初秋の一日

今回はただの福島生活日記です(もともと生活日記ですがー)。

久しぶりに丸一日まったく仕事しない日曜日。久しぶりに遠出して久しぶりに県外の温泉に行こうかなーと思ったが、案の定寝坊し、ブランチを食べたらもう昼前であった。しかたないので久しぶりに隣町の岳温泉へ。今年オーナーが変わってリニューアルオープンしたという旅館にお風呂をもらいにいった。

福島市民としては市内にある三大温泉(飯坂、土湯、高湯)が自慢ではあるが、二本松市の岳温泉も負けず劣らずオススメである。福島県に来て最初の2年間の住まいは二本松市だったから、当時は休日のたびに日帰り温泉利用でお世話になっていた。東京から遊びに来た友人と一緒に岳温泉で一泊したことも数知れず。宿泊と日帰りを合わせればおそらく私は全館の風呂を制覇している。今回のお宿もリニューアル後だけあって館内は何もかも新しくてきれい。昼時だったせいか内風呂も露天も独り占めで贅沢した。

運転手のいないおひとりさまは湯上りにビールというわけにはいかず、代わりにお茶とスイーツである。目指すカフェは車で数分だが、このところ深刻化している運動不足を少しでも解消すべく、車を停めた無料駐車場から歩くことにする。岳温泉観光協会はウォーキングプログラムを充実させていて、カフェまでの道も数あるウォーキングコースの一部のはず。だけど、まぁまず歩いている人はいない。そして、人が歩かない歩道というのはこうなる。↓ 

この辺の歩きづらさは別として、道はアップダウンもほとんどなく周りは草原が広がり、陽気がよければたいへん気持ち良い。車なら気づかずに通り過ぎてしまうような、小さな発見もたくさんある。蜘蛛の巣にかかり今にも餌食になろうとしている蝶をしげしげ眺めてこれが自然界の掟なのだよね、とか。視覚だけではない。焚火の煙のにおい、牛舎から牛の鳴き声。五感総動員である。【後日追記:どうもこれを書いた直後に岳温泉のウォーキングプログラムは内容変更になったようで、最初文中からリンクしていたウォーキングマップはもはや存在せず、この道もコースから外れたらしい。】

といってもわずか25分でカフェに到着してしまう。テラス席で「秋限定」のアップルなんとかパフェに食らいついているうちに肌寒くなってきた。帰りの道を歩き始めたら雲の間から陽が差してきたが、この時期の陽はつるべ落としとはよく言ったものだ。まだ3時というのにもう「傾きかけ」の趣である。ちょうどひと月前、関東から遊びに来てくれた友人とドライブした頃は、まだ長い午後の暑さに辟易していたというのに。

と、前方でモーター音すると思ったら、先ほどの歩道で草刈りをしている男性がいた。日曜の午後こんな時間に作業とは、地元の有志だろうか。有難いことである。ちなみに、コロナで地方移住を考えている方。自然いっぱいの田舎暮らしを志向するならモーター式草刈り機のマスターは必須である。

帰宅してこれを書いているうち、瞬く間に真っ暗になってしまった。急いで洗濯物を取り込みにベランダに出ると、福島駅近くの我が家周辺でも鈴虫の大合唱である。

季節がまた一回り。・・・私はもう振り落とされそうだ。どうしよう。

2020

今は2020年9月。今更ながら、どうも現実感がない。

8月終わりの浄土平

1964年生まれの私を含め20世紀中に大人になっていた世代にとっては、「21世紀の始まり」というのはそれなりにインパクトのあるイベントだったと思う。西暦2000年コンピュータ問題なんていうのもあった。それまで下2桁で済ませていたのが00になって1900年と間違えて誤作動しちゃうかも、という話だったかと記憶する。当時たいへんな苦労をした技術者も多かったことだろう。ナントカ歴のカレンダーがどうの的な終末論もあって、みんな多かれ少なかれ「来るぞ、来るぞ」と身構えていた。

それが一夜明けて2000年になってしまえば(たしか私はパリで年越ししたのだった)、なんのことはない、その先にも前と同じ日常が続いていた。2001、2005、2010と時間は均等に刻まれ続け、私にとっては1985年も1995年も2005年も2015年も、みな等しく「数字」であった。もちろんその間に、同時テロとか東日本大震災とか、「もうそれ以前には戻れない」クラスの出来事は発生した。でも、自分の身辺の「現実の感じ方」に変化が生じることはなかった。

ところが。

「2020」になったら、なんかおかしくなったのだ。自分が近未来小説の中にいるような感じがする。ここはもう現実ではない、なんだかのっぴきならないところに来てしまった感覚。でも自分ではどうすることも出来ない無力感と焦燥感。このままこれまでと同じ調子で2035年とか2050年とかいう年が来るとは、どうにも思われない。

オーウェルの1984年とか2001年宇宙の旅とか、過去に描かれた近未来の年号を、既に私たちはいくつも通り過ぎている。調べたらブレードランナーの舞台もなんと2019年だった。でも去年までそんな感慨はなかった。これは単に自分の年齢のせいだろうか?あるいはステイホームと新しい生活様式のせいで頭の回路の一部がおかしくなったのか?いずれにしてもあまり心地よくはない。

秋の始まり。

そんなときには、いやいや今年は令和2年だと考える。

ずっと外資勤めで仕事はすべて西暦だった。福島に来て公務員になったら全てが和暦で、年数の計算に苦労した。全部西暦にすれば簡単なのに、と思っていた。

だけども、この改元というリセット効果はけっこう侮れないかもしれない。ドタバタの青春は昭和に、バリバリの仕事は平成に、置いてきた。令和には何を置いていくことになるのだろう。そう考えれば2020の恐怖も多少は和らぐ、ような気もするのだが……