日別アーカイブ: 2019年8月4日

あぁ、健康保険

今年も健康保険税の支払いが始まった。サラリーマン時代を振り返って何に感謝するかといえば、社会保険の半分を会社が払ってくれていたことだ。で、当時は良くも悪くもすべて給与天引きだったが、フリーの今は健康保険だけは敢えて自動引落としにせず、振込み票を持って毎回コンビニに向かう。

▲本文と無関係ですが、前回投稿した広島旅行より。宮島は千畳閣にて。

私にとっては、消費税よりも社会保険のほうが重税感が強い。保険は相互扶助であり税金とは違うといわれても、加入・非加入の自由は原則なく、所得があれば有無を言わせず課されるのだから税と同じだ。事実、健康保険に関しては保険料とは言わずに保険税という。

消費税は、高額なものを買えば税金も高く、安いもので良ければ税金も安い、という意味においては至極公平な税だと思う。消費の内容によって払う税額をある程度「自分で選べる」とも言える。けれども、健康保険税は自分が享受する保険サービスの多寡とは無関係に負担する税だ。子無しおひとりさまの自分は、少子高齢化を招いた責任の一端をこうして背負わなければならないのだ、などと自分に言い聞かせるしかない。

もっとも、実家に帰ると老いた親が、やれ痛い、やれ痒い、やれ耳が詰まったとかで医者に通い、ただ気持ちいいだけの電気治療を受け、耳掃除をしてもらい、市販のと大して変わらない軟膏や湿布を大量に処方されてくるのを目の当たりにする。私の保険税は回りまわってそういう親の治療費を払っているのだと思えば、帳尻は合っている気にもなる。耳掃除や湿布なら大した額ではないが、事実、もう4年前になるが母が重病で死にそうになったときはずいぶん長いこと病院のお世話になり、それこそ国民健康保険がなかったら大変なことになっていた。(あっても大変だったけど)

▲こちらも広島旅行より。尾道の艮神社。

いま、両親ともに労働収入はない。彼らはひたすら消費するだけ、医療費を使うだけである。私を含む現代日本人がみな骨の髄まで毒されている「生産性」という指標で測るなら、ほぼゼロである。でも私個人にとっては、「おかえり」と言ってくれる存在なだけで有難いのだけれどね。思うように動かなくなってきた身体にいらだち、母は「ああ情けない、もう早く死んぢまいたいよ」などと口走る。これが自分の親でなければ、「ええ、早く逝っていただいた方がこちらも経済的に助かります」と感じるものだろうか。

その両親も先日の参院選ではなんとかかんとか投票に行った。たまたま私が帰省していたので付いていったが、私なら15分で行って帰ってこられる距離を、散歩がてらと言いつつトボトボ1時間かけて往復すれば、二人とももうグッタリである。家からスマホで投票できるようになったら便利だと思うが、彼らはスマホ自体持っていない。

ちなみにどの政党に入れるのか聞いたら、母は「安楽死なんとか」というので笑った。実際はどうしたのか知らないが、まぁこういう一票も少なくないのであろう。

私が彼らの歳になる30年後、日本はどんなことになってるだろうか。決してバラ色には思えないが、いたずらに怖がるだけではどうしようもない。いちばんの自己防衛は何か?それはおそらく、寛容になることなのだ。自分にも周囲にも。

もちろん、言うは易しい。努力するしかない。

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