いまいちど当たり前を疑うべし

まあびっくりした。人生初の震度6。福島市は「6弱」だったらしいが、「6強」を知らないので違いはわからん。

ともかく今まで経験したことのない揺れではあった。が、幸い今回も我が家では倒れた家具も壊れたものもなく、片付け不要で済んだ。前回、昨年2月の震度6のときはたまたま川崎に帰省中で数日後に戻ったのだが、そのときも拍子抜けするくらい家の中は無事だった。もともとモノが少ないのも一因だろうけど、9割方は単なるラッキーだと思う。今回は一晩だけ停電断水した(マンションの場合はこの2つはセットであると改めて学んだ。停電すると給水ポンプが作動しない)とはいえ、いまでも復旧作業中の地域があることを思えば、そんなの「被害」のうちにも入らない。

▲「あおさバター」はちょっとインパクトのあるビジュアル。不思議な味で、最初失敗したかと思ったら意外にハマった。これの産地である相馬市、隣の南相馬市鹿島区で特に被害が深刻。

しかし、同じ福島市内でも家の中めちゃくちゃ、311の時よりも、去年よりも酷かったという声をたくさん聞く。同じように見えても地盤の細部とか、揺れ方と建物の向きの関係とか、個別要因で被害はだいぶ違うようだ。近所の花屋さんなんて、テーブルの上にぎっちり並べたガラスの花瓶がひとつも落ちなかったというのだから不思議である。

かと思うと、その目と鼻の先の福島駅の駅舎(新幹線側)は結構な被害を受けている。線路だけでなく駅構内の復旧が間に合わなければ運転再開は無理だ。脱線した車両の映像を見て、あの地震でこの程度で済んだなんて、私は率直にやっぱり新幹線すごいよなと思った。駅舎の復旧作業も、少なくとも私の目には非常な速さで進んでおり、やっぱりインフラ企業の責任感はすごいよなと感じている。

そのJR東日本がツイッターで、新幹線が止まったことで「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」と発信したのに対し、自然災害だから謝る必要はない」というコメントが結構寄せられていた。それを見て私はそう感じてるのが自分だけじゃないと知って、ちょっとホッとした。

のだけど、もうちょっと考えた。

もしもJRが謝罪の言葉を一言も発していなかったら、もっとバッシングされてたかも? 日本ではとりあえず謝ることが正しいとされる。自分自身に非がなくても、目の前に迷惑を被っている人がいればとりあえず謝る。そうすると相手も周りも「いやいや、あなたのせいじゃないから」と優しくなる。

電車が止まって謝るようになったのは、明らかに1987年の民営化後だ。それまで私は毎日、旧国鉄に乗って高校・大学に通っていた。当時は事故だの何だのでどれだけ遅れても謝罪のアナウンスなどなかった。それがいつの頃からか、車掌が「お急ぎのところご迷惑をおかけして申し訳ございません」と車内放送するようになった。整備不良による車両故障とかなら確かにケシカランが、人身事故の場合はJRだって被害者である。最初に放送を聞いたときは、何だか変だなと思った。

でも、慣れてしまってそれが当たり前になった。何があっても止まったり遅れたりするのは迷惑でケシカラン。だから謝るのは当然、て感じになった。

▲なんでもない日の朝食。有難し。

今回の地震の後、大臣がJR東日本を訪れて早く見通しを示せといい、私の読む新聞も「脱線したのは過去の教訓が生かされてないからだ」と批判した。確かにそういう面もあるもしれない。でも・・・と思う。

昨日の「電力需給ひっ迫警報」による節電要請もそう。新聞によれば、東日本大震災の教訓で広域融通を進めるはずだったのに、送電網整備を先送りしたせいでこういうことになった、のだそうだ。電力会社の不作為のせいで、消費者も大口需要家も大迷惑をこうむったと。確かにそうなんだろう。実際、暖房切って昨晩は寒かった。でも・・・と思う。

何でもかんでも「いつでもあっていつでも動いて当たり前」という我々の感覚も、改めるべきなのではないか? エッセンシャルなインフラ、それを動かすエッセンシャルなワークは魔法で成り立ってるわけではない。だからこそ日頃の危機管理、バックアップ体制構築が重要だけど、電車はだれかが動かしているから動くのであり、電気はだれかが発電しているから使えるという当たり前のことを、使う側は今いちど思い出すべきじゃないかと思う。

特に電気は目に見えないから、空気のように無尽蔵に存在するものと勘違いしがちだが(私だけ?)、実際にはたくさんの燃料を燃やしたり、大量の水をせき止めたり、あるいは人為的に原子核反応を起こしたり、という誠に「不自然な」ことをして人間が作り出しているものだ。水だってそう。庭を掘れば安全な井戸水がわく家はともかく、そうでなければ人為的に水道水を作って届けてくれる人たちがいなければ水は飲めない。

地震でも台風でも爆撃されても、何があっても魔法のように平然と動き続けるインフラ、なんてないのだ。

もちろん、大インフラ企業が形だけ平身低頭してやるべきことをやらないのは言語道断。けれども、有事にあたってモノゴトの優先順位を考えるとき、インフラを使う側の認識も問われるなあとつくづく思う。

とりあえず余震来ないで―