2020

今は2020年9月。今更ながら、どうも現実感がない。

8月終わりの浄土平

1964年生まれの私を含め20世紀中に大人になっていた世代にとっては、「21世紀の始まり」というのはそれなりにインパクトのあるイベントだったと思う。西暦2000年コンピュータ問題なんていうのもあった。それまで下2桁で済ませていたのが00になって1900年と間違えて誤作動しちゃうかも、という話だったかと記憶する。当時たいへんな苦労をした技術者も多かったことだろう。ナントカ歴のカレンダーがどうの的な終末論もあって、みんな多かれ少なかれ「来るぞ、来るぞ」と身構えていた。

それが一夜明けて2000年になってしまえば(たしか私はパリで年越ししたのだった)、なんのことはない、その先にも前と同じ日常が続いていた。2001、2005、2010と時間は均等に刻まれ続け、私にとっては1985年も1995年も2005年も2015年も、みな等しく「数字」であった。もちろんその間に、同時テロとか東日本大震災とか、「もうそれ以前には戻れない」クラスの出来事は発生した。でも、自分の身辺の「現実の感じ方」に変化が生じることはなかった。

ところが。

「2020」になったら、なんかおかしくなったのだ。自分が近未来小説の中にいるような感じがする。ここはもう現実ではない、なんだかのっぴきならないところに来てしまった感覚。でも自分ではどうすることも出来ない無力感と焦燥感。このままこれまでと同じ調子で2035年とか2050年とかいう年が来るとは、どうにも思われない。

オーウェルの1984年とか2001年宇宙の旅とか、過去に描かれた近未来の年号を、既に私たちはいくつも通り過ぎている。調べたらブレードランナーの舞台もなんと2019年だった。でも去年までそんな感慨はなかった。これは単に自分の年齢のせいだろうか?あるいはステイホームと新しい生活様式のせいで頭の回路の一部がおかしくなったのか?いずれにしてもあまり心地よくはない。

秋の始まり。

そんなときには、いやいや今年は令和2年だと考える。

ずっと外資勤めで仕事はすべて西暦だった。福島に来て公務員になったら全てが和暦で、年数の計算に苦労した。全部西暦にすれば簡単なのに、と思っていた。

だけども、この改元というリセット効果はけっこう侮れないかもしれない。ドタバタの青春は昭和に、バリバリの仕事は平成に、置いてきた。令和には何を置いていくことになるのだろう。そう考えれば2020の恐怖も多少は和らぐ、ような気もするのだが……

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