本を読む

図書館では新着図書のコーナーで目に止まった本を借りることが多い。先日は久世光彦さんの「『あの人』のこと」というエッセイ集が気になって借りた。久世さんは私が中学高校時代に見ていた人気テレビ番組のプロデューサー。ご本人は2006年に亡くなっているが、生前の文章を集めて昨年刊行されたものだ。読んだら、なんだかしみじみしてしまった。私もやっぱり昭和の人間なんだと思った(しんみりしたい昭和世代の方にはオススメ)。

この方はプロデューサー・演出家だけでなく作家でもあったと初めて知る。こういう文章は久しぶりに読んだ。誠に僭越ながら、ほんの少しtoo muchと感じた表現がないこともない。テレビっぽい、というのはたぶん先入観だろうけれど。が、総じて、私より二回り上の世代の作家さんたちがごく自然に使いこなす語彙の力には素直に憧れる。

そのエッセイの中に、子どものころ江戸川乱歩の初期作品に夢中になったという話があった。探偵モノ推理モノに興味がない私は乱歩など名前しか知らなかったが、読んでみる気になって、また図書館へ行った。有名な少年探偵団シリーズより10年以上前の初期作品群が読めるのは、昭和30年代発行の乱歩全集しかなかった。地下の書庫から出してもらった本は、手垢でくすんでいるのか元々そういう色なのかわからない布地の装丁で、端の方が少々焼けたページには所々シミがついている。

その中からまず、昭和3年の「陰獣」を読む。正直、18禁の〇〇サスペンス劇場みたいだなくらいの陳腐な感想しか持てなかったが、むしろこれを小学校に上がるかどうかの久世少年が、日の当たらない女中部屋で親に隠れて食い入るように読んだという、その姿の方がありありと想像されてなんだかゾクゾクした。

それにしても、昔の本というのはどうしてあんなに字が小さいのだろう。活字の級数はさすがにわからないが、今のワードで言うとたぶん9ポイント以下だろう。しかも行間がびっしりだ。久世少年がそんな薄暗い場所でこれほどの文字が読めたとすれば、ひとえに若さのゆえだ。私は図書館の窓際の明るい指定席で読んだのだが、それでも1時間もたつと目がチカチカしてきた。

そういえば、私は高校生のとき夏目漱石の全作品を文庫本で揃えて以来、ずっと大事に所有していたのだが、7年前福島に引っ越すときさすがに処分しようと思い、何十年ぶりかでページをめくって驚いたのだった。あまりに字が小さい(おまけに紙が焼けまくっていてなおさら読めなかった)。たしか新潮文庫だったと思うが、今の文庫はここまで字が小さくはないと思う。

昭和の頃の日本人はもっとみんな目が良かったのだろうか。たぶん、そう(私は中学のころから近眼だったけど)。

いろんな意味で、やっぱり昭和を思い出すとしみじみする。

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