待ち人きたよ

12月30日。小さな福島駅は大きな荷物を持った人でいつになく賑わっていた。東北新幹線の改札前は降りてくる人、それを待つ人、これから乗る人でいっぱい。駅前では車寄せに入りきれない送迎車が周辺の道路に列を作って駐車している。コロナ禍スタート直前の2019年末もこれほど混雑してた記憶はないのだが。

駅ビルの中の飲食店も久しぶりの大繁盛だったろう。私も上りの新幹線に乗る前に腹ごしらえと思い、いつも前を通っているのに入店したことのない和食屋に入ってみたら、まだ11時半前なのにほぼ満席であった。

客の回転も速く、店員たちが大忙しなのは歴然だった。全員が若い女性だ。通常の接客に加え、入口では検温、空いた席のアルコール消毒という「ひと手間」がまだ続いている。にも関わらず、彼女らの態度には「これ以上仕事増やさないでくれ」オーラがみじんも感じられない。感心した。

隣のテーブルでは年配の女性が2人、やれ◯◯を少なくしろ/多くしろ、やれ箸を落とした、やれドレッシングの蓋が開かない、と店員を呼ぶのだが、そのたびに嫌な顔ひとつせず、当意即妙に対応する。反対隣の常連客らしい年配男性2人が顔見知りの店員を呼び止めると、他の客の邪魔にならない程度の、これまたちょうどいい加減の会話をアドリブで展開する。大したものだ。

全ての客にいつ何時も平常心で接し、臨機応変な応対ができるかどうかは、訓練はもちろんだが、やはり持って生まれた性格も関係すると思う。

私自身、接客という仕事が全くの未経験というわけではない。3年前に始めた観光案内所のバイトは、最初は緊張したが今では次のお客さんが何を尋ねてくるかけっこう楽しみになっている。いつぞや大型連休の温泉旅館で中居のバイトをしたときは、ヘトヘトになりながらも一期一会の出会いの中で勝負するやりがいは何となくわかる気がした。

それでも今日の和食屋の店員が私に務まる気はしない。今年最後にいいもの見せてもらった。年末年始も休み無しの皆さん、お疲れさまです。

そんなことを考えながら、東京へ向かう新幹線に乗る。大半の帰省と逆方向とはいえこの時期さすがに混むだろうと、比較的空いていると思われる各駅停車自由席にしたら、見事にガラガラであった。

ウトウトするうち約2時間で東京駅に到着。案の定、そこは福島駅の「混雑」が事実誤認と思える人混みだった。

さて、これから実家で年越し1週間。帰る家があること、待っている家族がいることがどれだけ有り難いかはわかっている。だからせめてこの7日間、年相応のボケが入った母の言動に、いちいち嫌な顔せず声を荒げず当意即妙の対応をするよう努力しようではないか、ワタシ。

・・・と思いましたが、実家到着後ここまで書いてアップする前に、食卓上の紙の山の中に謎の通販請求書を見つけてしまい、さっそく一発(ごく控えめに)怒鳴りました。

今年も他愛ない話にお付き合いくださりありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

写真=去年の今ごろ宿泊した福島市内の温泉宿からの眺め。

東電の広告

これね。昨日の日経に出ていた東電の広告。ALPS処理水の海洋放出についての理解を深めてもらうために、「科学的な根拠に基づく情報を国内外に分かりやすく発信していきます」っていうのが、これなんだろうか?

処理水の海洋放出について個人的意見はここでは置いといて、もし私がマーケティングの授業で「処理水を海に流しても大丈夫だということをわかりやすく発信する広告を作る」という練習課題をもらったら、どうするかなと考える。おそらく、トリッチ君みたいなゆるキャラをつくって、僕たちは自然界にもいっぱいいるよ、みたいなイラストを作るのかしら。でもそれこそ去年復興庁が作ろうとしたチラシと動画なんだよね。トリチウムを可愛らしく表現したイラストが使われ、「問題を矮小化している」などの批判を受けて削除した、っていう。

そっちの方向にいくとそうやって非難されるので、やっぱりこういう「科学的な説明」を文字で淡々と述べる「真面目な」スタイルにせざるを得ないのかなと思う。

メインコピーだって、単純に訴求力だけを考えたら、「心配無用。処理水を海に流したことが原因であなたが病気になることはありません」みたいなキャッチにすべきしゃないか。本当に達成したいのが、「科学的に安全だという理解」ではなくて「大丈夫なんだなという安心と納得」なのだとすればね。でないと「風評」はなくならない。

全町避難時代の浪江町役場で広報の手伝いをしていた頃からずっと感じていることだが、放射線や原発廃炉に関するリスクコミュニケーションは本当に難しいと思う。放射線のセミナーや研修も何回も受けたが、多くの人が親しみやすい方法で平易に伝えようとしたものに対しては、物事が単純化されすぎているのではないか、という疑念がわく。かといって詳細な情報を網羅したものに対しては、専門的なことを並べて素人を煙に巻こうとしているのではないか、という拒否感を持つ。人間、そういうものだ。

国も東電も専門家も、このくらいのトリチウム水なら海に流しても問題ない、大丈夫、とは書けない。環境中の放射線量は、このくらいなら問題ない、大丈夫、とは言えない。このくらいなら他所でも存在します、このくらいなら他所でも放出してます、(あとはあなたが判断してね)としか言えないのであれば、「安心したい、安心させてほしい」私たちと、「理解を深めてもらいたい」だけの国・東電との間のギャップは埋まらないだろう。

トリチウムは大丈夫でも体内で「有機結合型トリチウム」になったら内部被ばくが心配だ、とか。そもそもトリチウム以外の核種がちゃんと除去できていないんじゃないか、とか。モルタル固化とか他の案は真面目に検討されたのか、とか。そういう疑問に、QA形式で答えてる経産省のページなんかもあるようだが、推進側の言うことがハナから信用されてない場合、双方の主張は永遠に平行線である。

どだい、完全なる「安心と納得」を望むのは無理なのだ。あちら立てればこちらが立たずの中で、ぶっちゃけ、経済的にも環境的にも折り合える現実的な選択肢はこれしかないらしい、という「消極的理解」だけでもどうやって深めるか。そういうことなんだね、この広告で言ってるのは。