊かさを維持する)」という単線的なロジックしか提供してくれないのだろう。

だからといって、そもそも豊かさとは何かとか、目指すべきは豊かさじゃなくて幸せである、みたいな哲学的講釈をしてほしいわけじゃない。

中東やアフリカでついに人口減少が始まったとき、その単線的ロジックは通じなくなる。世界人口の増加を前提としない経済成長(成長しなければならないとすれば)のあり方こそ議論してほしいのだ。それこそ「新しい資本主義」なんじゃないのかしら?

……って、やっぱりこれは豊かさってナニ?というハナシになるんだろうね。

(写真はこの正月、墓まいりの帰りに食べたもの。私の父は長男で実家は川崎なのに墓はなぜか新宿区の神楽坂近くにある。1枚目=ベルギーはフランドル地方の伝統菓子、メルベイユとやら。アジア初出店だそうで大人気。2枚目=その前に入ったアラビア料理店にて初のコシャリ。ベジだがけっこうヘビーだった。こういう食生活ができることを「豊か」といい、この状態を維持するためには経済成長が必要なのか……)

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