私のストレス発散法

今年のゴールデンウィークは1週間の長きにわたって実家に滞在し、最後の2日を使って母(86)の衣類を処分しまくった。いったい身体いくつあるんですか、というくらい大量の洋服。母は引き出しに入れたものはすべてその存在を忘れてしまうとみえて、あちこち開けると同じような色や形のものが出てくるわ出てくるわ。一枚ずつ取り出しては「あらーこんなのあったかしら、でもこれ首回りが開きすぎだわ/丈(袖)が短すぎだわ/なんだか色(柄)が似合わないわ」等々で最後は「あんた、要らない?」

要・り・ま・せ・ん。

リサイクルできそうなのは引き取りサービスに出し、とりあえず母が自分で着る気になったものは全部ハンガーにかけて引き出しは封印。そうやっていつも見えるようにしておかないと、忘れてまた同じようなのを通販で買ってしまう。

と思ったら、案の定ピンポンと宅配便が届き、袋の中からまたもや同じような青いTシャツが。本人:「こんなの頼んだかしら?」

・・・ふ、ふざけんじゃねー!!!

と怒鳴りたくなる衝動は無理に抑えないほうが良い、むしろ格好のストレス発散だと考えることにして素直に思いっきり怒鳴る。

▲お彼岸に行かれなかった墓参りの帰り。母と弟と三人で父の好物だった老舗「大沼」の鰻を。

もっともこの「ふざけんじゃねー」は半分以上は通販会社に対して叫んでいるものだ。通販といっても母はネットでポチるわけではない。以前に二度くらい、ダイニングテーブルの端に積み上げられたカタログの通販会社に片っ端から電話して送付中止にしたはずなのに、行くたびになぜかまた新しいカタログが届いている。怒る私に母が「もう二度と通販で服は買わない」と約束するのはいいが、用無しのカタログを捨てるのだって大変なのだ。たまればけっこう重いので、母の力では紐で束ねることもできないし、決まった収集日に出しに行くこともできない。

もちろん通販会社だって商売だし、実際に通販を重宝している家庭もあろう。足腰が弱ってなかなか買い物にも行かれない母にとって、カタログを眺めるだけでも楽しいのは理解できる(だから2種類の通販だけはキャンセルせずにおいてある)。とはいえこの大量の紙、多額の送付コストは果たして正当化できる範囲内に収まっているのだろうか?そして送りつけた先の家をゴミ屋敷にしている可能性は正しく認識されているのだろうか?

私がやるようにたまに誰かが買いすぎを注意したり、たまったカタログを処分したり発送そのものを止めたりできる家ならいいが、そうでない家はいったいどうなってしまうんだろう・・・

そんなこんなで今年の黄金週間も終わり。帰りの新幹線の中で、怒鳴りまくった自分を少々反省しながら思い出した。20年くらい前のこと、当時勤めていた外資の保険・金融グループの社長の一人が毎月日経にコラムを寄稿していて、英語で書かれた原文を和訳するのが私の仕事だった。その米国人社長はとても文才がある人で毎回訳すのが楽しかったのを覚えているが、今回思い出したのはその中の一話だ。

その社長が休暇で生まれ育った実家に帰省する。そこには自分が子どもの頃に使っていたもの等がまだそのまま残っており、帰るたびに片づけてゴミに出すのだが、出しても出してもお母さんがゴミ置き場から持って帰ってきてしまう。ご両親はあのGreat Depressionを知っている世代。一度使ったアルミホイルまでシワを伸ばして引き出しにしまってある、というような話だった。(細部の記憶は不確かだけどもエッセンスはお判りいただけると思う。)

そう、「高齢の親によるモノためこみ問題」は洋の東西を問わないのだ。それだけ普遍的な課題であり深淵なテーマであって、簡単な解決方法などあるわけがない。

というか、解決しないほうがいい場合もある。たとえば、実家に帰って怒鳴る相手がいなくなったら私はストレス発散できなくなってしまうではないか。だからこの調子でもうちょっとがんばってちょうだい、母上。

2022年母の日に。

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