個と全体

「丁寧な手指洗浄」を実行している間、水を出しっぱなしにしながら、昨日読んだ新聞記事を思い出す。「2050年に39億人が水不足」という記事だ。OECDによると、世界の人口は2050年に2019年比で26%増の97億人になり、水需要は2000年比で5割増える。そうなると人口の4割、39億人が恒常的な水不足に陥るそうだ。これ、たった30年後の話ですよ。

ずいぶん前から言われてきた「食料危機」は、技術革新(灌漑技術向上から遺伝子組み換えまで)のおかげで、水さえあればこれまでなんとかなってきたが、水危機はどうしようもない。地球上の水の量は一定で、どれだけ技術が進歩しても人類は「無」から真水を作り出すことはできない。海にはあれだけ水があるじゃないかというが、海水の淡水化にどれだけ問題があるかは少し調べればすぐわかる。

要するに、人類、増えすぎなのだ。日本という局所で見れば少子化でオロオロしているが、地球規模で見れば、明らかに増えすぎなのだ。そういう意味では、同じ新聞の紙面に8月に掲載されたこのグラフは、歓迎すべきトレンドのはずである。

ワシントン大が新しく発表した推計では、国連の中位推計よりも早く人口が減り始める、というニュース。実際、私はこれを見て「あーよかったー」と思った。もっとも左のグラフを見れば減るといっても「焼け石に水」であり、そもそも一生物種のこんな異常な増え方が持続可能でないことは火を見るより明らかだと思う。が、それでもサピエンス種の自滅を一日でも先延ばしするには、一日でも早く人口が減り始めた方がよい。(それでも今後数十年は増え続けるのだ。)

それなのに、この記事の内容は「あーよかったねー少しは希望が持てるねー」ではなかった。「働き手が減っちゃう、どうしよう」「働き手が減れば購買力も減って経済成長できない、どうしよう」というのである。私は目を疑った。

人間は、百年単位で将来を予測するだけの想像力は与えられたが、結局は明日の自分のご飯のほうが大切なのだ。もちろん、個体はあくまでも個体の生存が最優先なのだからしかたない。

でも個体が死ぬことは種全体にとって最大の利他行為でもある(福岡伸一氏の「動的平衡」より)。少産多死社会がやってくるのも、種としての智慧なんだろう。生物界はそうやって回っている。個人レベルでは誰だって割を食いたくない。私だってできれば逃げ切りたい。けれど、個はやっぱり、全体の一部なのだ。あんまりオロオロジタバタしたくないものだ。

でもせめて手洗いの間は蛇口閉めなきゃね…

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