日本地図を眺めよう

福島に住んでいると、時折この県の広さを全くおわかりでない旅行プランを持つ旅人と遭遇する。

海外の人なら仕方ないかとも思うが、日本人では特に若い方々。どうも東北=首都圏、福島県=神奈川県、くらいのイメージらしい。でもね、県内の4大都市、福島・郡山・いわき・会津若松を、新宿・横浜・千葉・さいたまくらいの感覚で考えているとエライ目にあうのだよ。実際には福島県には神奈川県が6つ近く入るのだよ。

距離感がわからない理由のひとつは、いまの若者たちは大きな日本地図を広げて見たことがないから、じゃないかと思っている。彼らにとって地図といえば小さなスマホ画面の中にしかない。それも都合よく拡大縮小できるのだから、離れた場所の面積の大小がピンとこなくても仕方ないのだろう。

地方旅行では距離だけでなく移動手段も問題だ。もちろん、山手線のようなダイヤで電車が走っていないことは皆さんご承知なのだが、福島駅からのローカル線やローカルバス、都市間を結ぶ高速バスの時刻表を見ておどろく人は少なくない(コロナの影響もあって、もともと少なかった便数がこの2年でさらに減っている)。いちおう人口28万人を擁する県庁所在地、福島市でさえこうなのだ。

そもそも市内には実質的に車しかアクセスのない郊外の観光名所や商業施設も多い。おいでおいでと宣伝しておきながら、また高齢者の免許返上を促しておきながらそれってどうなのと個人的には思うが、市にしてもJRにしても福島交通にしても無い袖は振れないということなのだろう。結果、旅行者にとっては運転できるならレンタカーがベストではある。

地図アプリや乗り換え検索アプリも発達した現代、ざっくり「ここに行きたい」と思ったらとりあえず新幹線に乗り、後は現地で調べればいい、という感覚もわかる。実際、福島は「思い立ったら日帰りもできます」的な宣伝もしている。だけど、それは訪問先が新幹線沿い(中通り地方)の1か所の場合だ。

会津、中通り、浜通り。広い福島県には地方ごとに見るものがたくさんあるが、3地方間のヨコの移動にはかなりの時間がかかる。コロナもそろそろ終わり、夏秋の旅行を考えている方も多いだろう。せっかく来たからにはたくさんのものを見てほしい。だから是非、まず大きな日本地図で福島県と東北地方の大きさを認識し、行きたい場所間の距離を調べ、できればレンタカーを予約してご来福くださいませ~。

【写真上】吾妻小富士から眺める一切経山は活火山。どちらの山も観光道路「磐梯吾妻スカイライン」の途中にある浄土平から登れるが、そこまで行くバス便はない。ときどき自転車で登ってる人がいるけど。

【写真下】「道の駅ふくしま」フードコートの「大笹生(おおざそう=この辺の地名)カレー」。福島の飲食店としては珍しくスパイス類が効いている。先月オープンした道の駅は地域の産物満載で大賑わいだが、ここも福島駅からバスで往復するのはかなり厳しい。

私のストレス発散法

今年のゴールデンウィークは1週間の長きにわたって実家に滞在し、最後の2日を使って母(85)の衣類を処分しまくった。いったい身体いくつあるんですか、というくらい大量の洋服。母は引き出しに入れたものはすべてその存在を忘れてしまうとみえて、あちこち開けると同じような色や形のものが出てくるわ出てくるわ。一枚ずつ取り出しては「あらーこんなのあったかしら、でもこれ首回りが開きすぎだわ/丈(袖)が短すぎだわ/なんだか色(柄)が似合わないわ」等々で最後は「あんた、要らない?」

要・り・ま・せ・ん。

リサイクルできそうなのは引き取りサービスに出し、とりあえず母が自分で着る気になったものは全部ハンガーにかけて引き出しは封印。そうやっていつも見えるようにしておかないと、忘れてまた同じようなのを通販で買ってしまう。

と思ったら、案の定ピンポンと宅配便が届き、袋の中からまたもや同じような青いTシャツが。本人:「こんなの頼んだかしら?」

・・・ふ、ふざけんじゃねー!!!

と怒鳴りたくなる衝動は無理に抑えないほうが良い、むしろ格好のストレス発散だと考えることにして素直に思いっきり怒鳴る。

▲お彼岸に行かれなかった墓参りの帰り。母と弟と三人で父の好物だった老舗「大沼」の鰻を。

もっともこの「ふざけんじゃねー」は半分以上は通販会社に対して叫んでいるものだ。通販といっても母はネットでポチるわけではない。以前に二度くらい、ダイニングテーブルの端に積み上げられたカタログの通販会社に片っ端から電話して送付中止にしたはずなのに、行くたびになぜかまた新しいカタログが届いている。怒る私に母が「もう二度と通販で服は買わない」と約束するのはいいが、用無しのカタログを捨てるのだって大変なのだ。たまればけっこう重いので、母の力では紐で束ねることもできないし、決まった収集日に出しに行くこともできない。

もちろん通販会社だって商売だし、実際に通販を重宝している家庭もあろう。足腰が弱ってなかなか買い物にも行かれない母にとって、カタログを眺めるだけでも楽しいのは理解できる(だから2種類の通販だけはキャンセルせずにおいてある)。とはいえこの大量の紙、多額の送付コストは果たして正当化できる範囲内に収まっているのだろうか?そして送りつけた先の家をゴミ屋敷にしている可能性は正しく認識されているのだろうか?

私がやるようにたまに誰かが買いすぎを注意したり、たまったカタログを処分したり発送そのものを止めたりできる家ならいいが、そうでない家はいったいどうなってしまうんだろう・・・

そんなこんなで今年の黄金週間も終わり。帰りの新幹線の中で、怒鳴りまくった自分を少々反省しながら思い出した。20年くらい前のこと、当時勤めていた外資の保険・金融グループの社長の一人が毎月日経にコラムを寄稿していて、英語で書かれた原文を和訳するのが私の仕事だった。その米国人社長はとても文才がある人で毎回訳すのが楽しかったのを覚えているが、今回思い出したのはその中の一話だ。

その社長が休暇で生まれ育った実家に帰省する。そこには自分が子どもの頃に使っていたもの等がまだそのまま残っており、帰るたびに片づけてゴミに出すのだが、出しても出してもお母さんがゴミ置き場から持って帰ってきてしまう。ご両親はあのGreat Depressionを知っている世代。一度使ったアルミホイルまでシワを伸ばして引き出しにしまってある、というような話だった。(細部の記憶は不確かだけどもエッセンスはお判りいただけると思う。)

そう、「高齢の親によるモノためこみ問題」は洋の東西を問わないのだ。それだけ普遍的な課題であり深淵なテーマであって、簡単な解決方法などあるわけがない。

というか、解決しないほうがいい場合もある。たとえば、実家に帰って怒鳴る相手がいなくなったら私はストレス発散できなくなってしまうではないか。だからこの調子でもうちょっとがんばってちょうだい、母上。

2022年母の日に。